- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2015/07/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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これもまた前回言っていることだが、定期的に出るので、日記のように、一人の人間の思考の変遷を見るようにして楽しんでいる。僕はそういう「個人の変わりつつある様子」というのが好きだ。たぶん自分がそうやって「変わって」いくのが好きだからだろうと思う。何しろ付き合う友人や、ビジネスの相手、両親さえも自分の意思で切り捨てる事が可能だが自分からは逃れることが出来ない。その自分がいつまでも変わらなかったら、自分と一緒にいるのも飽きてしまうだろう。
僕は一人でいるのがとても好きだが、それは自分の事がけっこう好きだし、自分に驚かされることが多いからだと思っている。たとえばブログに記事を書き終わると「おお、この人はこういうことを考えているのか」と新鮮な面白さを感じることがあるし、アニメを見るなり何かニュースを見るなりした時の自分の反応が逐一面白い。変な発想、面白い発想がぽんぽこ湧いてくる。同様に、自分以外でも、変わっていく人を見るのは面白い。想定していた反応とまったく違う反応が返ってきたり、かつては出てきそうもなかった新しい視点が増えているのをみると嬉しくなってくる。面白さの研究の一つに、人は「予想外のこと」を面白いと思う事例があるけれども、それは人間相手でも変わらないのだろう。
あんまり本と関係ない自分語りからはじめているのは、このエッセイも4冊目になってさすがに本自体については書くことがなくなってきたからだ! 森博嗣さん自身も前書きで『慣れてきたけれど、もちろんマンネリも感じるし、同じ話、類似の内容も混ざる。できるかぎり避けているつもりだが、ときどき「もう一度書いた方が良いだろう」と思うものもある。』と書いているように、律儀に4冊全部(同じような趣向のシリーズも入れると7冊も)も感想記事を書いているこっちだってマンネリも感じるし、同じ話に類似の内容も混ざる。こっちは別に避けないが。
ブログを書き続ける人がずいぶん減ってきた。
森博嗣さんがマンネリを感じているのはわかったが、じゃあ書かれている内容もまたマンネリなのかといえば、そうでもない。時事ネタはほとんどないが、今回で言えばSTAP細胞の件などは普遍化して話が展開されている。毎度新しい視点と話題になるたびに、今まで向いたことがない方向へ顔を向けさせられた新鮮さがある。新しい話題、新しい視点が提供されるたびに、「これは自分だったらどうかな〜」と自分で考えることも多い。たとえば本書では「ブログを書き続ける人がずいぶん減ってきた。」という項目がある。ここではブログを続けられる人を次のように語っているが、これについてはどちらかというとあんまり納得がいかない例だ。
ブログを続けられる人は、仕事としての報酬を得ているか、あるいはボランティアか、のいずれかである。いずれも、不可欠なのは不特定多数に対する「奉仕」の気持ちである。サービス精神がなくては続かない。自分が得たい、自分を売り込みたい、では続かないということだ。
僕は8年ぐらい書き続けているが、この区分からいうと、ブログからは大した収入を得ていないから(まあ、平均よりは間違いなく多いけど。)ボランティアになるだろう。そこに「不特定多数に対する奉仕」の気持ちがあるかといえば、うーん、あんまりない。別にこれを読んでいる諸君らに役立つ知見を提供しようとか、良い本を紹介しようとか、良い本を読んでもらいたいとも思わない。諸君らが本を買って読んで面白かったところで、こちらに何か利益があるわけじゃないんだから。
それではなんで書くのかといえば書いているととても楽しいからで、ほとんどそれ以外にない。書けば書くほど自分が変わっていく感覚がある。他のあらゆることをしているよりも文章を書いているのが楽しい。最近スプラトゥーンにハマっているが、スプラトゥーンよりも楽しいのだ。これなんか「自分が得たい」の極致みたいなものだ。これもまあ、自分を別個の他者であるとするならば広義の「奉仕」といえるかもしれない。
日本人のイメージ
「「日本人のこの一体感は何?」とインド人に質問された」の項目では、友人のインド人が「日本人というようなイメージがインド人にはない」という話が展開される。インド人はインド人に対して特に親近感を持っていないというか、たまたま同じインドとされる場所にいる人達のような感じで、オリンピックで日本がんばれーと応援するような感覚がないのだろう。これも当然サンプル数1だから、インド人全部がそうであるとは限らない。でも僕の感覚もこれに近いなと読んでいて思った。
たまたま日本のある地域に生まれて育って、今日本にいる認識なので、オリンピックでも特定のスポーツチームでも応援する根拠がない。アメリカを応援するのもオーストラリアを応援するのも日本を応援するのも僕の中ではほぼ同じ程度の興味しかない=ほぼゼロ。別にこの感覚をわかってもらいたいというわけではなくて、ようは「一体感を持つのが当たり前だ」なんてことはないんですよ、というだけの話なのだけど、理解されそうにないなと思うことも多い。
おわりに
読んで考えたこと・膨らませたことなんていくらでもあって、それを逐一書いていったらこの記事はいつまでたっても終わらない(というのは明らかに言いすぎだが)。ようは一冊のよく出来たエッセイを読むのは、それだけの情報を展開させるものなのだ。過去の同シリーズも今作も、全部電子書籍で買えるので興味があったらドウゾ。
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