基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ベスト・オブ・映画欠席裁判

いやー面白い本を読むと魂が洗われるね。人間がぎゅうぎゅうに詰まった満員電車に乗って、ぼかぁ家畜以下だよとほほと思いながら世を生きていても、一冊の面白い本があれば気にならないんだよ!! そういう心洗われる本はあまりないのだけど、この『ベスト・オブ・映画欠席裁判』は当たりだー。

タイトル通り数々の映画を被告と称して、映画評論家の町山智浩さんと柳下毅一郎さんの二人がこき下ろしたり褒めたりするんだ! タイトルにベスト・オブとついているのは今まで出た映画欠席裁判の傑作選なのだからみたいだ。傑作選といっても、とても分厚くなっていて550Pもある。でも終わるのが悲しいぐらい面白かった。

まあだいたい僕なんか年に5本も映画を見ないような人間なので、ここで被告に上がっている作品って2つか3つぐらいしか見てないんだけど、でも面白いんだ。そもそも、評論本を「終わるのが悲しい」なんて思うことって普通ないからね。だからこれは評論じゃないんだよ。いい歳こいたおっさん二人が自分の好きな映画や嫌いな映画についてだらだら駄弁っているだけなんだ。ほんとにそのまんま。

でもなんだろうな、映画ってそういう「みんなで見に行って、そのあとでだらだら語り合う」ことによってはじめて一つのイベントとして完結するものなんだよね。特に年に5回ぐらいしか映画館に行かない僕なんかはそうだ。そうはいっても特に知識がなかったり語り慣れていないと「まあなんか面白かったね」とか「つまんなかったね」ぐらいで終わってしまうものなんだけど、知識がある二人がそれをやると面白くて面白くて……。

とにかく歯に衣着せぬ物言いでけなすけなす。このやりとりがとてもスピーディに流れていくのだけど、ふたりとも「あの映画の冒頭って知ってる?」とどちらかが語ればすぐに「ああ、こういう始まりでしょ」って答えられるようなデータベース持ちだから情報量が半端ない。調べてないのに異常な密度で会話が展開していくのだ。このかけあいは古今東西あらゆる作品が蘇ってくるからとにかく面白い。

その即興のかけあいから生まれる漫才が笑えるのだ。オチに至るまでの流れがあるパターンが一番おもしろいのだけど、そんなに長々と引用すると怒られてしまうのでごくごく短いやり取りを引用してご紹介しよう、たとてばこんなの。※ウェインが町山さんで、ガースが柳下さん

ウェイン で、『インビジブル』は面白かった?
ガース 傑作ですよ。あなた透明になれたら、まず何しますか?
ウェイン え、テヘヘ。
ガース 何テレてるんですか? もしかして女湯覗き?
ウェイン お前、エスパーか?

この中学生丸出しのやりとり! しかもこのあと『インビジブル』は人は透明になったらまず痴漢をするという本質を描いた哲学的作品であるとつなげているので話し的にも問題なくつながっているのだ! すごい! くだらない! 他にも山田風太郎の作品に出てくる小さい頃からうんこ食わされて育てられた忍者の話をしたり、A.I.が好きな町山さんとA.I.がすきじゃない柳下さんのかけあい。はたまたやおい本に出演をはたした(同人誌だけど)柳下さんと町山さんがどっちが攻めだった? 受けだった? と盛り上がるなど名場面がたくさんある。

読むと確実に笑うだろう。二人とも仕事でも私生活でも、映画に多大なる影響を受けているぼんくら人間であり譲れない部分で激突するのがまたおかしい。議論なんてのは大まじめにやるもんじゃなくて、冗談交じりで酔っ払ったようにやるべきものなんだよ、だってどっちが勝ったとか負けたとか本当にくだらないもんな。町山さんはよく喧嘩していて、正しいことを言っているようにみえるがくだらないと思うよ。

あとこれは主に町山さんだけど、評論家観が語られているのもまた面白いポイントであった。町山さんの凄いところは主に有言実行というか、発言に責任を持つところなんだけど(だからここで語られている評論家論も、そのまま町山さんの評論にぴったり当てはまる)きっとその責任感の強さがあるからいくとこまで行っちゃうんだろうな。

 評論家の仕事は、まず作者が意図したことは何かを作者本人の言葉や資料を通して確認すること。その次に、作者の意図を超えたロンを展開することなんだけど、その一番目のしごとをやらないで自分の感想だけ書いてる評論家がいかに多いか。

もっとも現在とはかなり異なったことを言っていることもある(笑)

 評論家なんて「誰を評価したのか」ってことでしか評価されないんだぜ。だから新しい才能、作品を見つけるために海のものとも山のものともしれない映画を観まくるしかない。だって最初は誰だって新人だから、低予算のインディーズか、ロジャー・コーマン制作のゲテモノしか創らせてもらえないからね。その九〇パーセントは本当のクズだろうけど、そのゴミの山に新しい才能や表現が埋もれてるんだよね。評論家と称してタダで試写観てる以上、お金やヒマがなくて月に数本しか映画を観ることのできない一般人の代わりにゴミの山漁るのが仕事だろうってのよ。

それが最後のあとがきではこうだ。

ウェイン あのさ、この最終回を見てよ。5本とも観てるのは柳下だけで、オイラは話を聞いてるだけだ。カラッポなヒット作を無理して観るより、ヴァーホーヴェンスピルバーグが作るドロドロした映画だけを観てたほうが健康にいいよ。 (中略)
ガース それが現実だよ。それを直視しないあんたは、試写会でふんぞりかえってる他の映画評論家と同じだ! もうFBBは終わりだ! 僕は映画観に行ってくるからね!

もっとも町山さんの言では、むかしはゴミの中に宝がまぎれていたが、今はもうないということらしい。そして柳下さんに言わせれば、それは本当はゴミじゃなかったのだ。そして今はゴミのような映画を喜んで供給する人間に社会は支配されていて、批評家はそれを観て、正当に批判しなければならないと柳下さんは訴えているのだ。

批評家でもなんでもない上に映画をほとんどみない僕はぶっちゃけどうでもいいのだが、熱い、熱いぜ。物理的にも今外は暑いんだけどさ……。批評家の在り方なんてのは幾通りもあるもので御ふたりとも自分の信じる道を進んで欲しいと思った。でもさ、ダメな映画をみると健康に悪いっていうのはほんとにそうだと思うな。そして柳下さんのいうことも、もっともなのだ(無難な落とし所)

ベスト・オブ・映画欠席裁判 (文春文庫)

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