基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ドミトリーともきんす by 高野文子

日本では屈指の知名度と実績を誇る4人の科学者───朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹がそれぞれみんな大学生で、ドミトリーともきんすという寮に住んでいるという架空の設定で、それぞれの生活や、後に彼らが書く本の片鱗を伺わせるようなエピソードを重ねながら、そのまま本の紹介もさらっと入る、シンプルな「本と人物の紹介マンガ」である。マンガを描くのは高野文子。『るきさん』などで有名なその作風は、独特の力が抜けたキャラクタとかけあい、またシンプルな線と、独特なコマ割り表現で読んでいるとふっと気持ちが落ち着いてくるのだが、本作でも十分にその力量が発揮されている。

題材となる一人一人がみな大科学者であり、その著作の中身を1話5ページで表現するのは不可能である。ではどうやって表現していくのかといえば、ほんのエッセンスのようなものを拾い上げて、最後のページの半分を使って、取り上げた本の中から印象的な文章を引用して〆ている。たとえば朝永振一郎の『鏡のなかの物理学』を紹介するページでは、はしがきに書かれている『顔の前にかがみをかざして、それにあたりをうつしながら、家の中を部屋から部屋で歩きまわる。こういう遊びを子どものころによくやったことがある。こうすると、毎日みなれてたいくつなわが家が、見知らぬ別の家のようにみえる。それがたのしみであった』という部分をピックアップして、寮の中で鏡を持って歩きまわる朝永振一郎を寮母さんとその子どもと一緒にコミカルに描いている。

マンガ部分は理論の説明そのものというよりかは、「あれってなんなんだろう?」と思う科学における発想の元、好奇心に駆られていうろうろと行動するまさにその瞬間が描かれていて、それがまたとても面白いんだな。自然現象そのものにどきどきしていく興奮、普段我々が不思議と思わずにスルーしてしまうような場所にこそ「なぜなんだろう?」と切り込んでいける鋭さ。そうした科学者特有の発想の根源をうまーく捉えて題材にもってくる。そして最後の、紹介している著作の中から引用されてくる文章がまた良い。著者自身が特にそれぞれの分野の専門家ではないから、一般向けにわかりやすい部分が選択されているのはもちろんだが、どれも印象的な一節でそれぞれの科学者のスゴさが溢れている引用部分だ。たとえば先に紹介した『鏡の中の物理学』では次のような一節が最後の引用部として採択されている。

 物理法則というのはいろんな種類のものがあるわけなんですけれども、それらの法則を鏡にうつしたとき、変るのか変らないのか、変るとすればどういう変りかたをするのか、そういうふうな、ひじょうに普遍的な問いに対して、三枚の鏡を用意せよ、そうすればミクロの法則は必ずもとにもどるであろう、という、いわば法則の法則とでもいうべきものが見出されたわけであります。そういうようなすべての物理法則、ひいてはすべての自然法則を包括して規制するような、そういう基本的なこの法則ですね。これはつまり、神様が左ぎっちょであるか右ぎっちょであるかというような、そもそも神様の性格にかかわることなのです。神様の姿を描いた絵など見ますと、厳密に左右対称に描いてあるものが多い。神様はそういうお姿のように、右と左とに差別なく働かれるものなのか、あるいは神様はやっぱりぎっちょであるのか、そういうことにかかわることなのです。

物理学や植物学など、本作に出てくる科学者たちはみなそれぞれ分野は異なっているけれども、書いた文章を読んでいると見ている景色が一瞬垣間みえる。当時人類の最先端を開拓していった圧倒的な知性からくる発想や物の見方は、こういうとあれだが明らかに一般人を凌駕していて、最先端の知性の物の見方を追体験できるのだから本は凄い。僕も朝永振一郎の『物理学とは何だろうか』を読んで物理学の面白さとそのシンプルさに心惹かれ、中谷宇吉郎の中谷 宇吉郎『科学の方法 (岩波新書 青版 313)』 - 基本読書に表現されている「科学とは何なんだろう、どのようなプロセスなんだろう」という純粋さに驚き、そのスゴさに常に圧倒されてきた。今回こうやってマンガとしてそのエッセンスと「未知へと向かっていく好奇心そのもの」を読んで、改めてどの本も読み返したり、あるいは読んでいないここで紹介されている本を読んでみたくなってしまった。実際何冊も買っちゃったしね。

本作はそれぞれの科学者がやってきた業績の解説ではない。それぞれが持っていた不思議に思う気持ち、そして解明へと向かっていく気持ちそのもののマンガ化である。誇張するわけでもなく、かといって忠実に再現しよう、スゴさを表現しようと力が入っているわけでもなく、自然で、力が抜けたそれぞれの人物表現に漫画家・高野文子さんの円熟した力量を見た。いやあ、いい本です。

ドミトリーともきんす

ドミトリーともきんす