基本読書

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謎の独立国家ソマリランド by 高野秀行

これはもうちょーーーー面白くて読んでいる間何度もげらげら笑い、驚き、そして最後には笑いながら泣いた。無政府状態が続き海賊が跋扈し「リアル北斗の拳」状態と噂されている崩壊国家の北に、十数年も平和を維持しさらには「まっとうな」民主主義を行なっている奇跡的な国がある。その名をソマリランドという。しかし国際社会では国として認められていない。ソマリア内でも、その独立をまったく認めていない人間、怒っている人間、認めている人間と雑多極まりない。

わざわざ「まっとうな」民主主義と書いたのは、実際民主主義制度にしたがって選挙を行なっているように見える国でも、その内情は不安定であり、まったくシステムとして機能していないことがありえるからだ。先のエジプトで軍が実質的なクーデタを起こしたように、気に入らねー大統領がいて、気に入らねー政策が実施されそうになったら選挙を待たずに「引きずり下ろす」ことが当たり前とかしている国の民主主義は、形だけ同じでも「まっとう」とはいえまい。

ソマリランドはまこと正しい意味でまっとうな民主主義国家であるようにみえる。そうした不思議国家ソマリランドに著者は取材を敢行し、現地に密着することでその国の「肌触り」みたいなところまで文章に起こそうとする。その体験記がもう、楽しくて楽しくて。思わず氏の他の著作を買い集めてしまったぐらいだ。どれもおもしろいが、やはり本書が技の冴えも、取材先のとんでもさも群を抜いていると感じる。

ソマリランドではカートと呼ばれる麻薬のようなものがあるのだがこれに浸りきりになったり、平和なソマリランドだけでなく危険な南部ソマリアにいって銃火をくぐりぬけたり、海賊国家プントランドにいって自分が海賊を雇い日本の船の航路をゲットしていくら利益が出る……というような見積もりを始めたりする。

難民キャンプにいってみればガイドに金をちょろまかされ、追求してみれば捨て台詞として「タカノ、いいか、俺には俺のやるべきことが何かわかっているからな」と残される。「あれは”お前を殺す”って意味よ」とまりあんがまた耳元でささやいた。「わかってる」と答えるしか無い。 プントランドでは銃声がひっきりなしに聞こえ、著者が注意を向けると護衛の兵士が「心配するな。ガルカイヨ・ミュージックだ」と笑うなど、なんて恐ろしい世界だ。絶対に自分で行く気分にはならない。しかし人の体験談として聞くと面白い。

行ってみなければわからないようなその国の内情に満ちているのも楽しいところだ。たとえば海賊国家プントランドでは、身代金が支払われると現地の人間にはすぐにわかるという。それというのも海賊は身代金をもらったことなど公言しないが、海賊はそれをシリングに両替するため、ドルレートが一気に下がる。だからレートが下がると現地の人は「あー身代金が支払われたんだな」とわかる。

海賊の雇い方もかなりパターン化されているようで見積もりもかなり簡単に出せる。必要なのはざっと海賊街での根回し経費、ボード代と海賊の日当、アタック期間中の諸経費、武器レンタル代。ここまでで合計400万ぐらい。それから成功報酬として通訳代(身代金交渉の為)が8%、協力者への支払いが500万円、現地の有力者への取り分が全体の40%。身代金として1億円儲かるのならばざっと粗利で4000万円以上でることになる。

身代金の引き渡し方や身代金の額は「船の大きさ、人の数、オーナの国籍」ではなく「積荷の種類(ベストは石油、洋服とか食器とか日用品はカネにならない)」であるとか、そうした細かいところの話が面白いではないか。人や国籍じゃないんだね。まあたしかに洋服なんかいくら奪われたってそう大した損失にもならないだろうが……。とまあこれぐらいパターン化されて情報が出てくる、それぐらい海賊業が一般化しているのだ。

問題は船の積荷やルートを確認するすべがないことだが、著者は日本で関係者に情報を横流ししてもらえばその問題も解決すると考える。驚いたのは、僕は著者がこれを純然たる取材の為に見積もりを出しているだけだと思っていたのだが、文章だけ読むと本気でこの海賊行為を働こうとしていたようにみえるところだ。まあ著者流のギャグだろうが読んでいてびっくりしたのは確か。

この晩は興奮でほとんど眠れなかった。俺はものすごいチャンスを掴んだのだという興奮だった。だが、カートの効き目が薄れるにつれ、テンションは下がっていった。冷静になってしまうからだ。
 どうしても引っかかるのは、この映像取材が海賊行為そのままだということだった。

カートをやっているとそんなこともわからなくなるのか!! と驚愕だがカートはどれだけ嗜んでも酒や他の麻薬とは違って明晰さは失われないらしく、よって車の運転中でももりもりやるという。本当に大丈夫なのか、カート。でもしょっちゅう著者がカートをやる場面が出てくるので、自分も是非いつかやってみたいものだと考えるようになってきてしまった……。

現場のリアリティ

危険過ぎる場所のレポが面白いのと、現地にいってしかわからない情報が面白いと書いた。テレビから伝わってくる情報だけではわからないことだらけなのは言うまでもないが、実際に自分でいって触れ合うわけにもいかないのでそうした体験記は貴重である。映像をとるマスコミは基本的にはわかりやすく伝えるために、既に人が持っている先入観を利用するからなおのことだ。難民=つらい=悲惨=やせこけているみたいな。

実際にはそこまでやせこけた人間はいなかったり、そもそも難民はひと目で難民とわからなかったり、カメラを向けると笑顔を返してくれたりすることが多いという。背中一面が爆弾が炸裂して真っ赤に焼けただれている子どもを背負っているにも関わらず母親がうれしそうに微笑んでいる写真もあるという。ようするに、こちらとは感覚がまったく異なるのだ、当たり前だが。

著者は難民が悲惨な状況から逃れてきて、ようやくたどり着いた「安全地帯」にいるから、そしてそこにいるカメラをかまえている外国人は、自分たちを助けてくれる人と認識するからこそみんな笑顔を向けるのではないかと考える。まあ、実際どうなのかはわからない。わからないが、そんな状況でも笑顔を見せるのが「現場のリアリティ」というものなのだろう。

本書には学術的なまとめや、ある事象に対する科学的な検証などはみられないが、まさにここまで簡単に述べたような「現場のリアリティ」に満ちている。高野秀行という作家は、この本を読んだあと片っ端から読み漁った結果わかったことだが、徹底的にエピソードの人なのだ。現場にいって、現地の人と深く交わって、そしてそこで起こったこと、見たこと、聞いたことを、面白おかしく文章に仕立て上げる。

彼の凄いところは徹底的に深く交わるところ、その為に言語を覚え、伝統に溶け込み、なんでも一緒にやるところ。そしてぎらぎらと目を光らせて(読んでいる時のイメージ)自身の持っている「テーマ」に沿った情報をあちこちから引き出そうとする、その異質な行動力と、普通人が見ないところに目を向ける「視野」と、高野秀行にしか出せない「文体」が彼の作品にしかない魅力を与えている。

そのあたりはぜひ本書を読んで確認してもらうとして……何よりよかったのはソマリの人間との交流だった。著者自身がカートをガシガシ食いながら交流をはかっていっただけあって、実に様々なソマリ人が出てくる。国とは制度であり、制度は伝統から産まれ、伝統は人間から産まれるんだなあと、ソマリの人間と著者とのやり取りをみていてよく感じた。とんでもな人間たちだが、とんでもなく魅力的だ。

いつか行ってみたい。そしてカートを食べてみたい。 ちなみにこっちもおすすめ⇒ダーク・スター・サファリ ―― カイロからケープタウンへ、アフリカ縦断の旅 - 基本読書

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド