基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

笑いとユーモア

これは良い本だなあ。たまたま古本屋をのぞいたら、あったので買ってみましたが、今だとAmazonで中古本がいくつか出ているだけのようです。1986年発行。どんな時に笑うのか、笑いって何なのか、ということにはずっと興味があって、そこから手を伸ばしてみたのです。

何より凄いのは、その具体例の多さ。ジョーク集、なんていうレベルではありません。狂言、落語、海外のジョーク、リンカーンのような実在の人物が言ったジョーク、漫才、全てが実例を取り交ぜて語られており、その数は100から200ぐらいあるんじゃないでしょうか。200はさすがにないか……。

具体例が多いのは、笑いという多面的な概念を説明する時に、一言二言の定義ではとても表現しきれない、という考え方からです。なるほどたしかに、笑いというのは同じものを別の面から見た時の意外性を狙ったものが多くあります。

たとえば、ユーモアを無条件でよいもの、笑いが人をつらいところから救ってくれる物とだけ安易に考えている人は、物事を一面的にしか見ることが出来ないという意味で、その時点でユーモアのセンスがないんです。ユーモアには人を傷つける笑いがあります。風刺もそうですし、日本ではよくみられる、人とは違う人間を笑い飛ばすことで同じようにならそうという攻撃的な笑いもあります。

同じ一つの出来事でも、喜劇的な場面には悲劇的な側面があり、どちらを視点の主にするかで表現はまったく変わってきます。その例では、本書で紹介されているイギリスのユーモアとか、結構面白かったです。

第二次大戦当時、ドイツ空軍はイギリス本土の主要都市にはげしい爆撃をしかけました。とくに首都ロンドンは、一九四〇年九月から翌年にかけて昼夜をわかたず爆撃を受け、夜間爆撃だけでも五十七回を数えています。このとき、建物を大破されたロンドンのある百貨店が、
「平常どおり営業。本日より入口を拡張しました」

こんなのもあります。

やはり、第弐次大戦で日本軍がシンガポールを攻撃したとき、イギリス人は「イギリス兵一人は日本兵十人に相当する」と豪語していましたが、案に相違して、シンガポールはあっけなく陥落してしまいました。「日本兵は十一人でやってきた」というのがそのときのイギリス人の言葉です。

自分たちを苦しめる状況に対して、笑いで反撃をこころみるのがイギリス流のユーモアといえそうです。苦しい状況の苦しい場面ばかりを見ないで、苦しい状況の中にも良い場所を探そう、視点を変えて物事を見てみよう、という思想が、最初の例のようなユーモアを生むようです。しかし建物を大破させられておきながら、この返しは凄いですね。

しかし、そうやって見方を変えることによって、悲惨な状況ばかりに目をやって、ずっと緊張状態が続くのを、解放させる効果があるのでしょう。そうするとユーモアで心にゆとりを、のようなことだと思いますが、ユーモアは、基本的には余裕がある状態からしか生まれません。どうしようどうしよう、と頭が真っ白になって一つのことしか考えられない状況では、多面的な物の見方なんてとても出来ませんからね。

簡単にいってしまえば、ユーモア感覚は、あらゆる種類の心の束縛から解放されるための一つの能力です。それは、固定観念や先入観をとりのぞき、アイディアをひらめかせ、表面の現象にとらわれないで、かくされた真相や実態を見ぬくことのできる知性の一種です。そして、ユーモア感覚がもっとも力を発揮するのは、困難、逆境、対立、被害など、マイナスの事態が身のまわりに起こったときです。ユーモアの感覚は決して道徳的、倫理的感性ではなく、もっと実用的なものであり、いってみれば、足が速いとか暗算が得意というのとほぼおなじレベルの能力です。
 人は生きる為の知恵としてユーモア感覚を磨き、あるときはそれを武器として戦い、あるときはそれを精神をささえる糧とします。そしてそれは、人のためでなく、まちがいなくその人自身のためにある一つの能力なのです。

僕も、自分自身のためにも、余裕を忘れないようにしよう。

笑いとユーモア (ちくま文庫)

笑いとユーモア (ちくま文庫)