基本読書

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アンチ優生学の立場で、遺伝がもたらす人生への影響を「平等」の観点から考え直す──『遺伝と平等―人生の成り行きは変えられる―』

近年、遺伝子研究が進展してきたことで身長や顔といった見た目の要素だけでなく、「学歴」のような生涯収入やそれに伴う生活の質に直結する部分も遺伝子の影響を受けることがわかってきた。しかしそうしたデータは気軽に世に出すと、何度否定されても議論が絶えることのない優生学や、何をもってして社会は「平等」や「公平」といえる状態になるかといった、簡単には答えのでない議論を呼び込むことになる。

しかし、実際に遺伝子によって学習能力や最終学歴に差が出るのであれば、議論が難しいからとか、遺伝による差が明らかになると優生学に結びつく可能性があるからと危惧し「遺伝的な差異をなかった/見なかった」ことにするのは間違っているのではないか。それ──遺伝的な差異による富の格差──がある前提で、平等についての議論を進める必要があるのではないか。けっして優生学に陥ることがないよう、アンチ優生学の立場を表明し、それでもなお遺伝的な差異を直視し、平等を目指すために。

本書『遺伝と平等』は、最新の遺伝子研究をもとに、間違いなく人類社会には遺伝による富の格差が存在することを示し、どのように設計をしたら遺伝的な差異がある人々に「平等」をもたらすことができるのかを議論していく一冊だ。

そもそも遺伝による差異が本当に学歴などに関わってくるのか。関わってくるとしても、どれぐらいの影響力があるといえるのか(世帯収入の方が重要なんじゃないの?)、相関関係と因果関係の違いといった基本的な部分を、双子研究やGWASなど数多の研究手法・データを通して抑えていく第一部と、差異が存在することを前提に、ではどのように平等を設計すべきなのかを議論する第二部にわかれている。

あなたは両親を選べなかった。そしてそのことは、両親が環境としてあなたに与えたものだけでなく、遺伝としてあなたに与えたものについても言える。社会階層の場合と同じく、遺伝くじの結果もまた、社会の中でわれわれが大切に思うもののほとんどすべてについて、人々がどれだけのものを手に入れるかを左右する、制度的な力なのである。p23-24

将来的に研究が進展して遺伝子が人生にどのような影響を与えるのかが今よりもはっきりとわかってくると、本書で書かれるような問題提起や議論を決して無視できなくなるだろう。本書は遺伝学という知識を、社会の敵ではなく味方として使いこなすための、現時点で最良の水先案内人になってくれる本だ。

本当に遺伝的な差異が学歴にまで反映されるの?

人間の能力と遺伝子に関する議論は相当にセンシティブなだけに本書では細心の注意をはらって研究やデータや因果/相関関係を扱っているので、かなり簡略化したここでの紹介だけでわかった気になられると危険なのだが、本当に遺伝的な差異が学歴にまで反映されるの? という最初の疑問点について簡単に紹介しておこう。

それを理解するために重要なのが、「ポリジェニックスコア」と呼ばれる概念とゲノムワイド関連解析(GWAS。個人のゲノムの全領域について、遺伝的な変異のある場所と表現系の関係を調べる手法)と呼ばれる手法だ。前者は、大雑把に説明するとひとりの人が測定された結果(身長や体重や富)に関連する遺伝子のバリアント(DNAの塩基配列に生じる差異のこと)をどれだけたくさん持っているかによって加算される数だ。

単純化していえば学歴に関するポリジェニックスコアが高い人は、数百万人といった人間を対象に行われた研究で関連するとみられる遺伝子のバリアント、SNPs(スニップスといって塩基配列における一つの塩基の個人間の差を指すが、遺伝子バリアントのより細かいやつと理解しておけばいい)を多数有していることになる。

現在学歴に関連するSNPsがすべて発見されているわけではない。サイエンス誌で発表された2013年の研究では、12万人6千人(端数省略)を調べて学歴に関する3つのSNPsを見つけ、その3年後には29万人を調べてさらにSNPsを74個、18年には1千200個以上見出し──と関連していると思われる箇所を見つけ続けている。身長で関連するSNPsは10万にもおよぶとみられるので学歴に関連するのがそれ以下ではなさそうだが、数多のバリアントがひとつの形質に関与している時、それぞれの小さな相関が足し上げられることで、人々のあいだで目に見える違いになって現れる。

で、結局ポリジェニックスコアが最終的な発現(たとえば学歴)にどれぐらい関与しているの? というのが気になるところなわけだが、本書では次のように説明されている。『学歴GWASから作られたポリジェニックスコアは、学校教育を受けた年数や、標準学力テストの成績、知能テストの得点のような成り行きについて、一般に、分散の十パーセントから十五パーセントほどを捉えている。(p.106)』

この部分だけ読むと、小さいね、と思うかもしれないし、大きいな、と思うかもしれない。アメリカで白人を自認する人々の学歴で、世帯所得によって説明できる割合は11パーセントなのだが、それとほぼ同じかそれ以上と考えると影響は大きく見える。また、これが遺伝と学歴の発現に関する唯一の指標というわけでもない。たとえば日本でもよく持ち出される双子研究(一卵性の双子は出生時には遺伝子がほぼ同一になるので、その後の差を研究する手法)では、学歴のばらつきは約40パーセントは遺伝子によるという推定が出てくる(研究によってばらつきはあるが)。

GWASで見つかった遺伝子で説明される分散と双子研究の推定にここまで大きなギャップがある原因はいまだわかっておらず、「遺伝子の行方不明」と呼ばれている問題だ。ポリジェニックスコアはまだ遺伝的バリアントをすべて測定できたわけでもないので、今後研究が進むとGWASによる現在の推定値は過小評価だったね、となるかもしれないし双子研究の推定値が大きすぎる可能性もある。しかし、どこに収まるにせよ、学歴の遺伝率がゼロでないのは間違いない。しかも、このまま何も変わらなかったとしても、遺伝子の影響は世帯所得と同じぐらいはあるといえるのだ。

平等をまじめに受け止める

で、本書ではその前提(遺伝の影響は最低でも世帯所得と同じぐらい重要な要因である)をおいたうえで、では平等や公平についてどう考えていくべきだろうかと第二部「平等をまじめに受け止める」で考えていく。たとえば誰もが同じだけの支援や機会を与えられることが公平か? もしくは、生い立ちの社会的条件や誕生時の偶然故に学校で苦労しそうな子ども個人個人に特別な支援が与えられるのが公平か?

一足とびに平等のための制度といった結論に飛びつくのではなく、遺伝学の知識を「排除」ではなく「平等」のために地道に使っていくのが重要だ。たとえばポリジェニックスコアが低く統計的にはドロップアウトしそうな子であっても、評判の良い学校では、ポリジェニックスコアが高いが評判の悪い学校に通う子と同じくらい学び続けられることもわかっている。遺伝データを活用し、そうした「環境」にはどのような違いがあるのかが分かれば、最終的な教育改革に繋がる一歩になるだろう。

おわりに

AIが発展したことで人間の仕事にはより高度なスキルが求められる。そのためにはさらなる「教育」のチャンスが必要だと語られることも増えたが、その大前提として、遺伝子は最低でも世帯所得と同じ程度には考慮される必要がある。そのためには、まず「遺伝による差異」が存在することを、社会が広く認める必要もあるのだろう。

平等とインクルージョンが必要だという主張を、遺伝的にはすべての人がみな同じだとか、遺伝的性質は人間の心理には影響を及ぼさないとかいう前提の上に打ち立てる必要はないのだ。修正されるべきは、人々がどんな遺伝的バリアントを受け継いでいるかによらず、この国の社会的・経済的生活にすべての人が十分に参加できるように社会を作り替えることに後ろ向きな、社会そのものなのである。(p333)

遺伝データが誤った使い方をされる危険性は常にあるが、遺伝による差異をタブー視して見なかったことにすると、見当違いの支援や対策に税金が投入されることにもなりかねない。ある人の学歴や収入が持って生まれた遺伝子にも影響を受ける──つまり、ある人の成功の大部分が運であることが知れ渡れば、サンデルによる『実力も運のうち』を代表とする能力主義にも議論は繋がってくる。本書(『遺伝と平等』)は現代において様々な領域につながる、重要な論点を持った本なのだ。