基本読書

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まるで神話のように反響する傑作短篇集──『スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)』

スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)

スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)

コードウェイナー・スミス作品に出会ったのはSFジャンルにハマってから「SF必読書リスト100冊」的なものを順々に読んでいっている最中であったと思う。あまりにもかっこいい文章、他の誰もこんなものを考えることのできない/描けないという情景と設定の数々、短篇にて断片的にあかされていく未来史の壮大さと「いったいこの世界はどうなってしまうんだ/なんなんだ」という興奮と戸惑い……。

ティプトリーやハインラインを次々と読んでいく中現れた異色の中の異色、壮大な未来史を描く王道といえばあまりに王道なコードウェイナー・スミス作品を初めて読んだ時、「SFってのはこういうものまで許容される世界なんだ」とそれまで以上にSFが好きになったし、それ以後にもコードウェイナー・スミス的な興奮を与えてくれる作品はなかったという意味で特別/得意な作家に駆け上っていった。

というわけで本書はコードウェイナー・スミスの人類補完機構を含む"全短篇"を集めた短篇シリーズ第一冊である。(人類補完機構全短篇)とあるから人類補完機構シリーズ短篇のみの収録なのかな? と勘違いしたが、原書はスミスの全短篇を収録した1巻本であり、邦訳版ではそれを3分冊してお送りするとのことなので、"全短篇"となる。今巻に限って言えば人類補完機構短篇をおおむね時系列順に*1収録しており2篇の初訳を交えているので、旧来からの読者も当然ながらマスト・バイである。

「スキャナーに生きがいはない」の初出から60年以上の時を経てその濃度はまったく失われていない。一般的に知名度が高いわけではないと思うが、ハヤカワ文庫補完計画*2のラストを締めくくるには不足はない作品と存在感であるといえる(まあ、そもそも「補完計画」だしね……約束されていたともいえる。)。

そもそも人類補完機構って何?

さて、そもそも未読者向けに人類補完機構って何? ってところから話をはじめよう。これは滅亡寸前までいってしまった人類の生き残りが同じ悲劇を繰り返さぬよう設立されその後1万年以上にもわたる未来史において中心的な役割を果たすことになる組織の名《人類補完機構》である。スミスの短篇のほとんどと、長篇『ノーストリリア―人類補完機構』はこの人類補完機構が存在する世界を描いた作品なのだ。

ノーストリリア (ハヤカワ文庫SF)

ノーストリリア (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: コードウェイナー・スミス,ハヤカワ・デザイン,浅倉久志
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2009/09/05
  • メディア: 文庫
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いろんな短篇

「マーク・エルフ」は人類補完機構設立以前の時代を描いた短篇だ。

第二次世界大戦末期に脱出のためロケットで打ち上げられたドイツ人三姉妹の一人が、長い眠りから覚め荒廃した地球へと降り立つとそこにはドイツ帝国に逆らうあらゆる人間を殺すロボットがいた! 彼女とドイツ人以外絶対殺すマシーンとの間で交わされる奇妙な対話は、ロボットならではの硬直性を描きながらもそれがもたらした圧倒的な悲惨さとどこか笑えてしまうユーモアも同時に描いている。

「あなたはドイツ人だ。ドイツ人がどこにもいなくなって久しい。わたしは地球を二千三百二十八周した。これまでに第六ドイツ帝国の敵を一万七千四百六十九人たしかに仕留め、ほかにおそらく四万二千と七人を殺している(……)」

これに続けて、打ち上げられていた三姉妹のうちのもう一人が地球に降下し、人類補完機構設立の瞬間が描かれる「昼下がりの女王」とまっとうに補完機構世界の発端を捉えてこれがどのような世界なのかを提示するような短篇もあれば、補完機構とはあまり関係なく圧倒的な情景と、この世界の許容度の広さを魅せてくれる短篇もある。

その筆頭といえるのは人間を空から大量にパラシュート付きで落とすことで金星乗っ取り計画を描いた「人びとが降った日」だ。『「前代未聞のことだが、どうやら人間を落としているようだな。それも、たくさんの数だ。何千万、何百万、いや、何千万かもしれん。とにかく大人口がここに降りようとしている」』金星上空には何千隻もの船が待機しており、人間がばらばらばらばらと植民のために降ってくる!!

同じく情景で魅せる短篇として、「黄金の船が──おお! おお! おお!」はラウムソッグと呼ばれる勢力との戦争を描く。人類補完機構サイドは人的な被害を最小限に抑えて戦争を制してみせる。その方法とは、補完機構の長官でさえ正確には知らない秘密兵器である全長1億5千万キロの黄金の船で敵を圧倒することだった! 

全長1億5千万キロ! 凄まじいhattari! この短篇では黄金の船の奮闘に加え、ほんの7行にすぎないが「ツキを変える超能力者」の少女が出てきて、『ほんの数瞬、惑星のありとあらゆる場所で、海面下で、海上で、地上で、空中で、ツキがわずかに落ちた。争いが始まり、事故が起こり、あらゆる災難が確率の限界すれすれのところまで増加していった』とめちゃくちゃな事態が描写されたり、ケレン味が半端ない。

多くの短篇にラブロマンスの要素が含まれているのも特徴の一つといえる。「星の海に魂の帆をかけた女」では、宇宙航行が盛況な船乗りの時代に、40年の航行をするために「主観時間の1ヶ月を40年に引き延ばす」処置を行って船乗りを送り出す状況が描かれる。若き少女はそうした主観的にはともかく身体的にはめっきり歳をとった老パイロットに恋をしてしまい、彼女自身も船乗りを志すが──シンプルながらも時を超え覚悟を要求する鮮やかな愛が描かれる。これがなんて美しいことか。

スキャナーに生きがいはない/鼠と竜のゲーム

表題作「スキャナーに生きがいはない」は、一般読者の目に触れたスミスの初短篇だが初読時は誰しも度肝を抜かれたことだろう。何しろ特に説明なく数々の用語が出てきて、何を言っているのかよくわからずに幻惑されるが──とにかく問答無用で"かっこいい"ことだけはわかり、読み進めていくうちになんとなく意味が了解されてくる──あるいは意味がわからなくても特に問題ないか! と振りきれてしまう。

「スキャナーに生きがいはない」時代は深宇宙に行くには、虚空の苦痛に耐えるため脳と肉体を切り離すヘイバーマン手術を受け、"スキャナー"になる必要がある。スキャナーは人類のもっとも名誉ある者として民衆から尊敬を受けるが、一ヶ月に数回"クランチ"することで人間に戻る以外は機械のような生活を送っている。ところがある科学者が、スキャナーにならずとも苦痛を遮断する方法を見つけてしまい、スキャナーらは唯一の生きがいすらもを奪われることになる──。スキャナーらはその科学者を抹殺することを決めるがはたして彼らの未来はどっちだ!!

深宇宙へ行くには虚無に耐えなければならない独自設定、そこから生まれた脳と肉体を切り離されたスキャナー達、それだけでも異様だが、これが後々まで大きな意味を持つ設定として引き継がれていく。「鼠と竜のゲーム」では、平面航法を用いた際に現れる虚無/死の恐怖を竜と呼び、150万キロを2ミリセコンドそこそこで移動する人間の反射神経では反応できない竜へ対抗するため、改造された猫をパートナーとして航行する文字通りの「鼠と竜のゲーム」が展開される。

この猫は見た目はただの猫だが思念によってその感情が流れ込んでくるがために、これがまたかわいいのだ。宇宙の虚無を竜と表現し、それに対抗するために猫を伴う。ほとんど冗談のような、それでも強烈なインパクトをもたらすイメージを、あくまでも大真面目に、裏付けとなる緻密な理屈/設定構築を伴って現出してみせる。

奇想という他ないアイディアがふんだんに盛り込まれ、それでいて1万年以上にわたる未来史へとしっかりと統合され「一つの壮大な絵巻」が明らかになっていくその興奮は、今を持ってしても他に耐え難い破壊的な傑作だ。

おわりに

にわかには飲み込み難い異様な設定の数々、歴史的事件や未来の行末を短篇の中で断片的/暗示的に描き、圧倒的な情景で見せていくそのスタイルは無数の解釈可能性を含んでおり、まるで神話のように反響する。この先SFというジャンルにどれだの作家が出てこようとも、燦然と輝き続ける特異な才能であり、作品だろう。

残り2冊にも新訳は含まれるのでそれがただただ楽しみだ。これにてハヤカワ文庫補完計画もラストになるが、全70冊、様々なジャンルにわたって素晴らしい作品/企画を堪能させてもらった。無謀なことにハヤカワ文庫補完計画全レビューなどということを始めてしまったがきちんと完走できたたのも作品のおもしろさあってこそである(つまらなかったらとっくにやめている)。関係各位には感謝したい。

*1:補完機構以外の短篇が入るのは第3巻から

*2:早川書房70周年を記念して全70点を復刊・新訳・文庫落ち・新編集で送る企画