日記を書いてみましょうか。どうも最近、長々と一冊についてだけ書くのは違和感があってたまらんのです。シンプルに理由を述べると面白くないからかな。常にもうちょっとマシなことが書けたらと思う僕です。まあ、日記を書いてみましょうか、とか言いながらこれが続く可能性はかなり低いと僕はにらんでいるのですが、あまり気にせずに書いてみましょう。
村上春樹の『使いみちのない風景』という本を読んだり。心の中に、何かに役に立つわけでもない風景が、存在するというお話。写真が素敵でした。まあ、文庫サイズだと写真が小さいのが悩みの種ですが……。電子書籍なら拡大とか出来るようになるのかな。できたらいいですね。
使いみちのない風景が自分にはあるだろうかと考えてみます。というかあれですね。風景を使おうと考える時点で、すでに人物が限られてしまう気がしますね。記憶の中にある風景を使う職業って、芸術家ぐらいじゃないでしょうか。まあ、だから僕にとっては覚えている物はほとんど「使いみちのない風景」みたいなものでしょうか。
ただ、思い返すと心がやわらぐ、とかそういうことはあるかもしれませんね。今のところ僕にはないですけど。絵として捉えるってことがないかなあ。今思い出そうと思えば色々な風景は思い浮かんでくるけれど……。鮮烈な光景が記憶の中に潜んでいないと言うのは、つまりそれぐらいの目でしか風景を今まで見てこなかったという事で、悲しいことではありますね。
この本を読んでいて素晴らしいなあと思ったのがこの部分。『僕は思うのだけれど、人生においてもっとも素晴らしいのは、過ぎ去ってもう二度と戻ってくることのないものなのだから。』さあ、どういう意味かな。よくわからないけれど、これを読んだ時は結構ジーンとしました。そうだよなあって。
でも二回目に目を通した時、三回目に、四回目に、と何度も読んでいくうちに最初の感動を味わう事はできなくなっていく。慣れですけど、よくあることです。逆に何度体験しても同じような感動が味わえることってあるのかな。落語とかそんな感じに近いような気もするけれど。
さて、他にも色々読んでいます。十冊ぐらい同時に読んでいるかもしれない(誇張)。Amazonで注文したスティーヴン・キングの本が続々と届いています。人生初スティーヴン・キング。どうやらキングの真骨頂は短編にあるらしいのです。『ゴールデン・ボーイ』から読み始めようかしらん。新潮の文庫なのだけど、表紙が怖い。この怖さが、スティーヴン・キングを僕が読んでこなかった理由だと思われます。
怖い物が苦手で、絶対に近寄りたくないと思いながら日々を過ごしています。子供の頃は夜に車を見ると何やら顔に見えて、しかも表情がかわらなく恐ろしいので(昼間見ると平気)夜は外を出歩けないぐらいのビビリでした(いつまでそんなんだったか不明)。今はもう怖くありません。そうか、これが慣れか……。
書こうと思えばまだまだ書けるんですけどどれぐらい書いたらちょうどいいものなのかよくわかりません。何度か書いて行けば調子がつかめるものなのでしょうか。とりあえず今日はこんなところで終わりにしてみます。