基本読書

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飛浩隆がいかに読み、書いてきたか──『ポリフォニック・イリュージョン 初期作品+批評集成』

ポリフォニック・イリュージョン

ポリフォニック・イリュージョン

作家・飛浩隆の文庫解説やら、書評やら、日本SF大賞の選評やら、本としてまとまっていない初期短編やらを集めた初期作品+批評集成である。飛氏が解説や文章を書くならまずもって買っていると思っていたので、ほぼ全部読んでるんじゃないかな〜と読み始めたのだが、10年以上前の対談、追悼文、読者からの質問と回答など読んでいないものがある。また、ユリイカからSFマガジンの総解説などの小さな文章まで広範に集められていることもあって、非常に満足度の高い一冊であった。

僕は小説を書かないので(書くと死ぬ病気などではないので、気が向いたら書くのかもしれないが)飛氏の小説がどれほど凄まじかろうが「すごーい」と無邪気に喜んでいられるのだが、このような解説や書評のような文章を読むとつい自分と比較してしまい、ウゲゲ! と激しく落ち込んでしまう。ああ、自分はなんて薄っぺらい文章を書く人間なのだろうか……飛氏の評が『覚悟のススメ』ぐらいの山口貴由作画で描かれているとしたら、僕のはながいけん『神聖モテモテ王国』ぐらいの作画だろう。*1

神聖モテモテ王国[新装版]1 (少年サンデーコミックススペシャル)

神聖モテモテ王国[新装版]1 (少年サンデーコミックススペシャル)

解説など

そういう意味では、読んでいてつらい本であった。ここまで鋭利な切れ味、どこまでも緻密で精度の高い観測眼に恐れおののかずにいられるだろうか……。

たとえば野尻抱介『サリバン家のお引越し クレギオン④』に寄せた、野尻抱介文体が持つ機構の、リバースエンジニアリング的な構造分析──の前の「野尻抱介の文章に正当な評価を与えてこれなかったお前たちをこれからぶち転がします」宣言である『野尻の文章は「簡潔で強靭」とか「硬質の叙情」とか評されているが、こんな空疎な言葉は何も語っていないにひとしい。』を読んだ時点ですでにこちらは絶命しているし(読み進めて再度死ぬ)、神林長平『いま集合的無意識を、』に寄せた「アロー・アゲイン」と題された解説では、〈世界の真の姿〉と全力で格闘する神林長平自体と互角の闘争をし生還してみせ、それを読んだこちらは既に三度の落陽を迎えている。

 第二部は「作家が他人の創作物について書いた文章」を集めている。自分で言うのもなんだが、この中のいくつかは私の最上の小説作品と肩を並べているか、見方によっては凌いでいるとさえ思う。むろん本職の批評家の緻密さには及ぶべくもないが、はなからそんなことは狙っていないのでこれでいいのだ。

飛氏の批評文は常に対象との全力的な闘争であり、氏の小説と同じく文が一行進むごとに新たな領域が開拓され、まだ見ぬ光景・表現へと到達し、書き手と読み手が変化してゆく驚きに満ちている。批評は小説ではない、小説ではないのだが、たしかにここにあるのは飛浩隆の創造物だ。ユリイカに載った『『シン・ゴジラ』断想』や「アロー・アゲイン」で、飛氏の批評文は批評対象と同様の構造を論の中に取り込もうとしているようでもあり、それが個々の評論を、同時に飛浩隆流の再解釈を経た”語り直し”の創作でもあるような感覚をもたらすのではないだろうかと思ったりもする。

選評など

高らかに褒め上げる批評が記憶に残るが、日本SF大賞の選評などで書かれる作品評もぐっとくる。賞という枠組み、基準の中とはいえ作品間に優劣をつけるわけで、欠落ととれる部分が場合は容赦なくその指摘が飛ぶ。作品評は褒めるより適切に批判するほうが何倍も難しいし、それがもたらす余波を考えると(てんで的外れだと思う指摘を選評で受けた作家は、長い間恨みを持つんじゃないかなあ?)覚悟もいるものだが、お茶を濁すような空虚な評は一つもなく、殺されるんじゃないかと思うほどひりひりするような緊張感が伝わってくる真剣勝負を全作品に向かってけしかけている。

こうした評論文を読んでいると、やはり僕が好きな飛浩隆作品はこうした冷徹ともいえる眼が、自作だからこそより苛烈に向けられているからこそ生まれ得るものだと思わずにはいられない。極端なことを言えば、”傑作”をきちんと評価できる眼があれば、その人間はいつかは傑作が世に出せるはずじゃあなかろうか。何しろ、自分で自分が傑作だと思えるようになるまで無限に改稿を続けていけばいつかは傑作に辿り着くからだ……まあ、その眼が──というよりかは、その眼に加えた、妥協を許さぬこころがあるからこそ、いつまでたっても『零號琴』が出ないのかもしれないが──。

小説など

初期作品は六篇が収録&著者解題が付されている。『これまで初期作品は一部を除き封印してきた。今回これを解くわけなのだが、「きこえますか……初期作品を集めたページは「星窓 remixed version」の『特典資料編』として出すのです……小説本ではないのです」と自分に暗示をかけて納得させている。』とまえがきでは宣言されており、確かに今の飛氏のレベルと比べると落ちるのだが、現実や身体が崩壊していく感覚や恐怖、不安定さなど、その手触りの良さは初期作品から一定の水準にある。

「星窓」を除けば、「いとしのジェリィ」「夢みる檻」のライン、また「地球の裔」で描かれる情景が気に入った。後の作品につながるモチーフも散見され、同時に数々の実験が施されてもおり、著者解題も相まって一人の小説家の成立過程の一端が明かされているようで、興味深いパートだ。大満足であった。

おわりに

こうして読み終えてみると、飛浩隆が凄いのは当たり前だが、かといって氏には作品を書いてもらわねば困るのだから、僕も一読者なりにがんばらねばあかんよな……と反省しかり。参考にしてできるもんでもないが、飛氏に安心して『零號琴』や『空の園丁(仮)』を書いてもらうためにも、一歩一歩、前に前に……。

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

グラン・ヴァカンス―廃園の天使〈1〉 (ハヤカワ文庫JA)

*1:ながいけん氏に失礼な話である。