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墜落するプライベートジェット、生き残った二人のヒーローが直面する現実──『晩夏の墜落』

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

晩夏の墜落 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

いやーこれはおもしろかった! 早川書房は最近、同じ本を文庫と他の判型で、同時に出すことがあるのだけど(『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』とか)本書もそのケースにあたる。で、これは要するに自信作(内容的にも、売上的にも)なんだろうなと推測するわけなんだけれども、本書はきちんとその期待に答えてくれた。

著者のノア・ホーリーは脚本家などをやっておりドラマ『FARGO/ファーゴ』などが有名のようだ。僕はドラマもあまりみないし、名前にピンときたわけではなかったけれども、とにかく冒頭から地の文、セリフ回しが格好良く、ほんのちょっとした描写にもいちいちぐっとくるフレーズ、言い回しが差し込まれていく。その上プロットは洗練されていて、ドキドキしながら読み進めることになる。

簡単に冒頭のあらすじ

物語の中心となるのは画家であるスコットだ。年齢は47歳。とあるニュース業界の大物が乗るプライベートジェットにたまたま誘われ、個展の準備におもむくため乗り合わせるが、これがなんと離陸からわずか18分後に墜落してしまう。この"墜落"に向かっていく部分の地の文とか、とてつもなく気取っている、装飾過多ともいえる調子なんだけど、それでいて読むのに心地よく、とてもよく馴染むのが凄いと思う。

そのとき、機体がふわりと浮かぶあの瞬間が訪れ、ジェット機の車輪が地面を離れる。ありえない希望を生み出すこの動きが、人間を下へ引こうとする物理法則によるこの一瞬の宙ぶらりんが、彼女を元気づけ、そして恐れさせる。これから飛ぶのだ。自分たちは飛ぼうとしているのだ。ジェット機が白い霧のなかを上昇する。彼らは言葉を交わし、笑い声をあげる。一九五〇年代の歌手が歌う優しいバラードと、打者が打席についたあとの長いホワイトノイズをBGMにして。十八分後、この機が海に突っ込むとは、だれひとり夢にも思わずに。

さあ、しかし物語が大きく動き出すのはここからだ。飛行機は墜落した。通常、生存は望めないような大惨事だが、動ける人間がいた。いうまでもなくスコットである。彼は左腕の関節に異常があったが、持ち前の体力と水泳技術を駆使して、周囲の生存者を探し、たった一人だけ、ニュース業界の大物、その5歳にも満たない息子が泣いているのを発見する。他の生存者は見当たらず、スコットは少年を鼓舞し、置いていくことも出来ただろうに、彼を曳いて陸地を目指し泳ぎだすことになる。

「ヒーローってなんだか知ってるか?」
「悪いやつらと戦う人でしょ」
「そうだ。ヒーローは悪いやつらと戦うんだ。ぜったいに諦めない。わかるな?」

情報とエンターテイメントのせめぎ合い

この墜落現場から陸地を目指して一人の男と少年が苦闘する場面の描写自体が凄く良いのだが、問題は二人が生還した後の話である。絶体絶命の状況から、二人の生存者が出た。そんなただでさえ奇跡的な結果に加え、生還した男は自らの危険も顧みず、海を泳ぎきって少年の命を救った"本物のヒーロー"だ。マスコミは本物のヒーローを決して放ってはおかない。大量のマスコミが彼らの元に殺到し、背景を暴き出し、見せたくないありとあらゆるものを"知る権利"を掲げ白日のもとにさらけ出す。

 ひとたび同胞からヒーローと認定されたら、プライバシーを守る権利は失われ、人から物になる。数字で表させない人間性をはぎ取られる。宇宙の宝くじに当たって、ある朝目覚めたら、神のように崇められる人になっていた。幸運の守護聖人に。そうなると、自分のために何を望むかということなどどうでもよくなる。大事なのは他人の人生のなかで自分が演じた役割だけ。もはや自分は、陽光をまともに浴びるように差し上げられた珍しい蝶なのだ。

スコットが有名になるにつれ、同時に提出されるのは、"果たして墜落の原因はなんだったのか?"という疑問である。ただの事故だったのだろうか? 何らかのテロ行為だったのか? 機内に乗っていたデイヴィット・ベイトマンは過激な言葉でニュースを伝えるALCニュースの代表であり、命を狙われていてもおかしくはない。仮に事件だとしたら、生存者であるスコットの重要性は(容疑者としても)なお高まる。

ベイトマンに看板司会者として見出されたビル・カニンガムという、人が聞きにくい事を何でも聞くことをウリにする男は、自身のニュース番組において、これは殺人事件でありかならずや真相を突き止めると宣言し、スコットをつけ狙うようになる。物語はそうした"誰が墜落させたのか"という軸と、知る権利の名のもとにプライバシーを暴き立てようとするカニンガムとスコットとの静かな対立を中心に進行する。事実は段階的にフィクションに変えられていく。よりおもしろく、人の興味を引く方へ。

 プライベートジェットの墜落。生き残った男ひとりと男の子ひとり。
 情報とエンターテイメントのせめぎ合い。

このカニンガムのニュースとしての盛り立て方、やり方が汚いしやめてやれよと思いながらもつい見てしまう人の性質、スコットが陥れられていく状況など描写のすべてが素晴らしい。一方で誰が墜落を仕組んだのか? という点については、話の合間合間にジェットに乗り合わせていた人たちの背景、過去の視点が挟まれていき(これがまたみんな思わせぶりな過去をもっているのが心憎い)、断片的に全体像が把握されてゆく。この辺はミステリの構成として抜群にうまいところだ。

とまあ、純粋にプロットがおもしろいのでそこを主軸に紹介したけれども、そこだけではなくあらゆるポイントが楽しい小説なので、どうぞ。ちょっとした小話とかだけでも、凄くぐっとくるんだよね。たとえば結婚についてとか。『しかし、結婚とはそもそもそういうものではないのか? ふたりの人間が十八センチの陣地をめぐってあらそうようなものではないのか?』

晩夏の墜落 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

晩夏の墜落 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)