基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代

正直くだらない本だけど言っていることには最終的に頷いてしまうそんな本。しかし同じことを20回ぐらい何度も何度も「すでに述べたことだが」と繰り返して言うので、きっとこの著者は読者を凄まじい馬鹿だと勘違いしているのかもしくはそんなに重要な事を言っていると勘違いしているのか、もしくはページ数を稼ぎたくて仕方が無いのだと思いながら読んだ。それぐらい同じ話が多くて、まとめたら20ページぐらいで終わってしまいそう。

その何度も繰り返される部分とは、誰もが同じ価値観、ブームにのっていればよかった時代に比べて、近代は価値観が相対化され様々な価値観が生まれた。誰もが同じ価値観で生きていた時には、人から認められたければすることは決まっていてそれを地道にやっていればよかったが、近代では承認を受ける為の基準がばらばらな為、コストが高くなってしまっている。

もはや多くの人間に認められることは叶わず、身近な小集団の価値観の中で認められるほかなくなった人たちは、どの時代よりも自由を謳歌できる瞬間を生きているというのに、行きたくもない飲み会に行き、付き合いたくもない友だちと付き合い、言いたくもないおべっかを使って、承認を維持しなければならない。

これが現代の「自由と承認の葛藤」であるという。社会的な承認を得る為には自由気ままに生きるわけにはいかなかったのだ。そして承認を受ける為に「ありのままの私」を押し殺して周囲に合わせるような環境が、現代の神経症を産むのだとかなんとか。

この問題には解決策は大まかにいって二つしかないだろう。つまり、他者に見せる自分を変更するか(本書のように言うならば社会的承認の為に自分を殺さず、好き勝手にふるまう)、あるいは他者に見せたい自分に自分自身の性質を変更してしまう事である(くだらない飲み会たのしー!)。

というように、承認を受けたいと思う欲求を満足させ、さらに個人の自由とのストレス無き共存を目指すのが本書の目標なのでしょうが、うーんどうなんでしょうね。承認を受けたいと思う欲求にねじ伏せられている時点で、それはすでに自由ではないんじゃないのとか思ってしまいます。そもそもそれぐらいみんな自然にやってるんじゃないの

もっとも承認欲求を完全に無視してしまったらそれはただの自己満足に過ぎないといって一刀の元にばっさりやられてしまっているわけですが。でもどうなんでしょうね。生きることなんて基本的に自己満の世界じゃないかな(笑)。あと面白いのが「ありのままの自分」を受け入れてもらえることこそが最大の充足みたいな事を言っていて、ありのままの自分っていったいなんなのと笑ってしまう。

ありのままの自分ってなんでしょうね? どんな意味でしょう? 幾つか考えていて思ったのは、要するに、常に隠されている部分が「ありのままの自分」にされてしまうんだろうなということです。つまり嫌いな人間と話している時ににこにことしながら心の奥で死ねッと思っている。こういう時「ありのままの自分」が抑圧されているというでしょう?

「ありのままの自分」という単語が使われた時それは大抵隠されて誰にも発見されていないという意味であって、まあごくまれに「ありのままを見せてる」とか言うでしょうか。隠さずに全部言っていると言うような意味だと思いますが、それ絶対嘘ですよね。

う〜んだからなんなのかな。正直ありのままの自分なんてくだらないと思うわけです。それって、いつも変わり続けているし、いくつもあるもんじゃないですか? あと他人の承認を、僕があまり重要視しないのは、人生において最も素晴らしいものは他人から与えられるものではなく、自分の中から創りだされるものだと思っているからです。

本当に承認って必要ですか? もちろん他者の承認を完全に無視して道端でしたい時にうんこをしろとかそういうことではありません。他者がいなければ生きていけません。褒められれば嬉しいです(大抵見当違いだけど)。しかし好かれる必要なんかどこにでもないのでは? 褒められなくて、何か問題がありますか?

そういう根本的なところで本書とはあまり合いませんでした。いや、でも最後のところでは意見があってるんですよね。不思議と。よくわからないなあ。

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)

「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 (講談社現代新書)