- 作者: マイケル・L・パワー,ジェイ・シュルキン,山本太郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2017/07/19
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログを見る
1900年以前には肥満者は存在はしていたものの、その数は多くはなかった。たとえば当時のヨーロッパでは肥満者は珍奇なものであり、見世物にする人もいたという。また、平均体重より重いことは豊かさを意味し、病気の際に予備的な体力を有しているものと考えられていた。それが今では肥満は自己抑制の欠如の結果だと捉えられ、むしろ数々の病気を引き起こす悪い現象、不名誉な状態であると考えられている。
それにしてもなぜ、わずか100年でそれ程の変化が起こってしまったのか。人はなぜこれほどまでに容易く太るようになってしまったのか。人の肥満に対する脆弱性はどこから来たのか。本書は、そうした疑問を中心に置き、人がなぜ、どのように肥満になるのかを生物学を筆頭にし、包括的に理解しようとする一冊である。
多くの人が悩んでいるであろう"どうすれば痩せられるのか"や、"どうすれば肥満を予防できるのか"といった問題に直接的な解答を与える内容ではないけれども、その根本原理を理解せずにダイエットを強行すると健康にも効率にも問題が出るだろう。
人はなぜ太りやすいのか
まずはシンプルに、肥満の増加はなぜ起こったのかを紹介するが、核心部分を引用すれば次のようになる。『著者らの見解は、肥満の増加は、ヒトという種の適応的生物学的特性と現代という時代環境との間のミスマッチに起因するというものである。』
学術的な物言いなので補足を入れると、第一に脂肪を体内に蓄える能力は生存する上では実に有用なものである。かつて人類が存在していたのは、必要なエネルギー支出を賄うために恒常的に努力しなければいけない状態であった。そうなると、時折多く食糧を手に入れられた時に脂肪として蓄えられれば、食物が手に入らない時の予備として用いる動機と、そうした能力を持つものが生き残る確率は高くなる。
つまり、過去の人類において脂肪量は外部環境によって調整──基本的には"抑制"されてきた。いつも飯が食えるとは限らず、日々の生活の中での運動量も多い。摂取エネルギーが支出エネルギーを大きく超えることのない生活だ。稀に太ることはあったかもしれないが、環境の変動によって痩せる圧力は高かったに違いない。
対して現代人が過ごす日常は、そうした生活とは異なる。食べるものは豊富で、得るための努力もそれほど必要ない。食品科学の発展によって食事のカロリー量は跳ね上がり、少量で大量のエネルギーを摂取できてしまう。その上、移動手段と情報の伝達手段と道具が発達し、動かなくとも仕事を完結できるようになってしまった。
もちろんそんな時代にあってもあまり太っていない人も多いし、身体の大きさや肥満のなりやすさに遺伝的要素が存在することもわかっている。とはいえ、現在の世界的な肥満の増加には、明らかにそれだけではない環境要因が関わっている。
近年の肥満増加の速度は、原因を遺伝的なものに帰するには速すぎる。一方でそれは、肥満増加に遺伝的要因が関与していないということではなく、現代の肥満の相当部分は遺伝的に相続されるものではないということ、もしくはヒトを肥満させやすくすることの根底に横たわる遺伝的なものが集団間に広がったことを示唆する。おそらくその両方だろう。
本質的な事実を書いておくと、肥満は摂取カロリーが消費カロリーを上回った時に発生する。要するに、痩せたければ1.摂取カロリーを減らす。2.消費カロリーを増やす。の二択しかないわけだが、現代では健康的な食物は、味が良くカロリーの高い食物に比べて値段が高く、その上手に入りづらい。さらには運動をする機会や場所も限られており、どちらも時間とお金をかけねば得られないものになっている。
肥満に至る道はひとつではない。それはつまり、肥満の回避も何かひとつによって達成できるわけではないことを意味する
本書は、その肥満に至る道を、摂食、消化、エネルギー代謝、脂肪の生理学や内分泌学などなど様々な観点から疑問を提示し、検証してみせる。そもそも人が高エネルギー密度食物を獲得する動機を得たのはなぜなのか。これについては恐らく、人は有能だが大量のカロリーを消費する大きな脳を得、その結果として高エネルギーを探し求めるようになったのだろう。また、新生児と妊婦の脂肪量が人類の歴史の過程で増加しているが、これも出生後に脳が成長するための適応として起こった可能性が高い。
つまり、人類は生物的特性として脂肪を蓄える動機と能力を持っており、元来より人は肥満に対して脆弱性を持っていた可能性がある。その上、今はその脆弱性を環境がさらに広げてしまう。安価で高カロリーな食物の需要にこたえる市場システム。地域の運動娯楽施設数と肥満リスクの相関(地域にひとつでも施設があると、青年の肥満リスクが有意に低下する)など、あらゆる状況が我々を肥満へと誘引しているのだ。
最終的に肥満を減少させるためには、その総合的な理解が必要不可欠である。
おわりに
人はこれまでその環境改変能力によって、それまでは容易にはなしえなかった"肥満"を簡単に達成できる環境を手に入れてしまった。しかし行き過ぎた肥満には最初にも書いたようにとうぜんながら問題があり我々は再度の環境改変を迫られている。
本書は、専門性の高いところは高いが、その場合でもきちんと一から説明してくれており、前提知識があまりない状態で読み始めても問題ない。本稿では紹介しなかったが、男女差による脂肪の付き方の違いなど、どの章もそれぞれ興味深いテーマが並んでおり、肥満の科学に関する決定版といえるような一冊である。値段が4500円を超えていてちと手に取りづらいだろうが、しばらく肥満の科学について本書を超えるものは出てこないだろうから、それを考えると損はない(と自分に言い聞かせている)