基本読書

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『三体』の劉慈欣による本邦初の短篇集、劉慈欣は長篇だけでなく短篇もおもしろい!──『円』

この『円 劉慈欣短篇集』は、『三体』の著者劉慈欣による本邦初の短篇集である。中国での短篇集の翻訳かと思ったら、作品選択は原著者側によるもので、どのような意図があるのか訳者にもわかっていないらしい。ただそれで謎のセレクションになっているかといえばそうでもなく、1999年のデビュー作から2014年の作まで、キャリアを概観できるような作品集(13篇)になっている。これがまたおもしろいんだ。

劉慈欣の短篇が素晴らしいのは映画『流転の地球』の原作にもなった「さまよえる地球」をはじめとした邦訳作の数々からとっくに知っていたつもりだったが、通して読んでみるとそれでもまだナメていたなと実感させられた。科学と芸術の意味を高らかに謳い上げ、人類の歴史やその本質に接続してみせる、そんな『三体』の要素を凝縮したような高密度の短篇ばかりで、読み終えた時の満足感はとてつもない。

三体のような異星文明が出てくるらしいものもあれば、オリンピックをテーマにアスリートの戦いを描き出すものあり、守備範囲が広いのも特徴である。近いうちにSFの年間ベスト記事も書こうと思うが、『三体』の第三部とあわせて外せない一冊だ。

ざっと紹介する──「鯨歌」

13篇もあるので全部ではないが、お気に入りを中心に紹介してみよう。発表年代順に並んでいるので、トップバッターは劉慈欣1999年のデビュー作「鯨歌」。鯨の脳にバイオ電極を取り付けることで自由自在に外から制御できるようになり、それで何をするのかといえばヘロインの密輸をしよう! という犯罪者らを描き出していく。

それって人間は上に家でも作って乗ってるの? と思いきや乗り込むのは口の中なのである。最初こそうまくいくものの、ある地点から雲行きが怪しくなってきて……と、科学が自然と生物を征服していく様、またそれが別の人類のエゴによって転覆していく様が短い中で描き出されている。デビュー作にして”らしさ”に溢れた作品だ。

「地火」

続く「地火」は『2000年代海外SF傑作選』にすでに収録されているが、炭鉱労働者の劣悪な環境を変えるために立ち上がった技術者が、石炭地下ガス化という新テクノロジーを用いてすべてを効率化・安全化していくさまを描き出していく。技術が社会を良い方向に変化させていく前向きさと、それが時には災厄をもたらすという、新しいテクノロジーの恐怖。その両面を描きながら、美しい明日をつかむために、代価を払ってでも前に進むんだという希望が描かれていく作品で、凄まじい勢いでテクノロジーによる変化を遂げていった中国の姿と重ね合わせずにはいられない。

「郷村教師」

「郷村教師」は、優れた教師と教育の意味を謳い上げるような作品だ。自身の命も顧みず、親からどれほど疎まれようとも貧困にある子供たちに教育を施し続ける教師のパートと、地球から何万光年も離れた場所で星間戦争などをしている銀河炭素生命連邦の物語が交互に語られていく。この構図自体はわりとみるものだが、それがどう繋がるのか、そしてその結末には唖然とさせられる。妙な迫力のある作品だ。

「カオスの蝶」

力学系の状態にわずかな変化を与えると、それがなかった場合とはその後の系の状態が大きく異なってしまう現象をさす”バタフライ効果”という言葉があるが、「カオスの蝶」はその実践編とでもいうべき内容。著者が本作を書く前に、NATO(北大西洋条約機構)がユーゴスラビアに激しく攻撃を加えていたが、本作ではまさにそのユーゴスラビアの科学者が、爆撃を妨害するために各地をめぐってバタフライ・エフェクトを起こそうと試みる。琉球列島の海上で火薬を爆発させ、アフリカの砂漠に氷をばらまいて温度を下げ、とはたからみているとおかしな行為だが、めぐりめぐるのだ。

ちょっとわかりづらいオチまで含めて大好きな作品だ。

「詩雲」

「詩雲」は詩がテーマとなっている作品だが、演出、魅せ方が素晴らしい。超越的な科学力を持つ上位種属に、家畜と化した人間、その中でも一人の詩人が呼び出され、詩の奥深さを異星種属へ教えていく──と書くと「HUNTER×HUNTERの王とコムギじゃん」になるが、異星種属は身も蓋もなくありえる文字の並びを全パターン網羅しようという「バベルの図書館」的発想に至ってしまう。

もちろんそれにはデータベース容量的な問題があり、その解決をはかると共に映像的にも一捻り加えた展開になっていて、その情景がまた素晴らしい。

「栄光と夢」

「栄光と夢」はオリンピック競技、中でもマラソンを扱った作品だ。とはいえ、きちんとSFでもある。現代の戦争は人的リソースの消耗が激しいが、だったらスポーツで代理戦争させればええやん! を実際に行うようになった世界で、作中ではリソースが足りず国民が飢えているシーア共和国と、アメリカ合衆国の二国だけがオリンピックに参加する。相手に勝てば勝つほどもらえる権利は増えるが、シーア共和国は誰もが飢えているような有様なので、当然普通にやったら勝てるわけもない。

それでも──走ることに賭けてきたやつがいた──!! という燃える展開でシーア共和国の女性マラソンランナーであるシニは走り始める。走りながら過去の回想が入り、対戦相手のエマとの駆け引きもあり、と劉慈欣あんたこんな熱いスポーツ物も書けるのかあ! と驚くような一篇だが、そのオチもとても劉慈欣らしいものだ。

「円円のシャボン玉」

「円円のシャボン玉」は、生後5ヶ月でシャボン玉に惚れ込み、それが人生の探求の礎になってしまった一人の女性、円円の人生を描き出していく。シャボン玉は壊れやすい夢の象徴だ。そんなものを追いかけても人生には何の役にも立たない。

しかし、それでもそれが好きで、その道を信じて探求し続けたら、道が拓けることもある。科学者、経営者となった円円は、何のために使えるのかもわからない、でっかいでっかいシャボン玉を作るために多額の研究開発費を注ぎ込んでみせる。

「一億元でシャボン玉を吹くのか? なんのために?」父親の口調は夢の中にでもいるようだった。
「なんのためでもない。ただの遊び。でも父さんたちが何百億もかけて建設した、もうすぐなくなってしまう都市とくらべたら、あたしの贅沢なんて小さなものよ」
「だが、その都市をおまえは救えるんだ。それもおまえの街だぞ。生まれ育った土地だ。なのにその金でシャボン玉を吹くのか……身勝手にもほどがある。」
「あたしは自分の人生を生きたいの。滅私奉公が歴史を動かすとはかぎらない。パパの街がその証拠よ!」

何の役にも立たないであろう夢を追い求める女性の姿が美しい作品だ。もちろん、そうやって作られた特殊なシャボン玉は、意外な用途で用いられることとなる。

「円」

最後に紹介したいのは、表題作にもなっており『三体』にも組み込まれている短篇「円」。十万桁まで円周率を求めよという秦の始皇帝の無茶ぶりに答え、荊軻は三百万の軍隊を用いた人間計算機を作り出してみせる。凄まじい本書の表紙はまさにその場面だろう。圧倒的な情景、絵で魅せてくれる作品だ。

おわりに

読み終えて思うのは、やっぱり劉慈欣は「絵の映える」作家だな、というところ。デビュー作からして鯨の壮大さとそこにおさまる人間の、ピノキオ的な映像のおもしろさがある作品だが、その後の作品も、炭鉱労働の景色が変わる「地火」、詩の情景が圧巻の「詩雲」、二国しか参加国がいない、ガランとしたスタジアムの描写が印象的な「栄光と夢」、そしてもちろん「円」など、絵面が記憶に残る作品ばかりだ。

あらためて、僕はそうした情景、絵を求めてSFを読んでいるんだよなあ……と思い出させてくれる作品集だった。傑作である。