基本読書

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韓国作家チョン・セランによる、異能力を持った保健室の先生を軸にしたほのぼの学園もの──『保健室のアン・ウニョン先生』

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本)

保健室のアン・ウニョン先生 (チョン・セランの本)

この『保健室のアン・ウニョン先生』は韓国でホラー、ファンタジー、SFと様々なジャンルの作品を横断しながら作品を発表しているチョン・セランによる連作短篇集である。幽霊的なアレが見えるなどの特殊な異能力を持った保健室の先生を中心として、彼女の周りで起こるさまざまな怪事件を扱った短篇が揃っている。

 この学校にはとにかく、何かいる。出勤初日から感じていた。アン・ウニョンは残念ながら、ただの養護教諭ではない。ウニョンのバッグの中にはいつも、BB弾の銃とレインボーカラーの、円錐形に折りたためるおもちゃの剣が入っていた。なんでまともな三十代の女性がこんなものを毎日持って歩かなくちゃいけないのかと思うとむしゃくしゃしないでもなかったが、仕方ない。ほんとは、まともじゃないからだよね。アン・ウニョン。友人たちからはいつも「あにき」とからかわれている気さくな性格の、私立M高校の養護教諭。彼女には言ってみれば、見えないものを見、それと戦う力があった。

最初読みだした時のイメージは「地獄先生ぬ〜べ〜」の女性教諭版みたいだなあという感触を持ったけど、起こる事件の多くは人間関係のイザコザとか、恋愛の悩みといった小さなものがほとんどで、しかもそれが誰かが騙されて悲しむとか、そういったこともあまりなく、後味の良い形で終結する。霊や怪異も、悪質なものもいるが、たとえば、「根拠なき片思い症候群」みたいな「爆発的に増殖した心があちこちを歩き回るにつれて本体がだんだん弱っていく」怪異譚が出てきたりして、どちらかというと読み心地は「化物語」シリーズとか「青春ブタ野郎」シリーズに近い。

戦い(アン・ウニョン先生はBB弾の銃とレインボーからの剣といったおもちゃで戦う)も大層なものではなく、日常的に霊的な何かが見える先生の日常譚として進行していき、読んでいて静かに暖かな気持ちになれるような短篇が揃っている。

ざっと紹介する

第一話「大好きだよ、ジェリーフィッシュ」では、アン・ウニョン先生の顔見せとその後ずっと相棒と化していく漢文の先生であるホン・インピョの邂逅や、かつて恋人たちの自殺の名所とされた学校の地下から巻き起こる学校の騒動が描かれていく。大勢の生徒が屋上からの飛び降りをはかろうとするなど、規模的には一番大きい。

続く「土曜日のデートメイト」はウニョン先生の最初の友達にして初恋の人、ジョンヒョンとの物語。ジョンヒョンは幼き頃に公園でなくなっていて地縛霊化しているのだけれども、ウニョン先生は時折公園を訪れて、他愛もない話をして帰っていく。ただそれだけの話なのだけれども、何十年経っても成長もしなければ容姿の変化もない相手との会話には、相対的な自身の変化が思い起こされて、独特な切なさがある。

以降の作品もざっと紹介していくと、まず〈幸運〉と〈混乱〉とあだ名される二人組の悪ガキを矯正するために、髪の毛や脇毛を剃ろうと奮闘する(ひどいちぢれ毛は妙な影響力を発揮するから)「幸運と混乱」。「爆発的に増殖した心があちこちを歩き回るにつれて本体がだんだん弱っていく」、「根拠なき片思い症候群」を引き起こした教師マッケンジーについての物語「ネイティブ教師マッケンジー」

そして、山の向こうにあるアヒルの飼育場から一匹のアヒルが迷い込み、生徒たちの反対に押し込まれやむなく学校で飼い始められたアヒルの生涯を描く、なんの異能も関係ない「アヒルの先生、ハン・アルム」。これ、何気ない話なのだけど僕は一番好きだ。なんの魅力もないハン・アルムという生物の教師が、生徒たちに愛されるアヒルの世話を通してアヒルの先生として認知されていく、淡々とした描写がとてもいい。「街灯の下のキム・ガンソン」は、幼少期のウニョンが「暗いホラーもの」から「めっちゃ走り回る少年マンガ」のキャラになればよかったんだと諭され、今のような走り回るウニョンに至った経緯が語られる。明るい本作だけれども、それはウニョン先生による「ジャンル選択」の意図があるのだ。

人にとりつき悪さをするムシを取り除くために、何度も転生しながらムシの集まる場所へと移動し続けている転校生についての1編「ムシ捕り転校生」。波風を立てないことに注力してきた教師が悪夢と遭遇し、少しずつ変化を積み重ねながら少々穏健ではなくなっていくさまを描く「穏健教師パク・デフン」。ずっと仲の良い友達として毎週のように遊びにいっていたウニョン先生とインピョ先生の関係性が(インピョ先生がお見合いにのめり込んで)変化を遂げる「突風の中で私たち二人は抱き合ってたね」と、日常の小さな変化を丹念に切り取っていく、鮮やかな短篇が揃っている。

30を超えて完全に自立している大人の男女がその距離をつめていく「突風の中で私たち二人は抱き合ってたね」とか、細やかな描写がたまらなくいいんだよなあ。

おわりに

書きながら読み直していて思ったが、アン・ウニョン先生は「事件を未然に防ぐ探偵」タイプなのかもしれないなと思う。ずっと学校を駆けずり回っていて、生徒たちのことを目にかけていて、少しの違和感を決して見逃さずに執念深く対処しようとする。「幸運と混乱」でも、二人が問題児とはいっても別にいきすぎというわけでもないし、「干渉しすぎじゃないですか?」というホン・インピョに対して『「私も迷いはありますが、経験上、こういうのはらせん形拡散タイプなんですよ」』と返す。

ようは放っておくとどんどん事件が大きくなるタイプだというのだけれども、こうやって彼女がひたすらに事件の芽をつみつづけているからこそ、ほとんどの物語が深刻な状態にまでいかないのだろう。地味は地味だけど、意味のある地味さなのだ。