基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

自炊観の変遷

普段本についてばかり書いているこのブログだが今日は一人暮らしの自炊について書いてみたい。これは自炊を勧める文章ではなく、ただ自分の自炊の解像度が数年前からあがったので、それについていま、何を考えているかの覚え書きである。たとえば、どこからどこまでが自炊なのか。僕が自炊を本格的に始める前(コンビニでサラダばかり食っていた頃)は、その言葉について深く考えたことはなかった。料理ができるような設備の家ではなかったので、選択肢に上がらなかったことも大きい。
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当時僕(自炊をする前)の自炊の認識とは「面倒くさいもの」「大変なもの」というざっくりとしたものであった。野菜や肉などの買い出しにいかないといけないし、食べれば洗わなければいけないのだろうと思っていた。油とかいろいろ用意しないといけないっぽいし、何より自炊をしはじめたら材料を期限内に使い切るために自炊ばかりしなければいけないのだという思い込みもあった。実際それは正しい箇所は正しいのだけれども、正しくない箇所は正しくないことに気がついていくことになる。

買い出し、洗い物

たとえば「買い出しは面倒なのか?」について。僕は今2回に1回ぐらいは自分で食事を作っているが、野菜や肉などの「ためだけの」買い出しにはほぼいっていない。コンビニに別のものを買いにいった時についでにそこでついでに野菜を買っている。

肉類やコンビニで調達が難かしいものについては定期的にAmazonフレッシュで大量に買い込んで冷凍してある。Amazonフレッシュは4000円以上払わないと注文できない面倒なサービスだが肉を大量に買い込めばすぐにそれぐらいいく。玉ねぎ、キャベツ、きのこ、あたりの基本的な物はすべてコンビニで揃う。毎日行く必要もないから、ゴミ袋を買いにいくついでにキャベツを買うので十分だ。

洗い物はどうだろうか? 確かにそれは面倒だ。しかし、選択次第ではギリギリまで減らすことができる。たとえば僕は最初の頃はずっと米を炊飯器で炊いていたが、これは大変だった。数分のこととはいえ洗うのが面倒だし、セットして炊いたあとパックに詰めて冷凍していたのだけど、それもまた面倒だった。何より、炊飯器の釜を洗うのが面倒だった。だから、途中でご飯を炊くのはやめ、サトウのごはんなどのパックをAmazonで20〜30個ぐらいまとめ買いをするようにした。

200g1パックで概ね1食125円。自分でご飯を炊いて炊飯器を洗う労力を考えたらこちらが圧倒的に良い。そうするとたとえば野菜炒めを食べたいだけであれば肉と野菜をざっと炒めてご飯のパックを食べればいいだけだから、洗い物はフライパンと箸だけでいい。箸は割り箸にできるだろう。フライパンから直接で食べたくなければ紙の皿でも買ってくればいい。そうすれば洗い物はフライパンだけで済むだろう。フライパンをひとつ洗うのは僕にとっては許容範囲だ。コンビニまでうまくもない弁当を買いにいくよりも、(大抵の場合調理時間を含めても)時間と労力は短い。

ちなみに一時期ホットクックを買って作っていたこともある。ホットクックは確かに簡単でおいしいものができる魔法の調理器具だったが、洗うのが大変だったので5回ぐらいカレーや豚キムチ炒めを作ってあとは人にやってしまった。恐らくその労力は食器洗い機などの設置で解決できた問題だろうが、我が家のキッチンその他のスペース的にそんなものを置く場所はないのでその選択肢は存在しなかった。

適当

もう一つ自炊をする前に思い込んでいたのは「レシピ通りきっちり作らないといけない」「おいしくなければいけない」というものだった。ネットに存在するレシピは料理未経験者には厳しいものが多い。小さじとはどの程度のことなのか。炒めると書いてあるがどの程度炒めればいいのか。「入れろ」と書いてある調味料のほとんど、あるいはそのすべてが家に存在しない。まずそれを買ってくるだけで大変だ。

だから、自炊を始めるにあたって一番ハードルが高いのはそのスタートであった。耳慣れぬ調味料をいろいろと買い込んでこなくてはならず一度の買い物で揃うことは稀である。ただ、そういった調味料や調理器具は一瞬でなくなることはまずないから、一度買ってきてしまえばその後しばらく使えるわけで、以降ハードルは劇的に下がる。まだみぬレシピを試そうとしても、ほとんどの物は家に揃っているから新しく一つか二つ買ってくるだけで作れることも多い。そうすると脳も焦らない。

そして自分で作って気づいたのが「レシピ通りきっちり作らないといけない」「おいしくなければいけない」なんてことはないということだ。調味料なんか別に欠けていたっていいし、適当に思うがままにふりかけて炒めて煮ればいい。ひょっとしたらできるものはマズイかもしれない。だが、マズくてもいいのだ。年齢制限のある公務員試験とは違って何度でも料理は挑戦できる。毎日、毎週自分が作った料理を食べているのだから、むしろ「味に日ごとのばらつきがあったほうが嬉しい」まである。「お、今日はちょっとまずいぞ!」ということそれ自体が喜びになりえるのだ。

だから、適当にやればいいのだ。鍋だったら適当に鍋の素を入れて適当に水入れて野菜だ肉だを適当にぶちこめばいい。肉、野菜、きのこ、キムチなど適当に炒めてパスタだのご飯だのとがっちゃんこすればそれで十分だ。毎日作らなくたっていい。突然作るのに飽きて外でばかり食べて家の食材を腐らせたっていい。やばそうだったら捨てればいいだけの話である。パックのご飯にふりかけや醤油をかけて食べて自炊と言い張ったっていい。もやしばかり食ったっていい。なんでもいいじゃないか。

自炊とは何なのか

自炊とは何なのか、よくわかっていない。たとえばパックご飯と冷凍の餃子とふりかけで食事をとったらそれは自炊なのか否なのか。それはわからないが、とにかく家にパックご飯と冷凍の餃子とふりかけが存在していて、ふとお腹が減った昼下がりにそれを昼ごはんにすることができるという「選択の自由」があることはありがたいことだ。僕にとって自炊とは食費を安く済ませるためでも美味しいものを食べる目的で行われるものでもなく「食事の選択肢を増やす」ためのものになっていった。

結局よくわからない記事になったが書いてしまったので公開しておく。