基本読書

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民間経営の刑務所のあまりにもむごい実態が潜入調査によって明かされる!──『アメリカン・プリズン──潜入記者の見た知られざる刑務所ビジネス』

アメリカでは一部の刑務所の運営が民間に委託されている。実に150万人の受刑者のうちおよそ13万人だ。刑務所を民間に委託なんかして大丈夫なの? と疑問に思うかもしれないが、その実際を解き明かすのがこの『アメリカン・プリズン』である。

経営をやっている会社に対して普通に問い合わせをしても、事務的で自分たちに都合の良い情報しか返ってこない。であれば、中に入って調査するしかない、と著者はジャーナリストであることを隠し飛び込むことになる。著者が潜入するのはアメリカ最大の刑務所会社であるコレクションズ・コーポレイション・オブ・アメリカ社。民間経営とはいえ、刑務官として簡単に採用されるのか? と疑問に思ったが、時給は9ドルでアメリカ最底辺。性格テストなどがあるが、ほとんど確認されていない。有給の病気休暇もなく、採用された人間は大半がすぐにやめていく、超絶ブラックなのですぐに採用されることになる。

彼はそこで4ヶ月間(そこで耐えられなくなった)にわたって勤務してその実際のところを書いていくのだけど、ほんとうにひどい有様だ。そもそも刑務官という仕事がきつい。相手は犯罪をおかした人間たちであり、礼儀正しい人物もいるが、平気で刑務官を脅し、プッチンした場合は実力行使で襲いかかってくるような人物ももちろんいる。喧嘩は日常茶飯事で、お手製のナイフでお互いを刺し合っているようなやべえやつらを相手にしなければいけない、それで時給が5000円ぐらいならもらえるならまだしも、マクドナルドやウォルマートと同等の賃金なのだ。

コスト至上主義の罠

民間の刑務所がどうやって利益をあげているのかといえば、州や連邦政府から受刑者ひとりあたり一日いくら、という形で金が払われるのである。その金で、受刑者の衣服や医療などを賄ってやり、余った分が彼らの取り分になる。それが十分に大きければ問題ないのかもしれないが、実際には著者が潜入していた刑務所は一人につき一日34$だったという。ルイジアナ州の公営刑務所では一人にかかるコストは一日52$だというから、民間ではどうやっても公営と同じ金額は受刑者にかけられない。

そこで何が起こるのかといえば、圧倒的なコスト削減だ。800人の受刑者に対してそれを監督する刑務官はたったの二人、大量に集まった受刑者を前に、奪われたらやばいからという理由で一切の武器(催涙スプレーも)をもたせてもらえぬ刑務官にできることなどなにもない。医療を受けさせれば受けさせるだけ利益が減るから、死ぬような病気であっても容易には病院にいかせてもらえない。肺に水がたまろうがなんだろうが、苦しみながら転げ回るしかない。刑務所が囚人で埋まっていれば埋まっているほど利益が上がるから、何かと理由をつけて刑期の短縮を妨害しようともする。

たとえば、ある受刑者は決められた時間外に掃除用具入れからほうきを出しただけで、30日余計に刑務所で過ごすことになった。これにより、CCAは1000$以上の支払いを得る。とにかく、事例の一つ一つが強烈だ。職業訓練プログラムの多くは削られ、図書館の利用も制限され、広い運動場も監視する人間が少ないことからあまり使われていない。経営がお粗末ならそこで働く人間もガバガバで、管理が存在しない。ある時など、ひとりの警察官が銃を持ったままトイレにいってそれを置き忘れた。そのトイレは受刑者も使うトイレだったので、受刑者が発見し教えてくれたという。

刑務官のストレスは多く、平均で約3分の1がPTSDになる(イラクやアフガニスタン帰りの兵士より多い)。最終的に、著者のいる刑務所では暴動が起きすぎて(日々受刑者同士がお互いを刺し合っている。2日で75個の手製の刃物が見つかる)、誰も外に出さない無期限の刑務所内ロックダウンを敢行。本社から精鋭が送り込まれ、暴力で所内に秩序をもたらす──と戦争が起きてるんですか!? みたいな状況になり、精神を病んだ結果、やめることになる。期間にして僅か4ヶ月のことだった。

刑務所の日常

本書はもちろん民間刑務所の悲惨な実態の告発の書なのだけど、わりと服役している人間とのちょっとしたやりとり、同僚との会話など、刑務官としての日常の側面も綿密に描きこまれていて、そこがおもしろい。たとえば、最初期のレクチャーで、「誰かに唾を吐きかけられたら、ぶちのめしてやれ」「ただし必ず仲間を呼べ」「受刑者を殴るなら、手錠をかける前にしろ」「だが、もし俺がそれをやっていたら見てみぬふりをするように」「諸君が刑務官として百パーセント間違ったことをしていたとしても、俺は迷いなく諸君の味方をする」と語るミスター・タッカーの発言とか。

同僚の黒人の刑務官と将来の夢の話になれば、相手の夢が「刑務官としてキャリアを積んで、警察官になって、レストランをオープンして、五十歳くらいになったら、十八や十九のころにやってたことをまたやるんだ。マリファナを吸って、テレビゲームをやって」であることが判明するとか。こういってしまってはなんだけど、わざわざ最底辺の賃金に甘んじて刑務官になるような人間も荒っぽかったり困窮していることが多く、会話の端々からそうしたアメリカで刑務官をやらざるをえない層の人々の苦境、その質感が、がっつりと伝わってくるのがまたおもしろい。

懲罰報告書を書くことで、ひどいめにあわされる受刑者たちのことを思い書くべきか書かざるべきかと葛藤する日々。優しくしてやりたいと思うが、優しさと軟弱さを取り違えた受刑者からナメられる危険性もあり、その狭間でまた葛藤する。女性刑務官が襲われる最悪なセクハラの数々など、一度読んだら何があっても、どれだけ楽勝な面接であっても、CCAの刑務官にはなるまいと決心させる日常で溢れている。

おわりに

そうした刑務所体験記と交互に、アメリカにおける民間経営の刑務所の歴史も紡がれていくのだけど、こっちはこっちでひどい。ノースカロライナ州では、1876年から1894年までに建設された鉄道線路5千6百キロの大部分が囚人労働で作られた。彼らは一日中そこで作業していたので、用もその場でたさなければならず、水も与えられないので自分が排泄したものを飲まされていたという。当然ばたばたと死んでいく。

ルイジアナ州では年間の死亡率が20%近く、6年生きられる囚人が稀だった時代もある。囚人を使えば労働力は安く、ストライキもないし、自由労働者には耐えられないペースで働かせることができる──1800年代から1900年代半ばまではまだそうした考えがまかり通っていた時代であり、今の価値観からみると異常というほかない。だが、これもまた現実なのである。

日本からすると遠い世界の出来事のように感じられるが、CCAが特別悪辣なわけではなく、州から金をもらって運営される民間の刑務所の根本的な病理と歴史があぶりだしにされているので、ぜひ読んでみてもらいたい。めちゃおもしろかった。