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進化の方向性を支配してきた「移動運動」というテーマ──『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年』

脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年

脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年

今年読んだノンフィクションの中で最高の一冊だ。

人間は、鳥は、魚は、なぜ今のような形をしているのか? 偶発的な進化の賜物であって、意味をなさない機能の集積が大多数を占めているのか? スティーヴン・ジェイ・グールドは、仮に進化の過程を再現したならば今とは異なる生物界が現れるだろうと断言したが、本当にそうなのか? 今の生物世界は、進化の偶然性に支配された一回限りのものなのか? 否、そうではない! 物理学と運動器官の繋がりから生物を捉え直すことによって、そこには歴史的な流れと明確な帰結が存在しているのだ。

生物とはつまるところ身体という物質だ。そして動き回っているときには、ニュートンの万有引力の法則、てこの原理や流体挙動の法則といった諸々の規則の支配下におかれている。効率的で効果的な動きが重要であるとすれば、これらの法則や規則は当然、運動器官を備えた生物の形質や行動に大きな制限を与える。

というわけで本書『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年』は邦題に入っている脚・ひれ・翼だけではなく、今の生物の「かたち」はどのような物理法則の結果収束していったものなのか? を40億年のスケールで解き明かす、移動運動を中心とした生物史である。『生き物の世界には、とてつもなく多様でありながら、絶対ゆるがせにできないテーマが「1つだけある」のだ。進化が始まって以来、進化の実現性を支配してきたテーマ。それは「移動運動」である。』

物理学と移動運動が生物の身体に大きな影響を及ぼすわかりやすい一例は翼のある生物だろう。ある翼を持つ生物が飛ぶとき、大雑把に説明すれば、体重が揚力と釣り合っていなければならず、揚力の大きさは翼面積と対気速度に左右されることが航空力学理論から導き出される。そのため、すでに絶滅して存在しない、アンハンネグラ(白亜紀前期に生息した翼竜)が、翼開長が5メートルもあるのに体重が10kgしかないその身体で、かつてどのように飛んでいたか推測できるのだ。そして物理法則が地球にあまねく機能している以上、生物は物理の法則から逃れることあたわず、何度繰り返してもいくつかの普遍的なパターンに収束していくことがわかるだろう。

この経験はわたしにとっての啓示となった。これ以降、世界に対する考え方ががらりと変わってしまったのだ。なぜなら、運動器官の観点からものを考えるようになっていたおかげで、適応を形成する力は何も飛行運動だけに限った話ではないことに気づいたからだ。

本書の構成について

本書は、そうした物理から導き出される「普遍的なパターン」を、「移動運動」を中心に解き明かしていく構成になっている。たとえば、人間はいかなる経緯で二足歩行への転換を果たしたのか、鳥はどのようにして飛ぶのか、水生動物はどのように陸地に乗り出し、なぜ動物の多くは左右対称で、脳と筋肉が生まれ、最終的に「移動」はどのようにして生まれたのか? という移動運動誕生の瞬間にさかのぼっていく。

一つ一つのトピックが興味深いのはもちろん、生物学・物理学だけではなく「運動」や形の発生について、胚で何が行われているのか、脳は、筋肉はどのように動作するのかの専門的な化学領域にまで踏み込んでおり、一般向け科学ノンフィクションではよくある、「わかりやすく簡略化された結果、根本的な原理がわからない」ことがないように書かれている(これは一長一短だが、今回に関しては素晴らしい)。

何より素晴らしいのは、ケンブリッジ大学の生物学者である著者マット・ウィルキンソンの(ヒクぐらいの)凄まじい熱量ある文章だ。どんどんボルテージがどんどん上がっていき、疑問を提起したとおもったらその前提となる説明をはじめ、さらにそれに関連した動物の話をはじめ──と議論が四方八方に飛んでいくのが玉に瑕だが、その中心思想はシンプルで力強く、どれほどふらふらと話題が彷徨ってもきちんと「移動運動」という主軸へと回帰し、どこまでもこちらの注意を惹きつけてやまない。

鳥はどのように飛び始めたか

内容をもう少し具体的に紹介してみよう。たとえば、鳥はどのように飛び始めたのか。飛行はあまりにも凄い行為で、とてもこんなことをする生物が自然発生するようには思えない。とはいえ、その利点は明らかだ。単位時間あたりの消費エネルギーは歩行よりは高いが、そのかわりに短時間で遠くまで行けるので、結果的な消費エネルギーはよほど安くつく。安全な移動手段で、餌場の確保もたやすく、単純なリターンから考えると、逆に「なぜ全ての生物は飛ばないのか?」と疑問に思うほどだ。

飛んでいるとき、運動に対して平行の方向に働く抗力(運動と逆向きに働く)と、運動に対して垂直に働く揚力がかかる。そのため、抗力と釣り合う推力と、体重と釣り合う揚力を発生させられることができれば高度は下がらず飛び続けることが出来る。この釣り合いがとれた時の速度を終端速度というが、この値がでかいと普通に無理なので生物がそれを達成するためにはできるだけ小さくしたい。終端速度はサイズの増加とともに大きくなるから、小さな生命体はそれだけで有利であるし、重量を抑えてパラシュートの要領で飛距離を稼げる膜の仕組みは便利なので、多くの飛行動物がその形成を今もなお残している=物理が生物の身体を決定しているのがわかる。

さて、ではどうやってそうした飛行能力を獲得する形態になっていったのかだが、現在の考えではいきなり飛行運動のために獲得された形態ではないらしい。むしろ最初は樹上生活をおくる生物が敵から逃げる時に手早く逃げるために用いられていた降下制御の形質が、のちに発展していく形で飛行能力へと繋がっていった。ただ、最終的に飛行する生物がすごく少ないことからもわかるとおり、その道のりは大変なものだ。鳥の先祖である恐竜が木登り能力を獲得しており、木々の背が高い地域に住んでおり(滑空性動物の分布には偏りがある)、飛行のためというわけではない羽毛ベースの原始的な翼のおかげで、スムーズに羽ばたき飛行へと移行できたことなどなど。

おわりに

続いて詳しい紹介に──と思ったが文字数を相当使ってしまったので、最後に少し紹介して終わりとしよう。たとえば、「なぜ移動しない生物がいるのか?」を語る8章「移動しない生物が進化した理由」(『問いへの答えがついに見つかった。植物がここまでかたくなに移動運動を拒んだ理由は、植物が高く成長して陸生になるよりもずっと前に、自然選択によって細胞の周囲に壁ができたからなのだ。』)。

原核生物はどのようにして移動をはじめたのか、「移動」がもたらした大いなる意義を語る第9章「最初の移動運動はどう始まったか」(『最後に、そしてこれは何よりも大切な点だが、生物が長く生きられるようになったのはひとえに移動運動のおかげである。運動性生物は絶滅という事態から逃げることができる。』)、機能的な面ではなく動くことと心に焦点を当てた第10章「動物はなぜ動きたいと思うのか」(『ある生物の逸脱がその子孫に与える影響を見たときにわかるのは、わたしたちの身体と心は解剖学的・心理学的形式で書かれた、祖先の性質についての味気ない記録などではない、ということだ』)──特にこの最終3章は、とことんエモーショナルで感動的なので、この記事でちょっとでも興味を持ってくれた人は、ぜひよんでもらいたい!