基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

真実はひとつ。人はそれにたくさんの名前をつけて語る──『千の顔をもつ英雄』

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 作者: ジョーゼフ・キャンベル,倉田真木,斎藤静代,関根光宏
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/12/18
  • メディア: 文庫
  • この商品を含むブログを見る
古典的名著として有名ながらもずいぶん長いことてにはいりづらい状況が続いていたが、『神話の力』を出した早川書房が新訳で文庫化してくれたぞ。

数多ある神話、たとえばヘラクレスだとか、ブッダとか、名前を聞いたこともないような部族の民話とか、お伽話とか縦横無尽に話を収集してきて、そこから神話に──というよりかは、「人間が残し、伝えてきた物語」に存在する普遍コードのようなものを見いだしてみせる一冊(上下で二冊)である。ようは、神話というものが場合によっては何千年も人から人へと伝えられ残されてきたのは、人が根源的に好む、あるいは望む? 本質がそこには含まれているからであるし、それは表面的には千の顔を持つけれどもその裏にはたったひとつの真実が存在しているとする。

本人の言を借りれば『あまり難しくない例をたくさん提示して本来の意味が自然とわかるようにし、その上で、私たちのために宗教上の人物や神話に出てくる人物の形に変えられてしまった真実を、明らかにすることである。』ことを目的としている。そのわかりやすさ故か、スター・ウォーズの生みの親ジョージ・ルーカスがこの本を非常に参考にしているように、幾人ものクリエイターがキャンベルの影響を受け物語を構築している、物語を作る人間からすればバイブルともいえる名著だ。

まず何が凄いって、その幅の広さが圧巻。たとえば、「出立」といって冒険への旅立ちを語る章では、超メジャーなアーサー王物語からドマイナーな北アメリカの民間伝承、聞いたことのない民族の神話、東洋におけるブッダの生涯など縦横無尽に神話が参照される。アーサー王は狩りにでかけた先で見たことも聞いたこともない奇妙な獣に遭遇し、ブッダは庭園に向かう途中で歯が欠け、髪が白く、杖に頼り震えている年寄りや病人に出会う。それは彼らにとっては理解し難いもので、しかしそれと出会うことによって彼らの冒険はスタートするのである。

アーサー王のような有名どころから無名どころまで数々の英雄譚を類例に沿って読んでいくだけでも底抜けに楽しいが、その先にはキャンベルによるまとめが入る。

神話的な旅の第一段階は──ここでは「冒険への召命」と言っているが、運命が英雄を召喚し、精神の重心を自分がいる社会の周辺から未知の領域へ移動させることを意味する。宝と危険の療法がある運命の領域は、さまざまな形で表現される。遠隔の地、森、地下王国、波の下や空の上、秘密の島、そびえたつ山の頂上、そして深い夢の中などだが、それは常に妙に流動的で多様な形になるもの、想像を超える苦難、超人的な行為、あり得ない喜びがある場所である。

アテネにやってきて、ミノタウロスの恐ろしい話を聞いたテセウス、ポセイドンの起こした風で地中海をさまよう羽目になったオデュッセウスなどなど冒険の「出立」だけで膨大な具体例を得ることができる。圧縮して紹介すると、キャンベルがいうところの英雄譚の構造は大きくわければ3つに分けられる。苦難や冒険への導入である「「分離」または「出立」」、試練や恵みを得る「イニシエーションの試練と勝利」、最後に循環へと至る「社会への帰還と再統合」。これらを上部構造として、それぞれに下部構造へと細かく分かれていく。

「出立」といって英雄に下される召命について語られたかと思えば、その次には逃避する為の「召命拒否」を語るサブセクションがあり、使命にとりかかる物へ思いもよらずに訪れる「自然を超越した力の助け」。などなど、多くともサブセクションは6つまでだが、ほとんどの神話がそこに収まってしまう事が具体例と共にあげられていくのでよくわかる。具体例の多さはそれ自体が「神話には類例がある」ことへの説得力になりえる。複雑なロジックを飲み込む必要もなく、ただただ読んで納得していけばいい。自身が言うように、驚くほどわかりやすい本なのだ。

いまどき、神話なんて

神話について何かを知っている意味があるのだろうかと問いかける人もいるだろう。その問いかけ自体は本書の著者ジョーゼフ・キャンベルを語り手にし、ビル・モイヤーズが徹底的に聞きてに回った『神話の力』でも最初に問いかけている。この答えが、わりと身も蓋もなくて面白いからちょっと引用してみよう。

モイヤーズ なぜ神話を、という疑問から始めましょう。いまどき、なぜ神話のことなど考える必要があるんでしょう。神話は私生活とどう関わっているのでしょうか。
キャンベル 答えとしてはまず、「どうぞそのままあなたの生活をお続けなさい。それは立派な人生です。あなたに神話の知識などいりません」と言いたいですね。どんなことでも、他人が重要だと言ってるから興味を向けるなんて、賢明なこととは思えません。ただ、どういう形であろうと、その問題のほうから私をとらえて話さない場合には、まともに受け止めるべきでしょう。あなたの場合も、適当な予備知識さえあれば、神話のほうからあなたをとらえることに気づくはずです。そこで、神話がほんとうに心をとらえたとき、それはあなたのためになにをしてくれるのでしょう。

そこに興味が自発的に向かないかぎり、「あなたに神話の知識などいりません」というのはなるほどまったくその通りである。しかし──とその後につづいているように、神話には何の効果もないといっているわけではない。

 ギリシャ、ラテンの古典や聖書のたぐいは、かつて日常的な教育の一部でした。こういうものが捨てられてしまったいま、西洋の神話知識の伝統もまるごと失われてしまいました。神話的な物語はだれの心にも宿っていたのに。そういう物語が心のなかにある限り、それが自分の生活の内面と関連していることもわかるはずです。それは、いま起こっていることにひとつの見通しを与えてくれます。

キャンベルは他にも、現代社会の裁判官を見るに、威厳のある黒い服のかわりにグレーの背広を着て法定に出てもいいはずだが、それをしないのは裁判官のちからを儀式化し、神話化する必要があるからだと述べている。あまり意識しないまでも、この世界には神話の力を使った作用が溢れている──ただし失われつつあるのだ。

だからこそ知る必要がある──というよりかは、知ることによってはじめて神話はその意味を持つのだろう。キャンベルが『神話は、人間生活の精神的な可能性を探るかぎです。』と語るように、神話はかぎなのだ。それは誰にでも同じ効果──咳止めシロップのようにもたらすわけではない。幾つもの物語を自分の中に内包していると、自分なりのやり方で世界とうまく折り合いがつけられるようになる。幾人もの師匠と、無数の教訓を手中にすることだから。

それはそれとして、神話をつぎつぎと読んでいくのは純粋にとても楽しいからオススメの本である。何しろ数千年も人の心を捉えて離さない物語群を、最高の語り手が語ってくれるわけだから、つまらないはずがないんだよなあ。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)