今までさんざん森博嗣さんのエッセイシリーズにはいろいろ書いてきているので今更何か書くことがあるのかと言われれば別にないのだが。⇒つぶやきのクリーム the cream of the notes - 基本読書 つぼやきのテリーヌ The cream of the notes 2 (講談社文庫) by 森博嗣 - 基本読書 それでもやはり毎度毎度違うことが書いてあるし、従って読めば普段刺激されないようなところが刺激されるし、何よりこれを書いている僕の側が定期的に出版されるこのエッセイシリーズを読む度に変化しているので、その変化を定点観測する為にも書いておきたいと思う。健康診断のようなものだろう。
このシリーズを一度も読んだことがない人向けに解説を入れておくと、英題に3と入っている物の別に話題が連続しているわけでもないのでここから読み始めても何の問題もない。多少時事ネタのようなものがあったりするから、新しいものを読んだ方がおぼろげに元ネタの存在に思いを馳せられるかもしれないが、大きな影響があるわけではもちろんない。
そして何の本かといえば、エッセイである。エッセイの一般的な定義は知らないが、科学的な考察というわけではなく、日常的なことについて思ったこと、考えたことを100の小見出しで、1つにつき2頁で語っていく。トイレ掃除について語るときもあれば、部屋の掃除について語るときもあり、落ち葉を拾うことについて書くこともある。掃除ばっかりじゃねえかと思うかもしれないが、選挙についても書くし消費税についても書くしデフレについても書くし、そうかと思ったら突然自己紹介をはじめたりする。
そこがエッセイの醍醐味ともいえるが、ワンテーマ決めてそれについてつらつら語っていくものと比べると、大変自由である。たとえば先月森博嗣さんは孤独の価値 (幻冬舎新書) by 森博嗣 - 基本読書 で孤独について一冊書いているが、この『つぼねのカトリーヌ』にも『一人で遊べる人は寂しいとは感じない。』の項で通底するものを書いている。2ページで本一冊のエッセンスが凝縮されているので、個人的には一冊長々と書かれているものよりこうして複数アイディアを次々と繰り出してくるエッセイの方に価値を感じる。
しかし人はこうしたエッセイを何の為に読むのだろうか。もちろんそれは「価値がある」と思っているから読むのだろうが、その価値とは実際どこにあるのか。僕の場合それは普段目をやらない方向へ目を向けるきっかけ、疑問も持たずにスルーしていたことへ、再度疑いの目を向ける為に価値を見出しているというあたりに落ち着くのだろう。なにしろ僕らは普段生活している中で我々はたくさんのイベントに遭遇して、疑問を感じることもあれば肯定を感じることもあるだろうし、何か考えの発端となることもあるし、そしてその何千倍も何も考えずに通りすぎている。
それぞれみんな自分の積んできた経験や知識、何よりどこに目を向けるかの差が存在している。建築の専門家なら散歩している時に家を見るかもしれないし、気象予報士だったら天気を見るかもしれない。毎日庭掃除をしている人は庭の変化になんらかの法則性や、普遍可能な事実を見出すかもしれない。他人が日々の生活の中から物を見て、そこから発想を汲み上げ普遍性のある形として抽象的に考えることは、僕からすればどれも新鮮なもので、今まで目を向けてこなかった方、疑問にも思っていなかった場所へ疑問の目を向けるきっかけになる。
このシリーズはまるで日記のように定期的に出ているし、重複している部分も多い。が、毎回新しい方向へ目を向けるきっかけになっている。がしっと腰を据えて取り組むような本ではないが、お菓子でも食べ、コーヒーでも飲みながらきばらしに読むのはこれほど適した本もない。それはこの本の価値だろうと思う。
解説について
こっから完全に蛇足だが解説について。そう、この本文庫書き下ろしだからいきなり解説がついているのだ。そして解説は土屋賢二さんである。哲学者として知られるが、何冊も出しているエッセイは自分を極端に卑下していくスタイルが目立つ。そもそも文章自体が常識をあらゆる角度からぶん殴って破壊していくようなもので何を語ろうが面白くなるように書いている。森博嗣さんとは過去に対談本も出していて、こっちは森博嗣さんが真面目に答えることを強引に笑いに変えていく力技が凄い。⇒人間は考えるFになる - 基本読書
森 恨みというのも人間関係ですね、確かに。人間関係のもつれというのは、人間関係を求めるから起こるんです。
土屋 それはそうですけど、会社に就職したり結婚したりすると、どうしても人間関係ができてしまうわけですね。で、人間関係ができると、必ずもつれる(笑)。誰でも殺意を抱く瞬間があると思います。
森 僕はあまりないですけど。
土屋 ないですか。じゃ、他人から抱かれてますよ、殺意(笑)。*1
そんなこと言ったら問題になるんじゃないかと読んでいるこっちがはらはらするようなブローを平然と放ってくる。森博嗣さんの対談は珍しいからたぶんほとんど読んでいると思うのだけど、超越者的な立ち位置を示す森博嗣さんに対してここまで地面に引きずりおとすような言動ができるのは土屋賢二さんしかいないだろう(萩尾望都対談の時の森博嗣さんはファンのようになっているが)。この本の解説でもその力はまったく衰えていないことがわかって嬉しかった(楽しかった)。衰えていないどころか、さらにその先のレベルに到達しているといってもいいぐらいで、あんまりにもびっくりしたからここに雑感を書き残しておこうと思ったのだ。
先に書いたように土屋賢二さんは時々自分を物凄く卑下して、逆に凄い人間をとことんまで立ててその落差で笑いをとっていく方法をとることがある。本書の解説もまさにそのパターンなのだが、もうとにかく森博嗣さんの立て方がお世辞を通り越して強烈な嫌味にまで昇華されており(もともとそうだったが、さらに洗練されている)逆に自分の卑下の仕方もさらに徹底的になっていてもうそれが的を射ているか射ていないかを別としてたいへんに笑える。嫌味と自己卑下をここまで爽快に笑いに変えられる人間がかつていただろうか(いや、いない)。
このクリティカルヒット部分はぜひ引用したいと思うが肝の部分なのでしない。土屋賢二さんには、もうこの道をどこまでも突っ走ってもらいたいものだ。
つぼねのカトリーヌ The cream of the notes 3 (講談社文庫)
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/12/12
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*1:『人間は考えるFになる』より引用