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遺伝子の差はどれだけの不平等を産んでいるのか──『ゲノムで社会の謎を解く 教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで』

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

ゲノムで社会の謎を解く――教育・所得格差から人種問題、国家の盛衰まで

  • 作者: ダルトン・コンリー,ジェイソン・フレッチャー,松浦俊輔
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2018/01/25
  • メディア: 単行本
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双子研究を筆頭に、遺伝子が我々の身体的特徴だけではなくIQやハンチントン病などの病気に深く関連していることがわかってきている。が、そうであるならば遺伝子についての知見を深めることで、介入したほうがいい人間には介入し、そうでない人間には介入しない──というような形の、オーダーメイド政策はありえるのか。

受け継がれた遺伝子的な差異は、社会的不平等の第一の駆動力なのだろうか。現在の機会均等と見なされているものは”勉強ができること”によってもたらされているが、そもそもその能力に生来から違いがあるのだとしたらそれはどれ程の不平等につながっているのか。仮に遺伝子の差がほとんど不平等をもたらさないにしても、もしそれが明らかになれば、より適切な平等へ向けて歩み出すことができるかもしれない。それは危険な考えだが、本書はそんな領域へと果敢に踏み込んでいく刺激的な一冊だ。

 しかしわれわれ{本書の著者二人}は目を見開いてこの探求の領域に入り込む。実際、不平等の遺伝学がこの本の主なテーマだ。具体的には、分子遺伝学の情報を社会科学的探求に組み込むことが、不平等や社会経済的成果(個人でも国全体でも)についての議論にどう役立つかを考える。

とはいえ、ゲノムで社会の謎を解くと勇ましい書名もついているが、わかっていることは多くない。統合失調症についての遺伝しやすさの推定は80パーセントを超えていたが、DNAデータを使った研究では、それとは反してかなり低い3パーセントのような推定を出すものもある。そういった”わかった”と思っていたことも、意外と確かではないことが明らかにされていき、”謎を解く”というよりかは、”そもそも何が謎なのか”といったところから、遺伝子と社会の関係性が明らかにされていく。産まれたばかりの分野だからこそ、その探求はひたすらにエキサイティングである。

取り上げられていく疑問は無数にあるが、そのごく一部を紹介すると次のようになる。優秀な人間は優秀な人間と交配することで、能力は時が経つにつれ偏っていくのか? 人種による遺伝的な差異はどの程度か? 栄えている国と衰退する国に関連する要因の一つとして、遺伝子は寄与しているのか? 遺伝子と環境の相互作用によって我々の能力や病気は発現することが近年分かってきたが、どのような環境と遺伝子が合わさった時に特定の効果が出るかを明らかにすることはできるのだろうか? 

などなど、遺伝学について現状わかっていることを整理し、問題を浮かび上がらせ、仮説を提示し、多くの推測を巡らせることで社会ゲノム科学革命の道を歩んでいく。

一部を紹介する

それでは上記で紹介した問いかけの一部を細かくみていこう。まず「優秀な人間は優秀な人間と交配することで、能力は時間が経つにつれて偏っていくのか?」だけれども、これはいかにもありそうな話だ。大学卒の男性は、大学卒の女性と結婚する可能性が高く、教育、職業、所得が似通った二人が結婚し、その背後にある遺伝子型がかけあわされていくと、子供にもそうした形質が受け継がれていくように思う。

確かに、遺伝子の特徴は配偶者同士でいくらかの相関はあるというデータがある。しかし、実は子供は平均に回帰していくこともわかっており、どんどん優秀になっていく子供は遺伝子的には存在しないことになる。なので、我々がそうと意識せずとも遺伝子格差社会に位置づけられているというのは(遺伝子を観る限りでは)なさそうだが、学歴についての配偶者間の類似は20世紀前半と後半では後半の方が高い(配偶者の教育水準に大きな格差が生まれている)という事実もあり、気になるところだ。

配偶者は確かにある程度遺伝子的に似ているが、類似性が増す傾向はない。すると、多くの学者があると言っている学歴による選別の増加は、環境側について起きているという結論になるかもしれない。

また、より大きな話としては、ヒトの集団遺伝学という考え方/分野によって、経済発展/停滞が予測できるかもしれないとする研究も紹介されていく。産まれたばかりの分野でまだまだ確かにいえることは少ないが、たとえば諸国内部の遺伝子の多様性が所得を高め、成長曲線をよくする「ちょうどよい」水準があることを示した研究もある。ようは遺伝的多様性が高すぎても低すぎてもダメで、その中間でなければいけないというのだが、もしこの確度が高まっていった場合、国家はそうした状態を保つように行動すべきなのか──といった難しい問いかけも生み出すことになる。

遺伝学的情報による社会政策の実現の是非

ゲノムについてのより詳細なデータが集まれば、支援が大きな効果を上げる子供と上げない子供の差もわかってくることだろう。その時、たとえば低体重児のうちどの遺伝子を持つ子が追加の医療で利益を得られ、どの子がそうでないのかがわかるのであれば、そのデータを使い、介入非介入を決定べきなのだろうか。経時的ストレスはすべての親をキレやすくするが、中でも一部の遺伝子変異体を持つ親は経済的ストレスのある時期に、子供にどなったりたたいたりする傾向を大きく高めることがわかっている。それがあらかじめわかっている時、政策はそこに介入すべきなのだろうか。

今よりも遺伝子への理解が進めば、子供を成すことになる配偶者へと遺伝子情報の開示を認める状況が一般的になってしまうかもしれない。見た目だけではわからない、より良い遺伝子を残せる可能性を持つ相手を探すようになり、悪い遺伝子を持つ人はそれを隠し、隠していることを理由に差別を受けるようになるかもしれない。その次に訪れるのは遺伝子編集だ。現状人類は遺伝子編集の技術も持ち始めているところだが、どのような遺伝子であっても改変できるようになれば、金のある人間は遺伝子的な健全性を得ることで、覆すことのできない社会的な不平等が生まれてしまう。

遺伝子をめぐる状況は変化が激しく、我々の思考や政策はまだそこに追いついていないのが現状だ。本書はそうした状況にたった一つの解を与えるものではないけれども、どのような考え方がありえるのかを一通り網羅していってくれる。本書は、”次の世界”を考えるうえで、外せない視点を持った一冊だ。同様の問題と歴史を取り扱った遺伝子についての書籍としては、シッダールタ・ムカジーによる名著『遺伝子‐親密なる人類史‐』が翻訳刊行されたばかりなので、合わせて読みたいところ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp