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協力がつくる社会―ペンギンとリヴァイアサン by ヨハイ・ベンクラー

特に何らかの知識を得たいというわけでもなく、タイトルからなんとなく読んだが(読み始めてから気がついたが、訳者が山形氏であった)、これはなかなか面白い一冊。協力がつくる社会というか、協力ってなんて素晴らしいんだろう、そして利他的な行動をする人たちの動機を促すような設計パターンをお教えしましょう、みたいな感じの内容。

ある意見をマンセーする人の意見というのはたいてい何か他のものが見えなくなっているものだが本書もそれは例外ではなく。よくわからないが、利己的な遺伝子、利己的な存在が人間であるという考えに反抗している。もちろんまったく「人間は利己的な存在ではない」と言い切るわけではなく、「全体の過半数は、系統的に、有意に、確実に協力的な振る舞いを示すのだ。」といって人間は「利他的な動機によって協力する」ものであるという。

ようはこれが本書の基調であり、「利己的な人間ではなく、利他的な人間としての協力社会」、まあようは私利私欲で動く人間なんてそんなにいないんですよ、という話だ。

ただ著者のその「私利私欲への攻撃」は主に金銭関係のモチベーションが「万能ではない」ということを繰り返し述べているぐらいで、「褒められたい」「名誉を得たい」みたいな「金銭に関係しない」動機は称賛しているので「よくわからない」わけである。それって、特別区別するようなものかなあ、名誉欲や承認欲求を得たくて協力するのって、どんな角度からみても私利私欲のような気がするけれど。著者は私利私欲を「幻想」と予備「完全にはまちがっていないが、かなりまちがっている」というわけで、ははーそうですかというほかない。

これはどうでもいいんだけど、利己的であるということがなぜかいつも「悪いことである」という文脈で語られるのってなんかおかしいよなあって思うことがあったり。だって相手に好きになって貰いたいから相手に優しくすることだって利己的な行動なわけで、そんなことまで否定したらよくわからなくなっちゃわないかなあ。

ひとつ思うこともある。これは別に外資系で働いているわけでもないし、アメリカの企業にいたわけでもないから本から読んだ推測でしかないが、成果主義個人主義が骨の髄まで染み込んでしまっているせいで「飴と鞭による競争主義」が蔓延しすぎているから、わざとこういうふうに極端な物言いになっているのではzなかろうかという気もする。

ようは僕がこんなふうに違和感を覚えるのも、ほぼ勝手に協力社会が達成されてしまっている日本にいるからであって、アメリカ人からみれば、これぐらい直接的に、暴論的に言わないとわからないのではないか。それはビジネスの部分で主に対比されるのがトヨタGMであることからも推測できる。GMは怠け者の労働者はきちんと監視しないとサボると想定し、賃金が人を引き止めるので高い給料をCEOに払っている(組立ライン工の200倍)。一方の日本の自動車企業(トヨタや、ホンダや日産)は重役も内在的な報酬で動機づけられ、CEOの給料はGMの10分の1ほど、この結果は今やGMトヨタを見比べても明らかだというわけだ。

日本で仕事をしてその協力社会の成果(笑)をまじまじと実感している身からすれば「きっとトヨタもそんなにいいもんじゃねえよ」とも言いたくなるが、まあ隣の芝生は青いのか、いう感じではある。日本でも仕事環境については不満だらけ、外国へのあこがれだらけだけど、欧米だってそんなにいいとは到底思えない(現にこうして不満もたらたら出てくるし、どれも納得できる)。

とまあ基調そのものへの疑問はあれど、メインは「協力の素晴らしさ」である。まあ、たしかに協力すればできないことができるようになるのは2歳児でも知っている。たとえばトヨタカリフォルニア州フレモントに工場をつくったときの改革案が紹介される。組立ライン工場へ向かうときに、一人でいくのではなく労働者は五人チームで他のメンバーとコミュニケーションを持つ位置におかれる(最悪だな、と個人的には思うが)。

詳しく本書で説明されているわけではないのでわからないが、たぶんこの五人は一緒に向かうだけではなく常になんらかの行動を一緒にとるんだろう。学校の班分けみたいな感じか。で、同時に従業員は定期的に昼食で顔を合わせるようにする改革なども行い、ようは「必然的にコミュニケーションせざるを得ない状況」をつくりだした。「無数のマネジメント研究で、こうした手法が目に見える効果を上げることが示されている。」具体的な数字はわからないが効果をあげているらしい(笑)

これなんかは「協力」というよりかは「コミュニケーション」だけど、コミュニケーションによって協力の効率があがっているんだから似たようなものか。他にもトヨタの取り組みとしては超絶下っ端からも作業の改善提案を組み上げる仕組みをつくったりするような改善例や、従業員一人一人の権限をあげ利益よりも顧客への感情的な献身を求めたサウスウエスト航空、はたまた企業でなくともメイン州の漁師や農家が車などの資源を共有して使いまわす事例をあげて「協力する」ことの重要性をといていく。

WikipediaLinuxのようなオープンソースプロジェクトはもう何度も何度もいろんな本で言及されてきたからいまさら感はあるものの、そうしたものも協力が社会をより良いものにしていくことの実証例としてあげられていて、これを書いている今「やっぱりあんまり真新しいこともないなあ」と思えてきた。ただ「金銭以外の動機面を重視した協力が成立したシステム」として日本やその後の欧米を見ていく時におもしろいかもしれない。

「金銭的な利益以外を目的とした動機と協力」がやたらと本書では称揚されるけど、それだって行き過ぎれば「やりがいの搾取」や「人間関係が濃密すぎて何もかもやりづらい」社会になっていくわけで、問題はやっぱりシステム設計上どこに支点をおくのかっていう話に突き詰めるとなっていくのかな。

協力がつくる社会―ペンギンとリヴァイアサン

協力がつくる社会―ペンギンとリヴァイアサン