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創薬の歴史、その苦難──『新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求』

新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求

新薬の狩人たち――成功率0.1%の探求

風邪をひいたり精神を病んだりして病院にいくとお薬をもらうわけだが、その薬はいったいぜんたいどうやって作られているのか。重大な副作用が出ても困るわけだから、その捜索プロセスはさぞやシステマチックで、まるで銀行のシステムを作り上げるかのように堅牢な安全措置を重ねたものになっているのだろう……と思いきや実態はなかなかに泥臭い道のりだ。本書『新薬の狩人たち』は、35年以上の薬研究を経てきた著者が、そうした創薬における苦難の道のりを描くノンフィクションである。

大手製薬企業が最大限の努力をしているにもかかわらず、二一世紀の新薬探索で最も重要な手法は五〇〇〇年前と変わっていない。要するに、気が遠くなるほどのさまざまな化合物を丹念に試し、そのなかでどれかが、たった一つでいいからうまくいくことを願うのだ。

新薬開発の歴史は行き当たりばったりで展開する。無関係な用途に試してみたら別の役に立ったとか、なんとなくここかなーと思って試してみたらうまくいったとか、再現性のない発見プロセスが続くので、発展の歴史といった感じがあんまりしない。闇雲に探してそれで1年に1回有効そうな薬が見つかるのならいいが、それもない。

本書によると、科学者が立案する創薬プロジェクト構想のうち、経営陣から資金を提供されるのは5%。その中でFDA(アメリカ食品医薬品局)に認可されるのは2%。つまり0.1%しかない。しかも現在新薬の開発費は平均15億ドル、FDAの承認を得るまでに一品目あたり14年かかる。よくノンフィクションを読んでいると「夢の薬になる可能性がある」などの記述にあたるが、認可に相当な時間がかかることをおもうと「僕が必要とするまでに使えるようになるんかなあ」と少し悲しくなってしまう。

創薬が難しいのは人間の体、生理的活動といったものが開放系であり、複雑怪奇だからに他ならぬ。我々は自分たちのことがよくわかっておらず、一人ひとりの遺伝的・生理学的構造がそれぞれわずかに異なっているため、大勢に利益のある、あるいは大勢に副作用のない薬をつくるのがひどく難しい。そのうえ、特定の化合物が生体中の特定の分子とどう相互作用するのかを正確に予測するのはまったくできないし、今効いている薬がなぜ効いているのかもわからないので、色々な意味でキツイ。

歴史

知られている最古の薬はアヘンチキだ。パーコセット、モルヒネ、コデイン、オキシコドン、ヘロインはみなケシに由来し、アヘンはケシの活性成分である。アヘンは紀元前3400年前にはもうすでに使われており、「歓喜の植物」を意味する「ハルジル」と呼んでいたそうだが、後にアヘンは鎮痛薬の他に、赤痢の治療などにも用いられることになる(アヘンは麻薬作用のほかに便秘も引き起こすので)。

アヘンがそうであるように、薬は最初植物から見出された。そのへんに生えている薬を手当たり次第に調べ、有効化学物質を抽出することで薬になるのだから、試行錯誤は必要にしてもわかりやすい。たとえばカカオは抑うつや疲労の治療に、壊血病の治療に使われたクロベ、ひまし油(下痢)、キニーネ、トコン(催吐薬)などなど。だが、『今日では、新薬が植物から見出されることはごくまれにしかない。なぜなら、世界の植物の恵みは徹底的に採取され、殻をむかれ、丹念に調べられてきたからだ。』

著者が新薬開発チームにいたときもウクライナの研究所と手を組んで植物の調査団を世界中の辺境に派遣し、1万5000種の植物を採取したというが、成果ゼロだとか。その後、ルネサンス期に入ると植物時代も終わり錬金術が台頭するわけだが、これは前進ではなく後退だろう。当時鉛のような基本的な元素を貴金属に変換する方法を指す賢者の石が探し求められたが、ユダヤ教の礼拝堂で発見された錬金術の文書によると、水銀と馬糞、真珠、白いミョウバン、硫黄、毛髪、毛髪を混ぜた粘土と数個の卵を組み合わせれば良質の銀が得られると書いてあったようだ。さすがに無理でしょ。

ただこの錬金術の時代の終わり、1500年頃にエーテルが発見されている。当時は咳の治療に使えるという触れ込みで、それから300年経っても無数の病気に使えると言われていたが(まったく効果がなかった)、ある歯科医がエーテルの人間を眠らせる力に注目し、麻酔としての効用を見出すことになる。それまでの外科手術はようは麻酔がなかったわけで、明晰な意識のまま切り刻まれていたのだから革命的発見だ。

エーテルは一瞬で莫大な需要を生んだが、生成のために難しい技術を要したため、薬の合成を薬屋から工場へと転換させるきっかけになったのだ。そうして錬金術の時代が終わり、工業化製剤時代がやってくる。この工業化製剤時代は、最初はエーテルのような既存薬の新しい、より効率的な製剤方法を生み出すことからはじまったが、次第にその技術を創造的に活かし、化学や生物学の知識を慎重に応用することで、新薬をゼロから設計して合成する、「合成化学」へと発展していくのであった……。

最初行き当たりばったりと書いたがこう振り返ってみると一応進展しているようだ。そもそもほんの100年前は薬の試験も必要なく、ほぼ無試験で流通した薬が100人以上殺したりしているのでいろいろな観点からありがたいと思うほかない。

おわりに

著者はこうした創薬プロセスについて、自社ならではのハイブリッド車を作り上げるような工学技術の応用に近いのか、『アベンジャーズ』の次なる大ヒット作を作り上げるような芸術的創造に近いのか? と問いかけて後者だと断言しているが、一度ヒットした薬は構造を少し変えた亜種ができまくるところも含めてよく似ている。

もちろん世の中には優秀な作品、一定の興行成績をあげつづけるエンターテイメント企業というのもあるわけで、新薬探索のプロセスにおいても同様のことが起きたっていいだろう。新薬の探索がより効率化されることはつまり薬の値段が下がることで、膨れ上がり続ける医療費への起死回生の一手にもなりうる。頼むから、製薬会社のどこかが早くピクサーになって独自の大型新薬を連発してくれ、と願うばかりである。