基本読書

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なぜ、この人と話をすると楽になるのか by 吉田尚記

先日みならいディーバというアニメ作品について記事を書いた⇒みならいディーバという奇跡 - 基本読書 この作品の製作総指揮兼演者としても出演しているのがこの吉田尚記さんである。ニッポン放送のアナウンサーでありながらその仕事は(アニメの製作総指揮など)多岐にわたっていてどこからどこまでがニッポン放送的な仕事なのかよくわからないお人である。本業はアナウンサーだからまあ話すこと、特にラジオ系やニコニコ生放送などでしゃべっている事が多く、みならいディーバにドハマりしたあといろいろ見る(聞く)ことにもなった。

で、どれを聞いても状況をコントロールするのがウマい。それはコントロールというよりかは、場の状況をよく理解してツッコミを入れる場所は入れ、軌道修正する場所では軌道修正し、会話の流れが滞らないようにする技術の賜物であろうというのは見ていてよくわかるところだった。強引に場を構築する剛の能力というよりかは、場に自然に立ち上がってくる空気が滞らないように少しずつ軌道修正を重ね、合間合間でポイントを重ねていく柔の能力とでもいうような感じ。本書は吉田さんによるラジオなどで人の話を引き出す立場にいる時も、複数人ががやがやしている場面でも的確に話しやすく場を把握しているその技術について書かれた一冊で、早く出ないかなあと発売日を待ち望んでいたのであった。

これを読むと吉田尚記さんが少なくともどのような思想と方向を向いてコミュニケーションをとっているのか、よくわかる。もちろん読んだからといってすぐに吉田尚記さんばりに話が回せるようになるわけではないが、それでも「あ、コミュニケーションって、そうやってとればいいのか」とか「あ、これはそういう理由でやってはいけないんだな」というのが具体的に説明されていて、練習を重ねればこの領域に到達できるかもしれないと思わせてくれる本だ。だいたい「コミュニケーションの練習」なんていったって、「何を目的に、何をすればいいわけ?」と疑問に思うわけだけども、そこについても明確に「こういうことをしろ」と書いてあるので方向性を与えてくれる本なんだよね。

面白いのはこれがニコニコ生放送で喋った内容を文章化したものだということ。さすがアナウンサーといったところか。基本的に聞き書きみたいな内容ってどうしても内容がちゃんと書いたものに比べると薄くなりがちだから嫌なんだけど、これは事前にテーマを決めて一人でしゃべり続けているからかわりと凝縮されている。またニコニコ生放送で喋った内容なので、随所随所にコメントが拾われていてそれもまた見ない形式で面白かったな。アンケートまで途中で挟まれたりしてね。

コミュニケーションはおそらく「ゲーム」なのだ

発想として面白かったのは「コミュニケーションはゲームなのだ」というもの。

 会話が上手だなって思える人は、コミュニケーションの瞬間瞬間に意味を見出し、その都度ふさわしいテクニックを駆使しています。そこへ近づくためには言葉のやりとりを一回一回、ゲームとして認識することが重要だったんですね。ゲームであれば当然ルールや技術があり、練習して磨いていけばだれでもコミュニケーション能力は上達するものだと知った。

ゲームであるがゆえにそこにはルール、技術があり、また「ゴール」もあるものだ。そのあたりを端的にまとめると①コミュニケーションゲームは敵味方にわかれた対戦型ではなく、参加者全員による協力プレーである。②ゲームの敵は気まずさであるというあたりに集約される。気まずさを排除するように動き、相手を気持よくするように話を重ね、結果として自分も気持ちよくなる。この相互作用によってコミュニケーション・ゲームは楽しいものとなり、お互いの勝利となりえる。もちろん喜んでもらうとか驚いてもらうとか勝利条件はその都度異なるわけだけれども、基本はどちらかが盛り上がってくればその相手も盛り上がることのできる、協調型のゲームなのだ。

そうすると次に出てくる問題は当然いかにしたらお互いの気まずさがなくなり、話が転がり続けるのか──というあたり。吉田さんは会話を何度もサッカーにたとえて話すんだけどこれがわかりやすかったな。たとえば会話とはボールを転がし続けることである。トラップ、パス、ドリブル、ゴールがあるのがサッカーというゲームだ。このたとえでいくとトラップは相手への質問事項、髪切った? でも雰囲気変わった? でもなんでもいい。パスはそれを発声すること。ドリブルはパスを受けた相手が返してきた内容にさらに感想をいったり、質問をつなげていったりと転がしていくこと。

もちろんそんなこといってすぐにできるようになるはずないのだが、イメージとしては理解できる。良いパスと悪いパスの例とか、具体的な会話の転がし方とかも語られているんだけどそのへんはまあ読んで下さい。

戦術部分

具体例をいくつかあげておくと、「会話を転がし続け、相手に気持ちよくなってもらう」ことを目的とした時に使える戦術部分の話が面白かったな。たとえば「先入観を持ってもいい」とか。「この人怖そうな人だな」と思っていたら、「怖そうな人だと思ってました」と言っちゃう。そうするとまず相手は否定してくるから、「いやいやそれがぜんぜん怖くないんだよ」と話が転がっていく。『もっと言えば、先入観はむしろ間違ってるほうがいいかもしれないくらい。なぜか? 人は間違った情報を訂正するときにいちばんしゃべる生き物だからです。』のあたりなんかは卓見だなと思った。たしかにそうだ。

会話というボールが動きやすい環境をつくるために、高い時もあれば低い時もある現場(人)のテンションに合わせる、自分は場のテンションに同調するようにムードを共有していくという話なども実際に吉田さんが常に実行していることなので納得感がある。この辺は「まさに日々ここに書かれているような技術を実戦し、それが効果をあげている吉田さん」が語っているからこそ価値のある部分だ。何しろ日々本書の実践編をやってくれているようなもので、しかもそれは各所で成功しているように見えるのだから。

また「やってはいけないこと」として①ウソ禁止、②自慢はご法度、③相手の言うことを否定しないと当たり前のようなことが書かれているけれども、どれも「会話を転がし続けることを阻害する要因となりえる」というテクニカルに説明ができる理由付けがあってよかったな。たとえば自分の気持ちにウソをついてしゃべっても、根掘り葉掘り聞かれるとそれほどのバックボーンがないからいつか破綻してしまう。気持ち以外の「単純な事実」を偽る場合でも、それは同じである。自慢も、自慢をすると『その人の解釈が固定されてしまう』『パスコースが非常に狭くなって、フィールド全体も貧困になっていく』というコミュニケーション=ゲーム論からテクニカルな裏付けがされるので納得できる。

たしかになあ。自慢されるのはいいんだけど、その時点で会話の選択肢が狭くなっちゃうから話は転がしにくい。本書ではこれと関連して「愚者戦略」といって自分のマイナス面を積極的に認めて、イジってもらうことの有効性についてなども書かれているけれども、結局「事実」から発せよという話なのかもしれないな、と思った。ハゲている自分がいたとしたらそれはもうしょうがないんだから、ハゲてることも会話のネタにしていくしかない。ウソも過度の自慢も会話のネタを狭める。無理してテンションをあげず、場に存在している空気に同調していく──。

ラクラクとやっているように見えることもある吉田さんの「場の回し芸」だが、こうして裏側を語っている物を読むと、リラックスして相手に話してもらう状況をいかに様々なテクニックを用いて構築しているのかがわかって面白い。僕は基本的に吉田尚記ファンだからいっそう面白かったとも思うが、それとは別にコミュニケーションの技術本としても良い出来だ。ちなみに紙とKindle版が同時発売で、僕はKindle版で買いました。

なぜ、この人と話をすると楽になるのか

なぜ、この人と話をすると楽になるのか