- 作者: 飛浩隆
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/09
- メディア: 文庫
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本書は廃園の天使の名で書かれる連作の第一作にあたる。今年の二月に第二作目である「ラギッド・ガール―廃園の天使〈2〉」が文庫化されるということで、いてもたってもいられなくなって再読した次第である。第三作目は未だ発表されていない。著者の飛浩隆氏は非常に遅筆として知られているからだが、読めば、まあそれも納得といったところだろうか。漫画で言えば書き込みの量を思わせるような、完成された文章の選び、配置、構成に、息を飲むはずである。ぼくは小説をたくさん読んで、人間として成長した! とか感情豊かな人間になった! というような、世間の真面目な親御さんが考えているような変化を体験したとは思えない。相変わらずダメ人間なままで、恐らくそれはこの先どんなにたくさん本を読んでも変わらない。ただ、本を読んで良かったことと言えば、この世界にはこんなに素晴らしいものがあるのか! と気が付けたことで、どんなに世の中ひどいことがあっても、グラン・ヴァカンスのような小説がこの世にある限り、絶望したりしないであろう、などと思ったりする。小説を読んでて良かった、と思えるのはつまり、「この世界にはこんなに素晴らしいものがあるのか」と思える瞬間である。ベタ褒めである。
舞台は「放棄された仮想リゾート」である。仮想リゾートとは何かと言えば、現在のオンラインゲームに、意識ごと没入できる空間と言えば伝わるだろうか。セカンドライフの世界に、自分の意識ごと行ける感じとか。そこでゲストは、架空の世界を生きることができる……のだが、その世界にゲストが来なくなり、千年もの間AI達は気ままに暮らしていたが、ある日崩壊の手が忍び寄ってきて──というのがあらすじの導入部である。ゲストが来なくなった世界というのは、言ってみれば読まれなくなった小説というようなものでもある。「誰にも読まれなくなった小説で、中のキャラクターはどう生きているのだろうか」などという読みも面白い。以下、微妙にネタバレしながら、この作品、作者自ら明かしている三つの要素、清新、残酷、美しいという単語を追ってみようと思う。
セールストークは苦手であるから、ひとつだけ申し上げる。執筆中「新味を出そう」とは考えなかったから、ここにあるのはもしかしたら古いSFである。ただ、清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである。──P482
美しくあること
本書は、主人公であるジュールという少年が、浜へ行こうと朝目を覚ましたところから始まるのですが、そこからの一連の流れは思わず息をのむほどの美しさ。沸いてくるイメージは、どこまでも青い空と同時に見える巨大な入道雲、南欧の小さな港町を俯瞰で見た風景が続き、ジュール少年は家を出て周りを見回すのだけれども、思わずシンクロしてしまう。思わず、「なぜこの小説はこんなにも美しいのだろうか」という問いを立ててしまうほどに、引き込まれる。言うまでもなく小説は絵ではなく、文章であり、美しいという感情を想起させているのは文章を読んでイメージを喚起させる自分の脳である。で、あるならばやはり文章が卓越しているのであろうとそんな微妙な答えでいいのだろうか。
残酷なことこそが美しいということもある。この作品の美しさというのは、風景的な美しさがあるのと同じぐらい、人間的な葛藤の美しさ、人間がどうしようもなく残酷に死んでいく姿の美しさというものがある。
残酷であること
この作品の全ての配置が、すでに残酷であると言えます。仮想リゾートの中に住んでいるAI達には自我があり、過去がある。しかしそのどれもが、誰かに作られたものにすぎないわけで、彼、彼女らは自分たちの記憶が、現在の役割が、誰か現実の世界のシナリオライターに書かれた模造品だということを、常に意識しないわけにはいかない。そんな模造品であるAIたちが、自分たちの危機に瀕して、自分のアイデンティティを保とうとして戦っている。さらに言えば、人間関係の面でも非常に残酷であります。AI達にはエンターテイメントとしての役割が与えられており、意図的な三角関係、意図的な葛藤、そしてそれが意図的に作られたものであるとさえ知りながらも、それしか無いAI達は、その感情を貶めることはできない。ほとんど地獄でありましょう。この作品を読んでいて、なんど「おのれ飛浩隆ぁー!!」と思ったことか!
視覚的にも非常に残虐な描写が続きます。何しろ、この仮想リゾートを襲う通称「蜘蛛」という存在は、AI達を文字通り「喰う」。ばりばりと。「喰う」というのは、何かしら象徴的な意味を考えなくても、どこかしら残虐な要素を思わせます。通常人は何かを殺してから喰うわけですが、殺しながら喰うというのは…これいかに。エヴァも使途喰ってたし(関係ない)。一つ工程を飛ばしただけで、余裕の無さというか、せっぱつまった感がありますよな。そして、そういった残酷な描写がどこか「美しい」と読んでいる側に思わせてしまうのは(ぼくはそう思いました)やはり、人間で有る以上避けては通れない、部分であるからなのかと思ってしまいます。
清新であること
清新とは、新しく生き生きとしていることという意味である。その意味で言うならば、「美しく」また「残酷」であるという点が強調されていることがすでに、清新であることであろう。ぼくはこれほど新しい作品を未だかつて読んだことがないし、いつ読んでもその感覚は保ち続けられるだろう。「いつ読んでも新しい」仮にそんなことが小説で表現できるのならば、それはSFだけではないか、そんな気がする。
好きな場面を挙げていくよ
驚くほど映像的な作品である。読んでいて、カット割までもが頭に入り込んでくるというのは、これ尋常な力ではあるまい。正直いってアニメ化の必要性を感じないほどである。頭の中ですべてが完成されていて、この作品を読み終わった時多くの人が感じるであろう感想は、これ単体として、小説として、「完成している」ではないかと思う。その中でも格別好きな場面を、ランクなんてつけようもないから、頭から順々に挙げていく。
一つ目は冒頭から始まる、ジュールがベッドで目を覚まし、美しい朝、それからご飯を食べ、ジュリーと一緒に砂浜へ行くまでの一連の流れ。二つ目は、アンヌが始めて蜘蛛を倒し、子どもが殺され、船に乗り、辿り着いた先でのベルニエとの会話。ページ数でいうと92ページ。簡素な描写で、ほとんど会話のみにも関わらず、間が理解できる。同時に語られるアンヌの過去のエピソード。しかしそれも嘘だという残酷なあれ。全てにおいて残酷な世界観である。三つ目はジョゼ・ヴァン・ドルマルが自分の家から走って逃げるところと、72ページ。もいっこジョゼで、117ページ。ジョゼの凄さが際立つ描写がただひたすらにかっちょいい。あとは老ジュールと三姉妹が無敵と思われたランゴーニに一矢報いるところなんかは少年漫画的で最高である。思えば世界の法則を自由に書き換えられる存在と言う意味で、ほとんど神にも等しいランゴーニとの闘いは、難易度の高さと言う意味で最高に面白いぜ! あとあと……ラストの五十ページぐらい全部かな…。あと中間部分の肝として、魔法による攻城戦が行われるのだが、それはぼくがずっと読みたかったものであり、読んでいて凄く興奮した。こう、名のある戦士たちが一人一人、必死に自分の持ち場を守りながら、一人一人見せ場をかっちょよく見せながら散っていくっていうの、燃えるしね。なんか支離滅裂だけれどもこの辺で終了。