欠陥製品というやつは物体であるからして、その欠けているところはすぐにわかるようになっている。そこにきたら翻訳というやつは欠けているのが一目ではわからないことが多いし、原文と付きあわせなければ何が真に問題なのかも断じてはいえない。しかも読者としては翻訳にはけっこうな信頼を置いているものであって、いかに読みづらかろうが意図がとりづらかろうが「自分の問題なのかなあ」と思ってしまいがちである。
本書は「翻訳」に対しての誤訳の指摘で、もう10年以上前に出た本なのだが、これがおもしろかった。とんでもない誤訳が出てくればそれを読んでげらげらわらえるし、単純に僕自身の英語力があまり高くないこともあるので、ある誤訳にたいして「これが違うのはこれこれこうで〜〜」という解説がいちいちなるほどなあと勉強にもなる。
ひどいのはたとえばE=mc2、あの有名なアインシュタインの相対性理論についての説明で、『発生するエネルギーは、光の速度の自乗で繁殖して、失われる質量と常に等しい……』などというものが出てくる。繁殖とは明らかにおかしいがmultipliedをそう訳してしまっているようである。これは辞書をひくと確かに繁殖するという意味もあるが、この場合は「かける」の方である。
他にも放射性能の実質と訳されているところがradioactive substances で「放射性物質」の意味だとか、「へえそれは知らなかった」というものから「まさかそんなものを間違えるなんて」というものまで様々。うわあ、翻訳ってひどいのがいっぱいあるなあ、それに気を抜くとすぐに誤訳って起こってしまうんだなあ、と読んでいると戦々恐々である。恐ろしくてとても翻訳家にはなれそうもない。
本書を読もうと思ったきっかけはとんと思い出せぬ。どこかで紹介されていたのはたしかなんだけど……。最近はこういう誤訳への指摘って出てるのかなあ。某映画の字幕家とか、某魔法使いベストセラーの翻訳家とか、世の中に蔓延る欠陥翻訳は決してなくなってはいないはずなのだが。過去からそのまま踏襲されている欠陥翻訳まで含めて。
本書の著者はこれを翻訳の批評などといっているけれど、どうかなあ、ただ単に誤訳をしているだけであって、批評というものでもない。ただの誤訳批判だろう。批評というのであれば文章のリズムであるとか、意図をいかにしてその翻訳が見抜いているか、といった本当に技術的な部分への指摘をしていただきたいものである。
僕も最近洋書のレビューなどはじめて、英文を引用する機会があるのだができればそれを日本語訳したいものだと思う。しかしそこでふと思うのだが、翻訳というのはえらく難しいのだ。言語と言語を入れ替えるのがこんなに難しいなんて。直訳するとなんだか硬いし意味がわからないし、かといって自然に補完するのもためらわれるし難しい。意図の把握が間違っていやしないかとひやひやものである。
それをさらに著者の意図どおりに、仕掛けを全部入れようとしたら……たぶん途方もない能力と、労力が必要とされるだろうなあ。もとより翻訳なんてものは「絶対にこれが正しいたったひとつの冴えた翻訳」が存在しないんだから、そうした意味で言うとすべてがある程度の誤訳を含んでしまっている。完璧な翻訳など存在しない、しかしそれでもできるかぎり良い物を目指して、プロの翻訳家というやつは前進していくのだろう。
本書のような本を読むと翻訳された本への見方がかなり変わるはずだ。訳が悪くて意図がまったくとれないのに「自分の理解力が悪いんだ」と誤解することほど馬鹿なことはない。
- 作者: 別宮貞徳
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1996/05
- メディア: 文庫
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