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ファンの行動力学──『ファンダム・レボリューション:SNS時代の新たな熱狂 』

ファンダム・レボリューション:SNS時代の新たな熱狂

ファンダム・レボリューション:SNS時代の新たな熱狂

  • 作者: ゾーイフラード=ブラナー,アーロン M・グレイザー,関美和
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/12/06
  • メディア: 単行本
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ファンというのは怒らせると怖いものだ。

うまくいっている時は物凄い熱量で作品やグッズを推し、コスプレをし、自分たちで新しい何かをつくりはじめ、その全てが作品のパワーになる。その代わりに自分たちがないがしろにされていると感じたり、怒りの琴線に触れると、その熱量は一気に批判へと向かって炎上する。たとえば、現在絶賛公開中のスター・ウォーズのエピソード8も、ファンの間で凄まじい批判が巻き起こり、『最後のジェダイ』をなかったことにしろと賛同者を募るキャンペーンまで始まってしまっている。

いったいどのような行動がファンの集まり、ファンダムを激怒させるのか。それに対処するにはどのような方法があるのか。企業とファンダムが良い関係を築くにはどうしたらいいのか。ファンを熱狂させる企業の立ち回り方、またファンの精神性とはどのようなものなのか──などなど、本書は現代のマーケティングではもはや計算に入れないことはできないファンダムについての考察がまとめられた一冊である。

 ものすごく特殊で個人的なニーズに応えるブランドに、ファンは熱を上げる。彼らの動機と情熱を理解することが、ファンとの本物の触れ合いを実現する鍵になる。そうした本物の触れ合いが、幅広いファン参加と商品の成功につながる。そしてその両方がファンダムの盛り上がりを左右する。これから見ていくように、新しい時代に力を得た熱心なファンたちの貢献は、インスタグラムのフォロワー数やそのサイフの中身よりはるかに価値がある。

ニコニコ動画、初音ミクといった日本のコンテンツから、ハリーポッター、スター・ウォーズまで様々な企業とファンダムの形をめぐっていくので、ファンとの付き合いを考えねばならない企業関係者でなくとも、"自分自身が一人のファンである"と自負する人にとって興味深い内容になっている。僕自身、特に頼まれたわけでも金をもらっているわけでもなく、ただ自分の好きなものについて、ブログで勝手に販促活動を行なっている一人のファンだから「わかるわかる」と頷くことしかりであった。

具体的にどんな内容なのか

さて、具体的にどんな内容なのかという話をしようと思うが、いろんな話が展開するので、僕もざっくばらんに紹介しよう。たとえば第一章では、初音ミクのような「ユーザの自由な二次創作が許容されている」事例をあげながら、行動するファンこそが活発なファンダムの支柱になる、と論を展開してゆく。第二章では消えかけたポラロイドカメラや炭酸飲料のサージを復活させるのにファンが果たした役割に触れ、第三章では、ファン文化の変化を三つの時期に分類して解説してみせる。

順番に軽く紹介すると、一つ目は「ユートピアとしてのファンダム」で、社会の傍流に追いやられたマイノリティたちが、厳しい世間から離れ理想的な仲間たちと「ユートピア」をつくりあげるのがファンダムの最初だとする。確かに一時期のSFだとかは、その色が濃かったのではないか(本書で他に例として挙げられているのは、スタートレックやThink differentキャンペーンから始まるアップル・ファンたちだ)。

とはいえ当然ながらファンダムはユートピアではない。同質性の高い集団であるのは確かだろうが、嫌なやつもいれば気の合わないやつらもいる。集まる動機もさまざまだ。ということで80年代から90年代にかけて第二の波、「下克上としてのファンダム」がくる。この時期では、ファングループは主流文化からのけ者にされた人々の集まりではなく、むしろ主流文化を別の基準で構築、捉え直すチャンスであり、新たな場でピラミッドの頂点に立つことさえも可能な"下克上の場"であるとしている。

現実を極度に単純化して捉える評論家っぽい分類の仕方だとは思うものの話を続けると、その次にやってくる第三の波、一番新しいファンダム理論は「自己実現としてのファンダム」だ。今、何らかの対象に対するファンであることはマイノリティでもなければ何も恥ずかしいことでも、下克上なんて大層なものでもなく、それは普段の自分の立場から離れて行う、自己実現のためのものである。どこもかしこもマイノリティだらけで、体制も崩壊しつつある今、ファンダムの在り方も変ってきている。

とはいうものの、こうした変化は数十年のうちに一気に起こったもので、いまだにファンダムの中でも三つの世代が入り混じっているし、それが軋轢になっていることもあるように思えるので、「あーあるある」とけっこう頷いてしまった。

企業はファンをどう扱うべきなのか

ファンは企業にとって大きな力になる。しかししばしば企業はその扱い方を間違えて炎上してしまう。では、どうやって企業はファンを管理するべきなのか? 「管理」なんて言葉が出る時点でファンからすれば「わかってねえな」感が満載だろうが、それでも企業にもできることは数多くある。『ファン管理で一番大切なことは、グループの一体感を保つことだ。ファンをつなぎとめることを優先し、カネ儲けはその次に考えたほうがいい。』というように、特に金は重要だ。ファンは企業が自分たちの活動を単なる金づるとしか考えていないことがわかると途端に激怒する。

たとえばゲーム『スカイリム』では、ユーザが自分たちで作品を拡張・変更できるMODを有料で販売できるようにした。大きな問題となったのは収益の分配方式で、配信サイトの運営元Valveが30%、開発会社のBethesdaが45%、クリエイターには25%しか入らなかった。それまでは無料で公開していたものから収益できるんだからいいじゃねえかという考えもあるが、"ファンが同じ仲間のために作ったものが、会社の利益を潤わせるために利用される"として、怒りが吹き上がったのだ。

 スカイリムは、ファンの自己改革やコミュニティ内でのステータス追求に役立っていたモッドという伝統を、よくよく考えずにおカネ儲けに利用してしまった。ファングループの動機を理解していなかった彼らは、ファンが少額でもモッドからおカネを受け取れば喜ぶだろうと勘違いしてしまった。もし適正な方針があれば、炎上は避けられていたはずだ。

おわりに

企業はいつだってファンの言うことをに唯々諾々と従うべきでもない。企業は利益をあげるのが目的で、既存のファンだけを大切にしていては、先細りの未来しかやってこない。そのためには時代に合わせた変化が不可欠だが、ファンの多くは自分の好きなモノが不変であることを願うから、衝突は時として不可避なものとなる。

結局、企業がファンとの付き合いにおいて気をつけるべきなのは、まず第一に"慎重であること"。そして"上からの押し付けではなく、ファンが必要としているもの"をできるだけ提供すること。仮に炎上した場合は、ファンの懸念を認めて、意見を尊重することを約束し、企業側の事情も説明しながら策を練ること。といった、ごくごく当たり前の、それでも実行するのは難しい"誠実さ"に他ならないのだろう。

ファンと企業の関係は協力的なものでありながら、常にどこかしら緊張感を孕んだものでもある、というのがちょうどいいのかもしれない。"ファン"というものは、これだけ重大な存在にも関わらず、ファンの行動力学といった部分はこれまであまり分析されてこなかったようにも思うので、貴重な一冊である。