- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/09/08
- メディア: 単行本
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ぼくにとっての森博嗣
やはりぼくにとって森博嗣は特別な作家で、常にニュートラルであるが故に絶対的な指針として揺るがない。何かについて迷った時に、森博嗣の書いたものを読むと、至極普通の自分に戻ることが出来る。人生の基盤。読んでいると、何気なく通り過ぎる日常の風景に、ふと足を止めて見入る、そんな感覚を持つ。そこまで行くともう、作品が面白いとかつまらないとかを超越しているので、今のままでは人に伝えられるような何かを書くのは至難である。ほとんど宗教のようなもので。ニュートラルであるというのは、存在が、書くものがブレないという意味であるような気がする。もちろん、色んなものを書いていて、どれ一つとして同じ作品はない。ただその根っこにある基本方針、やり方、生産方法、クォリティ、などなどが、ずーーっとブレてない。ブレるのだけれども、「ブレるよ?」と最初から言っているからこそ、ブレていない。だからこそ、ブレまくりの自分がどこかで迷ってしまったら、森博嗣を読むことで元々の自分が目指していたものを思い出し、また再スタートできる。そんな役割を果たしている気がする。
銀河不動産の超越
物語に起伏はない。偶然で始まった物語が、なんだかよくわからない流れになって、あれよあれよという間に終わっている。簡単に説明すると、一人の青年が銀河不動産というとっても変てこな、そうはいってもちゃんと普通に不動産している会社に就職して、そこでたまたま会ったお金持ちに、7人ぐらい住める大きな家を月5万円で貸してもらい、しかし1人だと広いなーとか思っていたら、そこに次々とひょんなことで知り合った人々がすみついて──。そんな話です。しかし、超越っていうのはなんなんでしょうね。読み終わったけど、よくわかりません。
広い家
やはり広い家というのは、それ相応の人数で住むべきなのでしょう。ひとりで広い家に住むと掃除が大変、とかじゃなくて。もちろんそういうこともあるのだけど。まあ、シンプルに宝の持ち腐れ、とでもいうことなのかなあ。一人で広い家に住むなんて、さみしーしね。なんか、あるべき姿じゃないっていう気がする。あるいは、広い家というのは必然的にそれを埋めるべく働きかけてくるのかもしれない。人が広い家を選ぶのではなく、広い家が人を呼び寄せる。人を呼び寄せられる人が、広い家に住む。ぼくは結構、運命みたいな話が好きなんですよね。色んな事が、そう考えると楽になるし、運命があるからといって別に、努力を怠ろうなんて考えもしないことを思えば、別に運命なんてあったっていーじゃないかと思う。突然天からでっかい顔が降ってきて、「お前達の人生はすべて仕組まれたものなのじゃよ」と言ったとしても、「そうだったとして、だからどうだっていうんだ」とみんな普通の生活を続けるんじゃないですかね。そんなもんじゃないですかね。わかんないけど。
偶然の出会いが人生を変える。
人生における、人間と人間の出会いなんて全てにおいて偶然です。しかし、出会って何年か後にその出会いは必然であったかのように感じさせることがある。偶然の出会いを必然の出会いに変えるのは、その後のこだわりと、そして想像力でありましょう。
「日々、きっかけはある。石ころのように、道すがら、どこにでも沢山落ちているものです。たまたま、それが自分の足に当たって、蹴飛ばしてしまう。立ち止まって、小石がころころと転がるのを眺める。そこに目を留めるんですな。けれども、まあ、多くは、すぐに目を逸らしてしまって、そのまま歩き続けるでしょう。そういうのがほとんどです。ところが、そこで一歩立ち止まったことで、もう人生は別ものになっている。立ち止まったことで、その先の信号で渡れなくなる。すると、乗りたい電車に乗れなくなる。しかたがないから時間を潰す。そこで誰かに会うかもしれない。そうやって、どんどん違う人生になっていくのです。あの小石がもし道に落ちていなかったら、今の人生にはならなかったことになりますね」
石ころから生まれたきっかけを生かすのはしかし、努力であり、こだわりであり、偶然を必然と思いこむ意志の強さであり、(石とかけてるんだよ! 笑って!)そしてやっぱり、想像力。