我々は、現実をありのまま見ているわけではない。赤外線も見えなければ紫外線も見えないし、網膜に刺激がきてから知覚が成立するまでに約100ミリ秒の遅れが存在している。我々が見ている世界は常に現実から遅れ、脳が処理した映像を「見せられている」と言える。脳の後方、後頭葉に位置する一次視覚野には、網膜から皮質への二地点間マッピングがあって、そこで視野の光や方向や位置が表現される。目からのインパルスは大脳皮質までまわって、一部はその過程で脳の反対側にまわり、視野の左半分は右後頭葉へ、右半分は左後頭葉へ行く。ちょうど逆向きになるわけだ。つまり後頭葉がどちらか、損傷を受けると視野が欠けたりといったことが起こる。
我々は現実を脳で見ているのだから、脳に異常が起これば見えなくなるし、あるいは存在しないはずの物が見えるようになったりする。本書『見てしまう人びと:幻覚の脳科学』はおもに一般向けの脳科学本を出しているオリヴァー・サックスの最新の単行本であり、特に斬新な説を披露しているわけでもなければ、我々の生活を向上させるような知見がどっさり含まれているような本ではない。だが、我々が日常物を見て、匂いをかいで、音を聞くといった当たり前のようにしている知覚が、ほんの少しのぼたんの掛け違いで容易くエラーを起こす様が事例集として語られていく。
まあ、オリヴァー・サックスの本をこれまでに読んだことがアレば、「だいたいいつも通りだ」で済む本なわけだけれども、面白さがどこにあるのかを紹介しておけば、それはやはり事例集であるというところにあるだろう。もちろん事例を説明した後、それがどのような原理で、因果関係で起こりえるのか、最新の研究ではどういった成果が出ているのかといった解説が入る。入るが、読んでいて興味深くまた好奇心にかられるのは人体が意外とずぶずぶに穴だらけな構成を持っており、人間は容易く多種多様な幻覚を見る事実そのものだろうと思う。本当に、いろんな幻覚・幻聴・幻臭が、簡単に起こってしまうものだ。
たとえば視界の端に図形がみえるとか、変な霞がかったものが見えるとか……それだったらまだいい。現実のものではないと一目でわかるか、あるいはわからなかったとしても何かを勘違いさせるようなものでもない。もちろん大変なことは大変だろうが。一方でより深刻な問題は、「存在してもおかしくないものが見える」ことだろう。たとえばある老人の男性の症状として、最初は蒼いハンカチのようなものが四隅についているような、幻覚だとはっきりわかるものが見えている。完全に正気だ。しかしある時、孫娘が二人、会いに来た。孫娘は彼の右側におり、左から二人の若い男が現れた。上等なマントを着て、帽子には銀色の縁取りがしてある、立派な男性だ。「おまえたち、とてもハンサムな紳士を連れてきたんだね! なぜ一緒にくると言わなかったんだい?」だが娘たちは誰も見えていないと断言した。
うん、こんなのは困ってしまうだろう。居もしない存在が入ってきたように見えるんだから。自分が今見ているものが、自分が見ているだけのものなのか、他の人も共有できている現実なのか、常に自分だけでは判断できなくなってしまう。現実を観るためだけに、自分以外の人間の判断を必要になってしまう。こうした事象……病名としてはシャルル・ボネ症候群という、視覚障害を持つ人間が見る複雑な幻覚障害の一種は、最近の研究では実はよくあることだと判明している。オランダで視覚障害のある高齢者600人知覚を研究しているロベルト・テウニッセらによると人・動物・光景のような複雑な幻覚を見ている人間が15パーセント、像や光景などたまに模様が見えるような幻覚を経験する人は80パーセントもいるという。
また別側面での研究では、特定の幻覚経験・症状と、それが起こっている時の脳の活性化状況についても面白い相関がある。たとえば色付きの物体を想像しても視覚野のV4領域は活性化しなかったが、色つきの幻覚では活性化したなどなど。想像では活性化せず、幻覚では活性化するということは、心は幻と現実を区別できないといえるのかもしれない。とまあこの他にも、パーキンソン症候群の患者が発症する幻覚、長い間知覚を意図的に封じられた患者が発症する幻覚、癲癇患者の幻覚とさまざまに事例をあげ、書かれた当時での研究成果がいろいろと述べられていくので、コレ以上書いていくのも野暮になってしまうだろうが、読んでいてゲラゲラ笑った部分があるのでそこをさわりだけご紹介したい。
ゲラゲラ笑ったのはLSDなどの薬物を使って脳をトリップさせた時の体験談・事例集だ。何しろ著者が相当ハードにLSDをキメこんでいるので、実体験としての幻覚体験談がひどすぎて笑えるのだ。大麻も吸っていればLSDもアサガオの種も、「本当にぶっ飛ぶ経験をしたかったらアーテンを試せ」というアーテンもなんでも試して、さまざまなぶっ壊れ体験をしているオリヴァー・サックスだ。時代性もあるのだろうが、ちょっとひどすぎる。オリヴァー・サックスの体験談は、あくまでも彼個人の体験談であり、普遍的にみられる幻覚・症状ではないことには注意されたし。
友人から「まだある程度コントロールできるから」と手に入れたアーテンを20錠水で流し込んだオリヴァー・サックス。すわって効果を待ち、LSDやメスカリンで経験するように、世界が変形して新しく生まれ変わるのを待つ。しかし何も起こらない。なぜだ? 何の効果もなかったのか? 喉がかわき、瞳孔が開いて文字が読みにくくなったが、それだけだった。精神的な影響は何もない──ひどくがっかりしているところに、玄関ドアがノックされ、友人のジムとキャシーが入ってくる。彼らはよく彼の家を訪ねるらしい。
「入ってくれ、ドアは開いているから」と声をかけ、二人が居間に腰を下ろすと、「卵はどうするのがいい?」と訊いた。ジムは目玉焼きの片面焼きがいいと言った。キャシーは半熟両面焼きが好みだ。私は彼らのハムエッグをジュージュー焼きながら、二人としゃべっていた。キッチンと居間のあいだには低いスイングドアで仕切られていたので、互いの声はよく聞こえた。そして五分後、私は「できたぞ」と大声で言い、ハムエッグをトレーに載せて居間に入った──するとそこには誰もいなかった。ジムもキャシーも、二人がそこにいた形跡もない。ショックのあまりトレーを落としそうになったほどだ。
これも先ほどの幻覚と同じように「存在しない人間が、いる」パターンで大した面白みもないと思うかもしれないが、いやいや何しろ薬を飲んで「なんの異常もないな」と思ってからの極々自然なこれだから、その衝撃も凄いものがあったと想像する。LSDなどのようなあからさまに「世界が違って見える」のと違って、「何が起こっているのかもわからないまま幻覚を見せられていた」んだから。意識をハックされたようなものだ。そうしてもちろん、この結果に衝撃を受けたオリヴァーは、「気をつけろ、オリヴァー!」と自分に言い聞かせ、自分をコントロールしようとする。その上でこれだ。
そんなことを考えているとき、上のほうでブンブンいう音がしているのに気づいた。一瞬とまどったが、ヘリコプターが降下の準備をしているのだとわかった。私の両親がいきなり私を訪ねてびっくりさせようと、ロンドンから飛行機で来てロサンジェルスに到着し、トパンガキャニオンまでヘリコプターをチャーターしたのだ。私は大急ぎで浴室に行き、さっとシャワーを浴び、きれいなシャツとズボンを身に着けた──両親が到着するまでの三〜四分ではせいぜいこれくらいしかできない。エンジン音が耳をつんざくほど大きくなったので、ヘリコプターがうちの横の平らな岩の上に着陸したにちがいないと思った。私はワクワクしながら両親を迎えに飛び出した。ところが岩の上には何もない。ヘリコプターは見当たらず、脈打つようなエンジンの爆音は突然やんだ。誰もいない空間と静寂が、その失望感が、私の涙を誘った。あんなにうれしくて興奮していたのに、それが無に帰したのだ。
自分をコントロールしようとしているのに、突然両親が意味の分からない経路でヘリコプターをチャーターして家の前まできてしかもよりによって岩の上に着陸したと思って家を飛び出すという挙手挙動何もかもクレイジーだ。救いがあるとすれば、一つ一つの幻覚が何十分何時間も続くのではなく、割合すぐにハッと気がつくところか。救いでも何でもないし、単なるマシというレベルでしかないが。こうした彼自身の体験談は、科学的にはただのサンプル1であって、我々にこれだけで科学的な意味を教えてくれるものではない。が、読んでいるとあまりのクレイジーさに笑いがこみあげてくるし、とにかくアーテンとかいうやつは絶対に試さないでおこうとか、何らかの教訓にはなる。LSDはちょっとやってみたくなるし。
とりあえずの結論
幻覚、幻聴の幅広い事例を次から次へと読んでいくと我々が見ている現実の、根拠の不確かなことが痛切に理解できるだろう。我々の現実とは、非常にあやふやな知覚のもとに成り立っているのである。特に幻覚なんて、「普通の人は絶対ならない」なんて思っているもんだから、病院にも行きづらいだろうが、いやいや人間以外と知覚がガバガバでエラーなんていくらでも起こりえるんですよと知っていればあら、私ちょっと幻覚をみちゃったかもしれないわ、と思ったら気軽に病院にいけるようになるだろう(そうか?)。もっとも、殆どの場合は癲癇やパーキンソン症候群のような病気との関連で発生するか、視覚障害などに連鎖して起こるようだけども。
- 作者: オリヴァー・サックス,大田直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/10/24
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