基本読書

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生命の定義について、宇宙生物学からヒト脳オルガノイドまで幅広く扱われた一冊──『「生きている」とはどういうことか:生命の境界領域に挑む科学者たち』

「生きているものといないもの」を見分けるのは、直感的には簡単に思える。たとえば、人間や犬が生きていること、石のような無機物が生きていないことにそう異論は出ないだろう。しかし厳密に境界線を引こうとすると、ことは途端に難しくなる。

たとえば「自己複製するか」「自分で代謝活動を行うか否か」あたりの細胞性生物の特徴を「生命の定義」にしようとしても自己複製しかできないウイルスは生物とはいえないのかという話に繋がってしまう。しかも、ウイルスは近年の研究ではタンパク質の合成に関わる酵素を持つものもいることも判明している。

というわけで本書『「生きている」とはどういうことか』は、生命の定義を様々な分野、ジャンルを通してみていこう、という一冊である。最初に例にあげたウイルスは生物なのか問題も取り上げられるし、多能性幹細胞から分化誘導して作られたヒト脳オルガノイドはどこまで成長したら「生きている」といえるのか? から宇宙生物学まで、本当に幅広い分野を網羅している。対象は生物学にすら限定されず、たとえば生命の定義をめぐる歴史も随所に挟まれるし、脳死は死なのか、心臓が動いていたら生きているのか? という医療分野の議論までもが取り上げられていく。

著者のカール・ジンマーは長年生物学関連のポピュラー・サイエンス本を書いてきたライターで、本書も専門的な内容に終始せず、広範な取材と情熱的な筆致でぐいぐいと読者をひっぱってくれる。「生命とは何か」は生物学における明確な答えの出ない王道のテーマであり、その分書き手の力量がもろにでるが、本書は真正面からそのテーマを描ききってみせたといえるだろう。

ヒト脳オルガノイドは「生きて」いるか?

本書の第一部で取り上げられているエピソードは、ヒト脳オルガノイドについての研究だ。オルガノイドは「臓器(organ)のようなもの」を意味し、人間から皮膚のサンプルを採取して、細胞を一度幹細胞に変化させてから誘導することで脳の組織のごく一部をほぼ神経細胞だけで再現したのが脳オルガノイである。その大きさはだいたい数ミリのものがほとんどのようで、その言葉からシンプルにイメージされるような、「人間の脳をまるっと再現」したようなものではない。ほんの一部なのだ。

著者がこの件について取材に行ったのはサンディエゴの研究所であるサンフォード再生医学コンソーシアムだ。そこで研究者たちは数千にも及ぶ脳オルガノイドを所持し、宇宙ステーションに脳オルガノイドを送り込んでその影響を調べたりと、数多くの実験・研究を行っている。脳オルガノイドはニューロンが成熟するのに伴ってでたらめな電圧のスパイクを発するようになるのだが、時折ニューロンの全体がリズミカルに発火するなど、研究者をして「なんらかの秩序が現れてくるように思えた」と語らせるほどの秩序らしき行動がみえてくることもあるという。

電極に載せた脳オルガノイドに何らかのパターンを持つ電気ショックを与えると、それが活性化しはじめる(『入力されたシグナルに応えて、オルガノイドがみずからのニューロンを使って一致するシグナルを生み出すのだ。』)など、何かを学習する機能さえもある。それだけ聞くとそれもう何かが芽生えようとしてるやん! と言いたくなるが、まださすがに意識やそれに類するものは生まれていないと思われる。

しかし、研究を進めれば脳オルガノイドはもっと脳に近くなるのかもしれない。大脳皮質のオルガノイドができるのなら、網膜のオルガノイドを作って両者をつなぐことだってできる。それを続けていった先、脳の反応がより人間に近くなっていったとしたら、どこからが生きていて、どこからが生きていないといえるのか? 当然そう簡単に答えが出る問題ではないが、手がかりは本書でいくつか紹介されていく。

そのひとつは、シアトルのアレン脳科学研究所で所長を務めるクリストフ・コッホが語る、脳内の意識の状態を単一の数値で測るという発想だ。被験者の頭に磁石を付けて(一時的に脳波を妨げる)無害なパルスを送り込み、その反応で意識の程度を計測できるというのだ。覚醒したり夢をみている人の場合、パルスは複雑な経路で脳全体に広がるが、麻酔をかけられた人はもっと単純な反応を返す。同じことを脳オルガノイドでもできるかもしれない。その場合、脳オルガノイドを作る際はその計測の数値が、一定の値を超えないようにしよう──などの取り決めが求められるだろう。

おわりに

1900年代初頭に活躍した物理学者バークはラジウムを肉汁のスープに入れたら増え、変化する原初的な生命が生まれたと言って生命の起源をラジウムに求めたが(当然何の根拠もない思い込みだったが社会は騒ぎ立てバークは一躍時の人になった)生命の起源と定義をめぐる歴史はトンデモ話の連続でもある。本書にも単純な化学物質の組み合わせで生命を作ることができると主張する化学者クローニンのエピソードが(懐疑的なトーンで)紹介されているが、今後もバークのような例は絶えないだろう。

脳死は死だという医師もいれば、心臓が鼓動を続けていれば死ではないと語る医師も、視床下部が働いていれば脳死ではないという医師もいて、脳死の定義も揺れている。エンケラドゥスに地球外生命を探索する研究者は、生命の定義はあえてもたないようにし、『私は、系から生命を取り去っても有機化学でできることに本当に驚き、感銘を受けています。』と語る。医者、法学者、脳科学研究者、宇宙生物学者など、みなそれぞれの領域で「生命の定義」と格闘しているのが、本書を読むとよくわかる。

生命の定義そのたった一つの明確な答えを教えてくれるわけではないが、本書を読めば生命と非生命の境界線について、より明確にイメージができるようになるはずだ。