『ロングテール』『フリー』とたて続けに時代を象徴するような本を出してきたクリス・アンダーソンの新刊『MAKERS―21世紀の産業革命が始まる』をさっそく読みました。フリーが割と虚仮威しの内容だったこともあってそこまで期待していなかったんですけど、予想外の角度からの一撃でたいへんおもしろかったです。相変わらず具体例多すぎで、中身が無いけど読ませる技術がすごいからついつい読んでしまいます。
予想外の一撃とはどういうことかといいますと。前著であるフリー、ロングテールという流れがあったので「MAKERSもたぶん情報化社会で音楽とか文章書きみたいな作り手が〜」とかそんな感じの話なのかなと思っていたんですよね。でも本書で語られるMAKERSとは、情報の世界の作り手の話ではなくアトム、物質の製造業とフリー、ロングテールで語ってきたことを接続する話です。物質の世界と情報が繋がりつつある世界像の提示に、読んでいて興奮しました。
かつて起業家になるのはたいへんなことでした。蒸気機関を作るのに、あるいは簡単なスプリンクラーの発明でさえ特許をとって大量生産し流通に載せてと、ひとつひとつクリアすべきノルマと必要な資金料を考えると、具体的には想像できませんけどとんでもなくたいへんだというのはわかります。
当たれば大きいけれど外せば即路頭みたいなハードな世界です。しかし今ではソフトウェアの世界なら、極端な話パソコン一台でコードを組むだけでそれを商品化できます。それも今では無料の教材があるので簡単に学べるうえに、発表すれば即座に数十億の人間に向けてリリースできるわけで、情報化社会は起業というか発明のしやすさを加速度的に増やしました。
一方物質的な意味での起業は未だに、ソフトウェアのように「個人で、ニッチに向けてもマスに向けても、手軽に発明」できるとは思われていないでしょう。蒸気機関車レベルでなくとも、物を作って売るためには工場を作って〜と考えだした時点でその為の資金集めに頭を抱えそうになります。しかしその流れは変わってきている、ウェブで起こってきた起業と経済成長を加速させるサイクルがアトムの世界でも起こりつつある……というのが本書の骨格になります。
どういうことか? ちょっと前にインクジェット時代がきた! 液晶テレビも骨も作れる驚異の技術 - 基本読書この本を紹介しましたけど、タイトルにある通り今やインクジェットプリンターがあれば、デジタルデータをボタンひとつで「立体」として出力できるんですよね。実際にどのようにそれが行われるのかはリンク先を読んでください。
これを書いた時に僕は『ものづくりでちょっと面白い技術があるなあという話でした。この技術が破壊的なイノベーションになってすべてを一変させるか? というとまったくよくわからないんですけど』とかのんきなことを書いていましたけど、米国ではもうこの流れが主流となって物質のデジタルな製造が盛んに行われているようです(クリス・アンダーソン氏もまさにこの製造業イノベーションを楽しそうに実践しして、しかもその企業は数百万ドルを年間で売り上げる規模の会社に成長している)。
二十世紀の物づくりの主流は大量生産、大量消費でした。標準化された部品、仕組み、がっちり組まれた組み立てライン。そしてそこから生み出される大量の商品。これらはいったんラインを創りあげるのに莫大な費用がかかるものの、一度動き出せば実に効率良く物を作り、売上をあげてきました。その一方で「多様な」選択肢は望めなかったわけです。たとえば「紫色のフォード」なんて望むわけにはいかないですよね。
いくら3Dプリンタが個人の手に入るようになって、CADなどの3Dデザインソフトを使ってポチっと自分好みの立体が作れるように成ったといってもこの二十世紀型の大量生産は不可能です。組立ラインは大量に作ることによってどんどんコストは安くなっていきますが、デジタルな物づくりはどれだけ作っても1つあたりのコストは変わらないので大量生産には向いていません。
その代わり個人に向けた、ニッチな、あるいはそこまで多くの顧客がいなくても、でも確かに存在している顧客へ向けた製品をつくることができます。そしてそういう少数派の顧客は二十世紀型物づくりから無視されて、顧客への流通経路は失われてきました。いわば「穴場」でした。そしてこの時代、「消費から経験の時代」だと云われています。経験をもう少し違う言い方でいえば、「自分だけのもの」です。いま「自分だけのもの」を求める傾向が強まっています。
なぜそうなのか、というのはこの記事で僕の考えを書いています。⇒ただ消費する消費者が経験と創造を求め始めたのはなぜだろう - 基本読書。ただソフトウェアならともかく、前述のとおり物質的な意味での「自分だけのもの」を得るのは困難でした。しかし、3Dプリンターを始めとする製造業に起こった変化でこの状況が改善されています。これがちょっとびっくりするぐらいすごい。
家庭用の3Dデザインソフトには、CADソフトでデザインしたものを、「ローカル出力」する(自宅の3Dプリンタかその他の機械で試作品を一個作る)か「グローバル出力」する(製造サービスの会社に送って、一定個数を生産してもらう)という機能があります。面倒な手間は一切無く、クレジットカードを使ってお金を払うだけで「製造業」の立ち上げができるわけです。一個作るか千個作るかはもう「いくら払うか」の問題でしかなくなりました。ソフトウェアで起こったことが、リアルな物づくりの現場で起こり始めている。
いま「デジタルな世界」と「物質の世界」が繋がりつつある、というとその凄さが少しは伝わるでしょうか。最近しきりと云われていることのひとつに銀行やソフトウェアのような知的な情報産業が好調だ、というのがありそれは一面の真実として、実際そのとおりです。しかし世界経済の中ではまだまだ情報産業の売上規模は20兆ドル程度だそうです(経済全体は130兆ドル)。つまり物質の世界は情報世界より未だに5倍程度は大きいことになります。
そして今や情報の世界より5倍も大きい製造の世界を、「生産手段」を大資本家が支配していた時代が終わり、個人がマウスのクリックひとつで製造工場を動かせるようになってきています。『産業が民主化され、企業や政府やその他の組織によって独占されていたものが普通の人々の手に移るとき、変革が起きる』ソフトウェアで起こってきた革命が、今まさにハードウェアで起こりつつあるのでしょう。
『フリー』は基本的に情報の世界のみの話でしたけど、このMAKERSは『フリー』と『ロングテール』を「物質の製造業」に結びつける話で、そしてより経済に影響が大きいのはまさに世界の80%を支配しているこの「物質の世界」なんですよね。『フリー』より重要性では上かもしれない。いやあ僕もなんか作りたくなってきちゃいました。
- 作者: クリス・アンダーソン,関美和
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2012/10/23
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