基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ねじまき少女

圧倒的。何もかも素晴らしい。今年のベストはもう決まったも同然だ。これ以上の作品が出てくるっていうんだったら、僕はもっと本が、というよりかは、小説の事を好きにならざるを得ない。この『ねじまき少女』はヒューゴー賞/ネビュラ賞/ローカス賞/キャンベル記念賞その他多数とSF関係の賞を総なめにしたというとんでもない怪物。

著者はパオロ・バチガルピといい、僕はまったく知らなかった。こんな凄い人がいたのか。コロラドの田舎で生まれたアメリカ人のようだ。中短編などを発表しながら高い評価を受けていたが、この『ねじまき少女』で前述したように賞を総なめにした。あらすじは以下の通り。

石油が枯渇し、エネルギー構造が激変した近未来のバンコク。遺伝子組換動物を使役させエネルギーを取り出す工場を経営するアンダースン・レイクは、ある日、市場で奇妙な外見と芳醇な味を持つ果物ンガウを手にする。ンガウの調査を始めたアンダースンは、ある夜、クラブで踊る少女がたアンドロイドのエミコに出会う。彼とねじまき少女エミコとの出会いは、世界の運命を大きく変えていった。

と、ここまでは上巻の裏表紙に書いてあるあらすじだが、実際にはこれだけだと話をほとんど説明していない。作中では二人が主人公というわけではなく、多数の人間の視点が変わるがわる入る群像劇のような形になっている。全ての国は拡張の時代が終わり、エネルギーを得る手段がなくなり、もはや身の回りにあるエネルギー発生手段はほとんど回転のエネルギーに頼っている。

その上病気が蔓延し食物を摂取することが極端に難しくなり、人々はどんどんカロリーを得ることが難しくなるじり貧の日常を送っている。それがこのバチガルピが描きだす未来世界であり、3・11を通過した後の日本で過ごしていると「エネルギーが枯渇した世界」というのはあまりにもリアルに感じられる。

あまりに素晴らしいのはその文章であって、冒頭部、アンダースンは市場で得体の知れないンガウという果物を見つけるのだが、そのなんてことないただの描写ですでに引き込まれる。一度引き込まれたら最後、最後の最後まで世界に取りいられたままだ。

この本を読んでいる最中に、横浜を歩いていた事があったのだけど、そこで突然この『ねじまき少女』の退廃的な、滅亡へと向かいつつある風景がオーバラップして、エネルギーを大いに無駄遣いしている現代の都市と、エネルギーが枯渇し、何もかもを節約しながら生きなければいけない状況について考えてしまった。

そう、何が言いたいのかと言えば、読んでいない時にでも現実を侵食してくるような凄まじい文章なのだ。文章についてその何が凄いのかを書くのは非常に困難なのだが、それはたぶん文章を読んだ作用というのは完全にその人の内部で起こっている「心の動き」のようなものだからだ。心の動きは文章化できない。

文章にも多くの種類がある。たとえば音楽のようにリズムに乗って読み進められる気持ちが良い文章は神林長平。たとえば情景が目の前に浮かんでくるような、しかもそれがめちゃくちゃ美しい文章を書く人と言えば飛浩隆。バチガルピはそのような僕の「文章が大好きな作家たち」の一人に明確に食いこんできた。

何度も何度も読まないとこの文章について書くことはできそうにない。どんどん翻訳されていくことを願う。

文章についてはこれぐらいにして、その世界観について。恐らくこれは「本来あったかもしれない科学技術によって超発展を遂げたSF世界のバッドエンドルート」なのだと感じる。読み進めていけばわかることだが、この退廃的な夢も希望もない世界がしかし、一歩道を間違えてこのようになってしまったことがわかる。

道を踏み外しちまってバッドエンドルートに行ったようにしか見えないジリ貧の世界だが、その分生きようと懸命に考え続ける人たちの思考は映えまくっている。最悪の世界なのだが、そこにはなにがしかの希望がある。最後まで読んでもらいたい。きっと、美しいと思えるはずだ。

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)