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現実と仮想のフレームを揺さぶり続ける抜群に良質なSF恋愛短編集──『プラネタリウムの外側』

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

プラネタリウムの外側 (ハヤカワ文庫JA)

『未必のマクベス』が文庫になってからヒットを飛ばした早瀬耕さんの、SFマガジンに断続的に載っていた連作短篇を元にした短篇集が本書『プラネタリウムの外側』である。もともと札幌の大学を舞台にした『グリフォンズ・ガーデン』でデビューした著者であるが、本書(プラネタリウム〜の方)の英題?もREVISITING GRIFFONS' GARDEN となっており、同舞台の作品ではある(前作を読んでおく必要はない)。

しかし『未必のマクベス』を読んだ時は「こんだけ構造も文章も極まったレベルで構築できる著者なのだから、たとえ知名度がまったくなく、その作品のおもしろさが広まらずにここでヒットしなかったとしても……作品を出し続けていけばすぐに売れっ子になってくれるはずだ……」と思っていたが、意外と『未必のマクベス』が(関係者らや本屋さんらが手を尽くしたこともあってか)文庫でちゃんとヒットしたのは嬉しい驚きであった。そのおかげかは知らないが、『グリフォンズ・ガーデン』も文庫化されることがきまったようだし、これまた非常に喜ばしいのであった。

さて、というところでこの『プラネタリウムの外側』だけれども、これがもう抜群におもしろい。『グリフォンズ・ガーデン』から引き続きの現実と仮想のフレームを揺さぶり続け、幾人かの男女の恋愛模様が(が、というか「も」)描かれていく。あんまり作家を他の作家で例えて紹介するのは好きではないが、『未必のマクベス』からしてスタイルとして作家の森博嗣と似通っている部分(もちろん全部じゃない)があり、特に本書+グリフォンズ〜はその中心題材が仮想現実で、同時に舞台が理系の研究室ということもあって森博嗣ファンにも強くオススメしたいところでもある。

ただし早瀬耕さんの方がだいぶロマンチックで、作品としてもだいぶSFに寄っている。それでは全部で5篇なので、各篇をざっと紹介していこう。

各篇をざっと紹介していく

まず、物語の舞台となるのは札幌にある大学の研究室だ。

そこに勤める南雲助教とその同僚(たぶん北上)は、副業としてチャット・システムを有料で提供することでかなりの年収を稼ぎ出している。もちろん単純なチャットでは金にならないので、チャットを通して異性との会話を楽しむアンダーな事業ではあるが、中でも他の類似システムよりも彼らが勝っているのは、テキスト・トークの異性役(さくら)の多くを彼らの専攻であるチューリング・テストを応用したアルゴリズムで代替しており、たとえさくら相手であってもリアルな会話を楽しめる点にある。

人間を相手に、相手がロボットであることに気づかせないレベルでの応答をさせるプログラムはまだまだ難しいが、本書の中のサービスで設定がうまいのはリストバンド型のウェアラブル・コンピュータの利用を必須にし、利用者の脈拍、キーボードの打鍵スピード、ご自立を組み合わせることで利用客の心理状況をある程度把握した上で、動的に会話内容を変えている点にある。そのレベルがどのぐらいかは別として、もう現実でもどこかやっていると思うが、まずそのへんの設定の作り込みが良い。

で、一篇目は「有機素子ブレードの中」という題。サービスのかなめの会話プログラムが構築されているのが、彼らの在籍する大学にある、演算を行うプロセッサとデータを記録するストレージが明確に分かれず、入出力の解に”ブレ”があるという有機素子コンピュータの中なのである。冒頭は寝台列車でたまたま食事を共にすることになった男女の会話からはじまり、北上を名乗る男が自分たちが物語内存在である可能性に触れ、そこがシュミレートされた仮想の会話であることが一度提示される。

まるでその状態をシュミレートしていたのが南雲の同僚であるかのように、”フレームアウト”して物語は進行していくが、次第に両者の区別は曖昧となり、”どこまでが有機素子ブレードの中なのか?”という問いを発せずにはいられなくなってしまう。続く「月の合わせ鏡」では、「有機素子ブレードの中」で起こったことの顛末が語られたのち、学術研究員の男が、合わせ鏡を行った際の光の反射速度を変えることで鏡の中に過去の光景がうつりこむプログラムの作成を有機素子コンピュータを借り受けて推し進めた果てに、合わせ鏡の先に見るはずのない光景をみることに。

続く表題作でもある「プラネタリウムの外側」(このタイトル自体は「有機素子ブレードの中」の会話シュミレートの中でも出て来る)では、南雲助教の元に今は亡き恋人の”最期の気持ち”を知るために自動会話プログラムを作りたいと願う佐伯衣理奈がやってくる。彼女は亡き恋人の情報を入力し、かなり精度が高くなり、まるで違和感なく本人のような応答をするプログラムを相手に、幾度も対話と突然の終了を繰り返すうちに、とある解へとたどり着く/あるいは、たどり着かされることになる……。はたして自身の死をプログラムは認識できるのか、できたとして何を想うのか。

すっかり仲良くなった(恋愛感情に発展しそうな)南雲助教と衣理奈のもとに、リベンジ・ポルノを消して欲しいという依頼が投げ込まれることになるのが続く「忘却のワクチン」。N&Sシリーズのような感じで10巻ぐらい話が続いてもおかしくなさそうな安定感のある導入になっている。通常はリベンジ・ポルノなんてネットに放流されたら消すのは不可能だが、無茶だけれども、そこまで非現実的というわけではないギリギリの線をついた(そして、作品のテーマとも絡んでくる)、”人間の記憶を書き換える”方法によってその忘却を実行してみせる。これはアイディアがスマートな一篇。

亡くなった恋人とのやりとりの再現とその先を知ろうと願う「プラネタリウムの外側」と、忘却が絡んでくる「忘却のワクチン」と、恋愛譚としては切なさの極みのような題材が続くが、同時にそれが作品全体を貫く”ここは現実/仮想なのか”というフレームを揺さぶる問いかけにもつながっており、そのままダメ押しの一打ともいえる本書の最終話にして書き下ろし「夢で会う人々の領分」へとなだれ込んでいく。「有機素子ブレードの中」とも繋がる、ラストの一文の切れ味は流石というほか無い。

おわりに

SFマガジンで単発で読んでいた時は記憶も曖昧だし繋がりをそこまで意識していなかったが、こうして全話通してみると見事な構成力だなあと感嘆してしまう。違和感を覚えたまま、読み進めてもらいたいところ。表紙デザインも素敵である。

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)

未必のマクベス (ハヤカワ文庫JA)