基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

プロット・アゲンスト・アメリカ by フィリップ・ロス

人間の一生、人間の理性なんてものは時代の流れに嫌でも影響を受けてしうまうひ弱なものだ。あまりにも当たり前の話だが、アインシュタインが石器時代に生まれていたら何もできない。ユダヤ人の虐殺が行われているときに、迫害される側として理性をいくら保っていようが、そして理性にのっとって正しいことを言おうが、無関係に暴力で駆逐されてしまう。スコットランドの独立が否決された世界に我々は今いるわけだが、もしスコットランドの独立が決まっていたら、それはそれでまたその影響を受ける人たちの人生に大きな進路変更を迫っただろう。時代に人間は流されていく。

本書『プロット・アゲンスト・アメリカ』は史実通りであればローズヴェルトが当選を果たしていたはずの1940年大統領選挙を、新ドイツであり反ユダヤ傾向で知られるリンドバーグが当選を果たしたらどうなるのか──を書いた架空歴史物である。本書はそんな中で、歴史を変えた重要人物をお話の中心に置くのではなく、ユダヤ人が集まる街で暮らす平凡な一家のまだ10歳にも満たない子供の語りで回想していく。そこにあるのは物事が劇的に変わっていくダイナミズムと興奮ではなく、時代の流れという大きなものの中で木の葉のように翻弄される無力な人間である。

リンドバーグが当選したからといって、即座に物事が変わり始めるわけではない。突如軍隊がやってきてユダヤ人の家族をひっとらえていく──なんてことにはならない。しかし反ユダヤの大統領がついたということで、まずユダヤ人コミュニティには激震が走る。そしてなんとなく、ユダヤ人は迫害してもいいのではないか、という空気が蔓延していく。それは最初はちょっとした態度の違いからあらわれていくものだし、街の中でのささいなつぶやきや個人同士の敵対行動かもしれない。しかし、少なからずユダヤ人に対する関わり合い方の変化が、じわじわと広がっていく様が淡々と描かれていく。

たとえばリンドバーグが当選を果した直後、一家がワシントンDCを訪れて旅行をしていると、予約していたホテルの部屋が突然キャンセルになっている。前金まで払って、確認までとれていたのに。「手違いでした」と謝られるものの、一家の長たる父親は俺達がユダヤ人だからなのだ、警察を呼べと喚く。ひょっとしたら間違いかもしれないと思いつつも、明らかにおかしいし、父親の憤りは痛いほどわかる。しかし、それを取り締まる人間もまたそうした空気にそまった人間であり、いくら正しいことを言ってもそれが受け入れられる土壌が存在していなければ無意味だ。

「おまわりさん、おわかりになってませんね。何でうちの予約が、そいつらの予約に譲られなきゃならないんです? 私、今日家族を連れてリンカーン記念館に行きました。あそこの壁にはゲティスバーグ演説が書いてあります。何て書いてあるか知ってますか? 『すべての人間は平等に作られる』」
「でもだからって、すべての予約が平等に作られることにはならないよ」
景観の声は、ロビーの隅にいた野次馬たちの耳にも届いた。もはやこらえ切れずに、何人かがゲラゲラ笑い出した。

これはわかりやすい「外部からの迫害」の例だが、個々人の家庭内、親戚内での積み重なる不和もじわじわと家庭に暗い影を落としていく。たとえば親戚の子どもで、両親がなくなったことから一家の元にきた男の子は、伯父さん(本作の語り手少年の父親)反ドイツ思想を開花させられ、ドイツでの戦争に加わるため家を飛び出し、結果的に重症を負ってあっという間に戦場から帰還することになる。親戚同士もリンドバーグを支持するか否かの反目が起こり、自分の命に関わることだけにここでも明確に縁を切るか切らないか、俺達は敵か味方か、といった大きな戦いが不和につながっていく。

こうした事態はほとんどが「ユダヤ人自身に、直接的に危害が与えられるわけではない」出来事だが、ある意味では物凄く恐ろしいことだ。リンドバーグは直接的には「ユダヤ人を狩る」なんて一言もいっていないのに、とうのユダヤ人側からしてみれば「あいつは反ユダヤなんだから絶対に絶対にヤバイ」と恐れるしかないような状況がある。かといって別に何もされていないのだし、リンドバーグの真意も読めない。いずれユダヤを排斥するつもりで今は策を練っているのか、はたまた本当はユダヤの排斥活動に乗り出すつもりはないのか。

「今ならカナダにだって移住できる。しかし仕事はここにあるし、友人たちも全員ここにいる。移動すべきか、まだ様子を見るべきか」という葛藤がどの人の胸の中にも存在して、「自分には情報があるから大丈夫だ」と言い聞かせている。しかし明日いきなり戒厳令と国外への脱出が不可能になるかもしれない状況があり、有力な政治家の一動作にも気をはって、常にラジオを気にしながらびくびく暮らすのだから、生活がぼろぼろになってしまってもしかたがないことだろう。こうした描写の一つ一つに、「時代のうねりの中で翻弄される個人の弱さ」が痛いほどに書き込まれている。

一方ユダヤ人以外の視点からみれば、リンドバーグは「絶対にアメリカをヨーロッパの戦争には巻き込まない」と反戦の姿勢を強く押し出して大統領であり、こうした姿勢は今の平然と武力介入を繰り返すアメリカにはない、「ありえたかもしれない、他国へ武力介入することなく自国を防衛することに注力する国家観」としての可能性を提示している。実際の史実ではローズヴェルトが大統領当選を果たし、当初はヨーロッパでの戦争にアメリカを介入させないことを公約したものの日本やドイツからの相次ぐ宣戦布告により泥沼的に戦争に引きずり込まれていく。

「ありえたかもしれない過去」を幻視することは、それ自体が今の我々の現実に対する点検的な視点を与えてくれる。もっともそんなコジャレたことを考えなくとも、本作は小説単体として、ありえたかもしれないアメリカを、著者の名前を冠したフィリップ・ロス少年と共に右往左往しているだけで存分に楽しめるものであるが。歴史に翻弄されるのが個人の常であるが、人間はみな自分に出来る限りの理性と判断力でもって正しいと思うことを選択していく。その決断が時として大きく間違っていることもあるが、みなが一所懸命に生きようとしたことに変わりはない。その有り様が美しいのだ。

プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが・・・

プロット・アゲンスト・アメリカ もしもアメリカが・・・