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我々の宇宙はなぜ「できすぎて」いるのか──『マルチバース宇宙論入門 私たちはなぜ〈この宇宙〉にいるのか』

本書はその書名のとおりに、この世界には我々が今住んでいる宇宙以外にも複数の宇宙が存在することを仮定した物理理論、マルチバースと呼ばれる世界像を解説した一冊である。180ページ足らずの新書で、説明できるのかねえと疑いながら読み始めたのだけど、前提となる知識の紹介からしっかり進め、マルチバースの本質に絞ってコンパクトにまとめあげていくずっしりとした内容のある新書であった。

 しかし、本書で紹介したいのは、この20世紀の成功をさらに超える最新の「宇宙」論である。ここで宇宙という単語をカッコの中に入れたのには理由がある。この最新の描像によれば、我々が宇宙だと思っていたものは無数にある「宇宙たち」の一つににすぎず、それら多くの宇宙においては素粒子の種類、性質およびそれを支配する法則、さらには空間の次元に至るまで多くのことが我々の宇宙は異なっている。

というマルチバース宇宙論だが、まだ発展途上の理論であり、整合性は合うけれども、まだ確証がとられているわけではない。そこで本書では、この宇宙のはじまりを説明するインフレーション理論、ビッグバン理論などの「確かなこととしてわかっていること」からはじめて、次第にマルチバースの本質的な部分へと迫っていく。

前提となる部分の説明は基本的に各種宇宙論の本を読む時に書かれていることなので割愛し、マルチバース宇宙論に関わるところだけ簡単にピックアップしてみよう。まず"そもそもなぜそんな理論が必要とされているのか"という点が疑問である。一応のところ宇宙のはじまりはわかっており、我々の宇宙は我々の宇宙として完結しているようにみえ、他の宇宙だとかなんだとかそんなややこしい理論を必要としているとは一見したところみえない。ただ、"解き明かせていない謎"も無数に存在する。

たとえば、我々の住む宇宙では、クォーク、レプトンなどのパラメータの値が"あまりにも都合よく選ばれている"ようにみえる。原子核を成立させる物理は複雑ではあるが、いくつもの種類の原子核が安定して存在している。原子核は恒星内などで合成できるから、存在すること自体は"不思議ではない"。が、しかしそもそもなぜ原子核が安定して存在できるようなパラメータになっていたのかはわからないのである。

標準模型にはヒッグス場の二乗質量パラメータというものが存在する。理論的にはこのパラメータは何十桁の範囲にわたって正負どちらの値も取ることができるのだが、それを実際の標準模型の値からたった数倍にしただけで(陽子自身である水素原子核を除く)全ての原子核が存在しなくなってしまうことが計算によって示せるのである。

つまり我々の宇宙が、標準模型のパラメータがズレた宇宙であったならば複雑な構造を持つことは不可能であり、生命が存在することもありえなかっただろう。これに対する単純な答えとしては「生命が存在することのできない宇宙には、そもそも我々のような観測する主体も存在しないのだから無意味な問いかけだ」というのもある。

そもそも太陽系からして、太陽と地球との距離、地球と他惑星の距離が少しでも違っていれば生命の生まれる環境など成立していなかったはずなので、"我々はたまたまうまくいった惑星系に生まれ得た"だけにすぎない。銀河系には無数の恒星と惑星系が存在し、その中には地球と同じく生命が生まれることが可能な惑星もあるだろう。逆に生命が生まれる余地のない惑星系もあるが、そこでは「なぜ我々は生まれ得たのか」と同じ問いかけが投げかけられることもない。要するに"たまたま"である。

これは現在の我々の宇宙をめぐる「謎」と似ている。なにしろ標準模型のパラメータ以外にも、ダークエネルギーと物質のエネルギーの奇妙な均衡(7:3)など、そうでなければ惑星や生命が生まれることのなかったといえるほど都合の良いパラメータがこの宇宙には設定されているわけで、それに対して"無数にある宇宙の一つがたまたま都合が良かったのではないか"と考えること自体は、そう無理なことではない。

理論的にも整合性がとれている。

という説明だけだと「じゃあ単にそう考えたほうが都合がいいってだけなの?」と思うかもしれないが、実際には理論的にも可能だとする理解が幾つか得られている。たとえばSFなどでは時折話題になる「超弦理論」では、理論が数学的に矛盾しないためには世界は十次元である必要があるとする。この理論によると、通常我々に認識できるのは三つの空間座標に時間を加えた四次元だけだが、より(認識できないほど)小さくさまざまな構造を持つことが可能な六次元の存在がこの世界には想定できる。

で、この六次元はさまざまな構造を持てるというのが重要で、そのおかげで異なる種類の宇宙が超弦理論の枠内で実現することができるようになるのだ。もちろん、実現できるからというだけじゃ根拠にはならないわけだけれども、そうした前提をもとに、量子力学のトンネル効果と呼ばれる確率過程を勘案に入れると、点々と宇宙が広がっていく理論的枠組みが完成してしまう。(要約したくないので)そこについては意図的に説明を簡略化してしまったが、確信の部分は読んで確かめてもらいたい。

 それによると、時空では永久に加速膨張を続ける「背景」の中に無数の泡宇宙が生み出し続けられている。さらに、超弦理論によれば、これらの泡宇宙は10^500かそれ以上の種類を持っている。これらの異なる宇宙においては、素粒子の種類や性質から真空のエネルギーの値、空間の次元までもが異なっており、我々が住んでいる宇宙、すなわち第1章で見た宇宙はこの無数の泡宇宙の一つにすぎない。これこそまさに真空のエネルギー値の問題を解くのに必要とされていた状況である!

おわりに

というところまでが本書の前半部分、マルチバースの概要である。ある意味「我々はなぜ今ここにいるのか」を解き明かす理論であり、魅力的な宇宙論のうちのひとつだ。他にも本書では、このマルチバース宇宙論で我々の宇宙が「終わる」時には何が起きるのか、マルチバースをどうやって実証していけばいいのといった問いかけや、今後さらなる発展が期待できる、「量子的マルチバース」仮説を描き出してみせる。

新書とはいえ、マルチバースの本質に絞って話を展開しているのでぎゅっと情報が詰まっている一冊だ。ちなみに著者である野村泰紀さんはカリフォルニア大学バークレー校教授、バークレー校理論物理学センター所長などのきちんとした専門家である。あ、あとついでに我々の宇宙とは別の物理法則の宇宙を厳密な整合性で展開する超弩級のハードSF『クロックワーク・ロケット』もオススメしておきます。

クロックワーク・ロケット (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

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