- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2019/11/08
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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整理をしないという整理
そういうわけなので氏は「整理」をしない人なのである。だから本書のタイトルも「アンチ整理術」になっている。つまるところ、氏にとっての整理術とは整理をしないことである。その理由も理屈が通っている。整理する時間があるならば、研究や創作や工作を少しでも前進させたい、だから整理なんてしてられない、そもそも何かを作っている時というのは必然的に周囲が散らかるものなのだ──というわけである。
僕も大枠としては氏の考えに賛成である。何かを書いたり作っている時に周囲が雑然とするのはもはや避けられないことだ。むしろその混沌とした状況が──必ずしもプラスだけではないにしても──心地よく感じられることもある。僕は今とあるテーマの一冊の本を書いているが、周囲に本が散らばって、相当雑然としている。
机の上に何冊も本が積み上がって、そのすぐ脇、ゴミ箱の上にも本が積み上がっている。都度本棚に戻せばいいのかもしれないが、どうせすぐ使うのだからそのへんに散らばっていてくれたほうがありがたい。それも、常に出したり入れたりで動き回っているので、「そのへん」で整理するのも難しい。散らばるのは必然である。他にも、僕が知る限り、優秀な編集者の机はだいたいいつも混沌としている。
僕と森氏の違い
一方でそれが終われば当然ながら僕だって片付ける。もう(少なくともしばらくは)読まないわけだし、あっても邪魔だ。そして僕は家がきれいであることを好む。物に溢れているのは我慢ならない。基本的に「もう読まない」ではなく「しばらく読まないだろう」本はすぐに捨てて(売って)しまうから、家に本は200冊もない。
「積読」というのも僕は嫌いである。邪魔だからだ。2ヶ月も読まないまま積んだら、それはもう「いまよむべき」本ではない。だから、読まずに捨ててしまう。また読みたくなったら買い直せばいいのだ。こんな事を考えているせいで、僕は毎年何十冊もすでに読んだ本や買った本を買い直してまた売っているのだが……。時折買い直すのが不可能、あるいは高騰していて難しくなったりするが、世は無常、盛者必衰であり諦めるしかない。どうしても諦められないものは、さすがに取っておく。
本だけでなくすべてを「必要になったらまた買い直せばいい」と思って「何ヶ月後に絶対に使うだろう」というものも捨ててしまうので、うちは全体的に物が少ない。そもそも、物がたくさんあってほしいものがなかなかみつからない、というのが僕はいやである。探すぐらいなら買い直したほうが精神衛生上楽だ。買えば必ず家に届くのだから。そのへんは、森氏との違いだろう。森氏は自分で買った物はほとんど捨てないという。『これは、僕の書斎に見られる傾向だが、地面に平行な場所は、悉くなにかが置かれてしまうのである。ただし、例外が一つだけ。それは天井だ。』
そこは違いではあるが、でも僕だってできれば本や物を捨てたくなんかないのである。ものすごく広い家に住み、好きなだけ物を置いても自室が乱雑にならないのであれば全部とっておきたい。なぜ捨てるのかといえば、僕が都心に住んでいて、家賃がゲロ高だからである。部屋が狭く、物を置く場所がないのである。森氏は全部とっておいて、ためこんでおいて、狭くなったらより広い場所へ引っ越してきたという。
うーん、僕もそれができるならそうしたいが……。というより、別に今すぐにでもそれは可能なのだが(郊外に引っ越せばいい)、僕はその可能性を捨てて家賃の高い都心に住んでいるわけなので、やはりそこは「物を持つ」ということに対する価値観の違いが現れているとみたほうがよいのだろう。僕は家に自分の物を置くことにたいした価値を認めてはおらず、それより、仕事に便利な場所に住む方を選ぶ人間なのだ。
つまるところ、整理術というのは方法論のずっと前の段階でその人の価値観が現れてくるものなのだろう。
おわりに
この『アンチ整理術』は、最初こうした「物を整理すること」についての森氏なりの考えが語られ、その後『整理・整頓は、あなたの外側ではなく、まずは内側、あなたの心の中でするのが、最も効果がある。』といって思考の整理、人間関係の整理へと繋がっていく。書きながら考える森氏らしく、最後の方は噛み合わない編集者との問答がまるっと一章挟まっていたりして、いきあたりばったり感の楽しい本である。
はたして「整理」というのは本当に必要なのか? 一度立ち止まって考えてみてもいいのではないだろうか。ほぼ僕の整理術の話になっているが、もうあまり紹介することもないので、こんなところで。