幅が広くどれも熱心に書いていて気合の入った本なのだが、いかんせん要素がばらけているような感もある惜しい本だ。でも大上段にふりかぶったテーマは一貫しているし、ぱらぱらと読むには歴史と飛躍としての仮説が詰まった良い本のように思う。インパクト重視な箇所も随分と多いが、まあそのへんはどの本でもありがちなことだし。
本書はまず過去に起こった五度の大絶滅(200万年以内に75%以上の種が絶滅すること)がなぜ起こったのかを追って、今何が起こっているのかという話を展開する。次に人間や他の動植物はどのようにしてこうした環境の激変に適応してきたのかを参考にし、今後我々はどうやって起こるかもしれない六度目の大絶滅に対抗すべきかを検討する。最終的には論はSFじみた領域に突入し、100万年生きるにはどのような変更を環境に加えれば良いのか、肉体を捨てたらどうかなどということまで含めて論じていく。
この六度目の大絶滅は本として一般向けの本が出版されるほどホットな話題になっていて、現在我々人間の手によって多くの動植物が絶滅の危機にひんしており今まさに「大絶滅が起こっている」のではないかという。そこにどれだけの妥当性があるのかはよくわからない。だいたい生物種の75%が絶滅したら大絶滅とするといったって、単なる言葉の上の定義なので特に意味があるわけでもない。重要なのは、過去の少なくとも五度の大絶滅はいずれも気候変動や隕石などの外部要因によって起こっているわけであって(六度目は人類によって引き起こされているので特殊だ、という論調なのだが)環境変動は必ずまた起こるだろう、その時どうするのだ我々は、という話だ。
大絶滅の歴史をおっていくのは楽しい。何しろスノーボール・アース仮説のような、かつて太陽の光が現在よりも弱くシアノバクテリアが酸素をどんどん作るせいで炭素とのバランスが崩れて地球全体が冷え、全地球凍結のような状態になった話など出だしを聞いただけでわくわくしてくるではないか。ただそんなものを一つ一つ解説していくのは大変だし面倒なのでやめておく。こうした変化のほとんどは何百万年といった時間スケールの中で起こっていくものだ。人間一人の一生なんてそうした時間尺度からみるとアホらしくなるぐらい短い。だからこそ、人間がその生存を「次の大量絶滅に備えて」考える場合には必然的にSFの領域へと踏み込むことになってしまう。
本書はこの後人間や他の動植物が「どのような特性によって大絶滅を生き延びてきたのか」を特性を見ることで論じていくが、それはそのまま副題に現れている。離散、適応、記憶だ。正直本書の微妙なのはここで、一つ一つはもっとも(たとえばディアスポラだって、環境要因からも社会的な要因からも場所を変えるのは確かに一つの手だろう)なのだが、うーん、なんか、それがあれば大絶滅を生き延びられるもんでもないでしょって感じてしまう。適応に至ってはシアノバクテリアが光合成によって酸素を生み出す機能を持って三十億年以上生き延びてきたことに触れて「適応だ」といってみせるがそれはなにか関係があるのか。記憶に至っては何がなんだかよくわからない。そりゃ記憶してりゃあ有利だろうが。思うにこの後に展開するSF的な未来像を提示するときの基礎固めにしたかったのではないかと思うが、この中盤部分がどうにも浮いているせいで本としてのまとまりが欠けているように思う。
ただ、ちゃんとラスト20%ぐらいは面白い。「100万年生き延びるために」を語っているところ。100万年単位で考えればそりゃあ隕石が降ってくる可能性もありえるだろうし、人間が関与するかどうかは別として自然な移行として気候もその在り方を変えていくだろう。だからその時に備えて我々は地球環境を工学によってある程度コントロールし、空から降ってくる異変に対しても処理できる方法を考えていかなければいけない。たとえば隕石がやってきたらどうするのか。現在でも当然いくつか「こうしたらいいんじゃないか」的な仮説は幾つも述べられているので、その紹介だけでもめっぽう面白い。「スロー・プッシュ」作戦、一基または複数の宇宙船で重力トラクター効果を生み出してちょっとずつちょっとずつ軌道を逸らす方法などなど、へえ、ちゃんと考えてんだなと、「人類、やるじゃん」的に感慨にひたることができる。
うーん、こうしてまとめてみると、まあ一冊の本としてオススメというわけでもないが、一つ一つの話、逸話としては面白いところも多い本だ。SFファンとしては楽しませてもらった。興味があったらどうぞ。
- 作者: アナリー・ニューイッツ,熊井ひろ美
- 出版社/メーカー: インターシフト
- 発売日: 2015/04/06
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る