基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

生命と偶有性

初めて茂木健一郎先生の著作を読んだ。茂木せんせーは『生命と偶有性』、生きることとは偶然の中にいることである、だからこそ私たちは偶然の結果を受け入れて、対峙し、対決していかなければいけないということを本書ではメッセージとして伝えているようだ。

偶有性とはすなわち「この世のすべてが、決して確かなものではない」ということである。たとえばこれを書いている僕(冬木糸一)が、これを読んでいるあなたであっても、別段おかしくはなかったのだ、「自分が置かれている状況に、絶対的な根拠はない」ということが、偶有性の意味である。

今の日本にかけているのは、この偶有性を受け入れる覚悟を持つことだと茂木せんせーは言っていて、それはまったくだと思った。安定を求めすぎた、といえる。「これさえやっていれば一生安泰だ」という「フィクション」に耽溺し、他の何事をも考えてこなかった。そのつけを今、払っているのかもしれない。

本書の主張は最初に述べたように単純明快で、要するに「偶然の要素を受け入れろ、むしろ積極的に「何が起こるかわからない」状況に飛び込んで行け」というあたりだと思う。最も、無闇やたらに偶有性に溢れた状況に飛び込んでいっても悲惨な目に会うだけだろう。

たとえば車が行きかう車道に突然飛び出すのは何の意味もないただの自殺行為だ。そこには何らかのルール、秩序が求められる。そのルールはたとえばゲームに例えられるだろうと思う。難しすぎるゲームを素人がやっても、すぐに死んでしまってつまらない。かといって簡単すぎる、ボタンを押すだけでクリアできるゲームもつまらない。

最適なゲームは何か。要するに、自分のレベルに適切な、クリアできるかできないか、その微妙な難易度のルールと自分の実力のジレンマこそが面白さを生みだす。似たような例として、人間が極度に集中し、最高のパフォーマンスを発揮する「フロー状態」と呼ばれる極限状況がある。

いわば人間の最高の状態ともいえるフローとは世界最速の男ウサイン・ボルトや一流のプロスポーツ選手が経験するという状態で、極度な精神の集中状況を示している。フロー状態が成立する為の条件はいくつかある。

明確なゴール、集中、意識から解放される、時間感覚の変化、技術レベルと挑戦の難易度の間にバランスが取れていること、自分自身が、状況をコントロールしているという感覚、行為自体に注意が向けられていること。

人生とは偶然から始まる、秩序がない状態ともいえる。その後の人生も、偶然の要素で満ち溢れている。

一方生きるということは、秩序を整え続けることでもある。『生物と無生物の間』では、人間の身体の細胞は毎日凄い勢いで入れ替わっていることを紹介していた。なぜそうしなければならないのかというと、細胞はどんどん死んでいくので新しい細胞を生みだし、入れ替えていかなければならないからなのだ。

偶然と秩序、この二つのジレンマを、適切なバランスに保っていくことが、うーんなんだろ、人間のパフォーマンスを最高に保つ、といったらおかしいか、楽しく生きるコツなのかもなぁと思った。偶然を求めるだけでは破滅が、安定性・秩序だけを求めても退屈な人生が待っている。

愉しく生きるのも楽じゃないぜ。

生命と偶有性

生命と偶有性