かなり面白い。これからの社会はまさにこの「ネット評判社会」を地でいくことになるのかもしれない、と思わされた。本書の内容をだらだらと書くのはさすがに疲れるので超簡潔に要点だけまとめてしまいたい(できるか?)。日本は一般的にはツーと言えばカーと返ってくる契約書要らずの信頼関係が売りの信頼社会だと思われているが、現実的には魔逆の実験結果が出ている。
アメリカ人に「たいていの人はあなたを利用していると思うかそれともフェアに扱おうとしていると思うか」と訊くと62%はフェアに扱うと答える一方で日本人の66%は利用「チャンスがあればあなたを利用しようとする」と答えた。アメリカ以外の国と比較してもかなり低く、日本人はお互いを実は信頼していないのだ。
何故こんな事が起きるのかと言えば、縦社会型の集団主義的秩序の中で暮らしてきたからだ、と考えられている。たとえば終身雇用制度、誰もが自分の会社を裏切らず、一生勤め上げるのが常識だったからこそ、会社を辞めることが出来ず、会社をやめることが出来ない以上「会社の中での評判」を自発的に保つための努力をしてきた。
しかしこのような関係性は「信頼」とは違い、「安心」と呼ぶ。「辞めることが出来ないからこそ、辞めざるをえないような行動をとらなくなる」のである。これが成り立つ為には外部から閉ざされている事が絶対条件であり(辞められるなら評判を保つ必要はない)その代わりに「外部の資源を利用でるかもしれない機会」を失う。
日本ではずっと「安心」が用意されてきた為「信頼」する為の土壌が育たなかった。それが今グローバライゼーションやインターネット革命によって今までのような「集団主義的」な生き方が難しくなってきており「個人主義的」へとシフトしているのでこれ程の混乱が起こっているのでは、というわけ。
そして個人主義的秩序に移り変わった時に初めて「信頼」が必要になる。集団主義が崩壊した社会ではこずるい手段を使って身内からはぶられても別の場所にいけばいいからである。よって個人主義的秩序下で重要なのは、「いかにして信頼できる相手を見分けるか」が必要になってくる。
多くの人が信頼できる相手を見分ける目を持つことが出来れば、信頼できない手段を行って相手をだましてやろうとする存在を排除できる。そして集団主義的秩序下では得られなかった機会も得ることが出来るようになり、いいことづくめといえる。
本書は主にネットオークションによるネットの評判実験の内容紹介から教訓を導き出していくが、本質的な教訓を導き出すならば、ネット上ではすべてが評判として評価されること、そして適切な評価を受けるには適切な評価をつける為のインセンティブ、そして評価を評価するメタ評価システムを埋め込まなければいけないこと、だろう。
適切な評判システムが出来上がれば僕達は信頼できる相手を見分ける目を養う必要が無くなる。誰もが自由に評判を見ることが出来るからだ。さらに言えば、この流れがネットだけでとどまるとは限らない。現実にまでネット的な評判付けが個々人になされるようになれば(たとえば名刺に評判が蓄積するようになる)「機会損失を生みださない安心社会」の誕生である。
それが幸せかどうかは別として。っま、幸せじゃなかったらまた考えればいーべさ。
- 作者: 山岸俊男,吉開範章
- 出版社/メーカー: エヌティティ出版
- 発売日: 2009/10/07
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