基本読書

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物語には全篇を通じて音楽が流れている──『アルファ・ラルファ大通り』

アルファ・ラルファ大通り (人類補完機構全短篇2)

アルファ・ラルファ大通り (人類補完機構全短篇2)

コードウェイナー・スミスによる〈人類補完機構〉全短篇の第二巻である。

第一巻『スキャナーに生きがいはない』の方では20世紀から130世紀までの15篇を収録していたわけであるが、今回はおおむね時系列順で「クラウン・タウンの死婦人」から「ショイヨルという名の星」までの7篇が収められている。初訳こそないものの、どれもオールタイム・ベスト級の短篇ばかり。

前提情報

第一巻読んでないや、という人でコードウェイナー・スミスも〈人類補完機構〉もよくわからない人は先にこの記事を読んできたほうがいいかもしれない。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp
いちおう〈人類補完機構〉について説明しておくと、これは滅亡寸前までいってしまった人類の生き残りが同じ悲劇を繰り返さぬよう設立し、その後1万年以上にもわたる未来史において中心的な役割を果たすことになる組織の名である。〈人類補完機構〉短篇とは、その歴史に所属する物語のことだ。統一的な主人公などはいず、基本的にばらばらの話なので二巻から読んでもまったく違和感はないが、原書では一巻本なのを邦訳では三分冊しているので順番に読んだほうが良いだろう。

SFやファンタジーと単純に分類し言い切ってしまうには異様な設定、壮絶にかっちょいい文体に、まるで想像もしたことのない奇妙なイメージの本流、その全てが1万年以上にわたる未来史へとしっかりと統合され「一つの壮大な絵巻」が明らかになっていくその興奮は、今を持ってしても他に耐え難い破壊的な傑作だ。この世にはたくさんの短篇集があるわけだが、このシリーズはベストに近い位置につけるだろう(まだ未訳のものを含む、人類補完機構外の短篇を集めた第三巻が出るからね)。

神話における世界創造のような自由闊達さ

人類補完機構の何がそんなにおもしろいのか自分でもよくわからない。しかしあえて挙げるならば「自由さ」がその基調にはある。壮大なスケールと鮮明なイメージ/ヴィジョンによって物語は支えられているが、短篇ごとに平気で数千年単位で時間が経ってしまう。その上、必要であれば古代文明由来の理屈もわからず作動する「予言機械」とか超越的な設定がポンと放り込まれるためにだいたいなんでも描けるのだ。

特にこの巻は、人々がしあわせを強制されていた時代から、誰しも不幸や冒険、古代の言語や文化に回帰する「自由」が与えられるようになる〈人間の再発見〉時期が中心トピックとなっていることも関係してか、とにかく壮大である。

時間にも空間にもとらわれず、人類を滅亡まで追い込んだかと思いきや復活させ、まるごと幸せにしてみせたかと思ったら革命によって不幸を復活させてみせる。そんな神話における世界創造のような自由闊達さによって、発想の枷もなく、猫娘や牛人間、そのまんま猫だったり竜のイメージだったり──と異質なものを次々と作中に登場させ、まったく印象の異なる話を同一世界観に違和感なく取り込んでいく

〈人間の再発見〉のきっかけとなる下級民の革命を描いた「クラウン・タウンの死婦人」、規定されたしあわせへの不服を述べ、死期を自身で定め残り少ない寿命を規則のない世界にいって過ごす男を描いた「老いた大地の底で」。表題作になっている「アルファ・ラルファ大通り」では〈人類の再発見〉後に、不幸になり冒険をする自由を得た男女の二人組が、未来を告げてくれるという予言機械を用いるため雲の中へと繋がるアルファ・ラルファ大通りを一組の男女が登っていく。

「ママ・ヒットンのかわゆいキットンたち」は一人の大盗賊が「いまだかつて誰もたくらんだことのない壮大な盗みを実行」する物語であり、「ショイヨルという名の星」では流刑星ショイヨルで死ぬこともできずに臓器が体中から生え、それをひたすら回収され続ける地獄絵図が展開する──限りなく自由だが、どの短篇にも強烈なコンセプト/イメージというか、「これを描くぞ」というヴィジョンがある。

何よりそれを実現するための文章それ自体が抜群にかっこういい。「老いた大地の底で」の前置きの文章など、もう最高なんだよな。『物語には全篇を通じて音楽が流れている。地球政府と補完機構のひそやかな甘い調べ、それは蜂蜜のように口あたりよく、最後には胸が悪くなる。また人類の大多数にとって禁断の地、ゲビエットの荒々しい違法なビート。(……)』なんて文章がドライブしまくっている。

帰らぬク・メルのバラッド

個人的に、今巻の中で最高の文章が「帰らぬク・メルのバラッド」のうちの一節。

ク・メルは、どんなホミニッド女性よりも純粋な女らしさに恵まれていた。訓練を積んだ笑み、手入れされた赤毛と、信じがたいほど柔らかなその手ざわり、若いしなやかな肢体にそなわる引き締まった乳房、どっしりとした尻──そうしたものの値打ちを知っていた。自分の脚線がホミニッド男性に与える効果のほどを最後の一ミリの単位まで知っていた。真人たちは、彼女のまえではすなおに秘密をのぞかせた。男たちは満たされぬ欲望を隠さず、女たちは抑えがたい嫉妬にみずからをさらけだした。だがク・メルが人間に通じているのは、なによりも自分が人間ではないからだった。ク・メルは似せることで学んだが、似せるという行為は意識的なものである。真人の女にはなんでもないような、または一生に一度考えるかどうかというような無数のちっぽけなことがらが、切実な知的観察の対象になった。彼女は専門職において女であり、同化業において人間であり、遺伝的本性において好奇心いっぱいの猫であった。いま彼女はジェストコーストを愛しはじめており、それに気づいていた。

基本的にはク・メルとは「何なのか」という話をしているに過ぎない──のだが、この文章の極端な伸びの強さにコードウェイナー・スミスの文体/文章として心底僕が好きな部分が凝縮されている。たとえばこれ、途中までは「普通の描写」なのだよね。引き締まった乳房、どっしりとした乳房とか、効果のほどを最後の一ミリの単位まで知っていたとか、そのあたりまでは「想定の範囲内」といっていい。

それがそこで終わらずに、「だがク・メルが人間に通じているのは、なによりも自分が人間ではないからだった。」からはじまる「魅力には、それ以上先がある」という理屈の展開が凄まじい。そして、「その先」について完璧な理屈で語った後、「彼女は専門職において女であり、同化業において人間であり、遺伝的本性において好奇心いっぱいの猫であった」と素晴らしいリズムで畳み込んできてそのまんま「彼女はジェストコーストを愛しはじめており」という普遍的な事象に戻ってくる。

この「帰らぬク・メルのバラッド」はいわば階級違いの恋、お互いに好意を表明しあえない状況でこその愛を描いた「ありきたりな悲恋の恋愛譚」ともいえるんだろうが、彼女の特異性に加え相手であるジェストコースにも相当な背景が練りこまれており、さらに彼女たちを取り巻く階級や状況の背景にも一万年にわたる歴史が存在し──と「ありきたりな恋愛譚」の短篇一つとっても「人類史」が密接に絡み合っているからこそのスペシャルな重みがある。

おわりに

第三巻『三惑星の探究』では、未訳の二篇を含む〈キャッシャー・オニール〉シリーズの全短篇と、〈人類補完機構〉に属さない短篇が収録されるので、今から楽しみである(特に未訳のは一刻も早く読みたいものだ)。

スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)

スキャナーに生きがいはない (人類補完機構全短篇1)