断定(「かれは立派な少年である」、「それは美しい礼拝であった」、「野球は健康によいスポーツだ」、「彼女はウンザリするような人間だ」)は、前もって観察したたくさんの事実を要約しての結論である。よく見る例だが、学生たちは要求された長さの論文を書くということをむずかしがるのである。そのわけは、初めの一、二節を書いてしまえばかれらの考えはそれで尽きてしまう。それら初めの一、二節があまりにも多くの断定を含んでいるので、ほかに言うことがなくなってしまうからである。注意深く結論を避け、その代りに観察した事実をまず書けば、枚数の心配はなくなる。実際、かえって長くなってしまう。書くことに慣れない者は、事実をのべよといわれると、必要以上のことを書いてしまう。それはかれらには重要なことと取るに足りないこととの見分けがつかないからである。『思考と行動における言語』
読んでいてなるほどーと思ってしまったのでタッタッタッタとパソコンの前に走り寄ってパタタタタタとタイピングをして書いております(無駄な事実)。本の感想にたとえると、「この本、どうだった?」「とってもおもしろかった!」で会話が終わってしまう感じでしょうか。しかしそのとってもおもしろかったに至るまでにいくつかの自分の中に湧きおこった要素を経ているはずですので、それを体験していない人にはおもしろかった! とだけ言っても何も伝わりません。せいぜいそれを聞かされた方は「で、何が?」というぐらいしか出来ないでしょう。
で、何が? の部分を伝えられるように書くことこそが、まず普通の文章というものでしょう。次に、引用した部分でも書かれている事ですけど、取捨選択をすること。すべての要素を伝えるのではなく、重要なものと重要でないものを選別すること。文章がうまい人ほど、文字数が少なくてもおどろくほどいろいろな事が書けるものです。優れたものほどスマートです(滝のように文章を書きまくるのに凄く面白い人もいますが、それはそれで洗練されているんでしょう)。これって、結構いろいろなことに応用できそうだなあ。
- 作者: S.I.ハヤカワ,大久保忠利
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