読む前は知らなかったのだがどうやら、結構1969年から読み継がれてきている本らしい。話題があまりにも古いので途中で発行日を確認したら1969年でびっくりした。内容は知的生産(既存の情報を組み合わせて新しい今までなかった情報を生み出す)為に必要な諸動作を、エッセイのように思い出を語りながら書いていく感じ。
その半分ぐらいは新聞のスクラップとか、資料のファイリング方法とかタイプライターの話で、正直今読んでもどうしようもない方法論ばかりなのだが、しかし当時の状況? 苦悩が伝わってきて少しだけ面白かった。
たとえばタイプライターしかこの時代にはなかったようなのだが、最初はアメリカで開発されている物を日本で使っているので、当然ローマ字しか打てなかった。そうするとローマ字派といったものが出て来て、日本語を全部ローマ字にしろ、などといったらしい。
しかしローマ字で日本語を打つと当然の如く読みづらく、しかしそのおかげかローマ字でもわかりやすい表現を心がけるようになり、文章力があがった! なんていう話もあったり。そうか、やっぱりどんな文字を使うかによって、文章力
のちにカナ文字を打つタイプライターが出てスゲー読みやすい!! でもわたしはひらがなで打つタイプライターを論文で発表しましたとかどや顔で(想像)書いているし。この人現代にいたらどーなってしまうんやろ。
エッセイ的に「学び」「生産」に焦点を当てて語っていく部分は非常に面白い。たとえばこんな部分などである。『いまの学校という制度は、学問や芸ごとをまなぶには、かならずしも適当な施設とはいいにくい。今日、学校においては、先生がおしえすぎるのである。』
学校というのは1969年から現在においてもさほど変わっていないようだ。たしかに学校というのはあまりにおせっかいなところで、放っておいてくれよと言いたくなるような煩わしいところだが、あれってなんだったんだろう。おせっかいに教えられまくった挙句、受ける生徒側は自分から学ぼうという意欲、その技術がなくなっていくのである。
本書が教えるのは自分から学ぼうと考えた時に、いったいどのようにして学ぶのかという「学びの方法」だ。この「学びの方法」の根っこのところにある思想は、たぶん「記憶するな、記録しろ」ということに尽きるのではないか。人は誰しも物事をずっと覚えておくことはできない。覚える為に記録するのではなく、忘れる為に記録するのだ。
たとえば本書で何度も紹介されているのは「カードを作る」ということである。日々考えた事をカードに書き、それを整理し分類していくのである。何度も何度も書いていくと、すでに書いたことをもう一度書いてしまうこともあるが、実はこの「もう一度書いてしまった」という気づきこそが重要なのだ。
記録を取り整理することで一度考えて「すごい発見だ!」と喜んだことを、数日後にまた考えて「すごい発見だ!」と考えずに済むようになる。同じ場所をぐるぐると回り続けなくてもよくなる。著者の方は、日記、読んだ本の所感、といった記録をとれそうなものは全部カードにして分類しているそうである。
本書にはカードの実際的な作り方、日記の書き方など具体的な方法論も書かれているが、やはり細かい部分に関しては実際にやってみるほかはない。僕はブログを書いていて実感しているが、自分の記録を取るという事は思いのほか重要なことである。
記録をとる。それを整理する。整理されたそれを見て、知的生産を行う。これは自分の人生を前に進める為に必要なことなのだと思う。
- 作者: 梅棹忠夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1969/07/21
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