基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

世界は俺が回している

 世界は俺が回している、と物心ついたときにでっぷり肥った親父に教えられた。俺の生まれて一番最初の記憶は自転車をこぎまくっている姿であり、それ以来一秒たりとも休まず(もちろん寝てるときだって休まずだ)毎日を過ごしていた。世界は俺が回しているというのはどうやってかというと、俺が毎日毎日こぎまくっているこの自転車の動力によってだという。俺が自転車をこぐのをやめれば、世界は停止する、つまりは地球は自転する力を失って、ばらばらになる。親父はそういっている。
 だから俺は毎日自転車をこぐ。毎日毎日ほんとに大変で、何度も弱音を吐いたけれどもそのつど親父は「がんばれがんばれ! お前がいなくなったら世界は終わりだ! お前は世界の希望なんだ!」と叫び続けて俺を鼓舞した。俺も気持ちが良くなって、「やったるぜぇオジキィ!」と声を出してがんばった。たまーにがんばってめっちゃこぐと、家の電気が非常に強く輝いた。俺が頑張ることと電気が輝くことのどこに相関関係があるのかわからないが、しかし、輝いた。毎日毎日その繰り返しで、大丈夫なのかと言えばそんなことはなく、俺だって永久機関ではないのだからいつしか限界は訪れる。それがどうやら今日だった。もう足は回転を続けすぎてバターのようになってしまい、俺の精神も回転にとらわれて同じことしか考えられなくなりつつあった。もうだめだ、と俺は思った。もう親父の鼓舞も、俺の魂を奮い立たせることはできなかった。俺がついにほんとにほんとにもうだめだということを親父にいったら親父は「まだいけるいける余裕だってほんとがんばれよ!!」と言ったけれどもホントにむりだったのでホントに無理だった。
 俺は自転車をこぐのをやめた。さよなら世界、と俺は言う。
 そして世界は停止するのかと思ったが、しかし回転するペダルはぐるぐると慣性で回り続け、俺が地面に倒れ込んでペダルが慣性の力を失って完全に沈黙しても世界は依然として回り続けていた。なぜだ、と思う間もなく、家の電気が全部切れた。
 「ちくしょう、せっかくだまして電気代として使ってたのに、ついに気づいちまったよ」親父が言った。


※:ショートショート。タイトルは最近同名の著作を誰かが出したようで、「いい題名だなぁ」とだけ思ってそこから発想を広げた。それ以外何の関係性もない。もう小説なんて書かないと思います。