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造語「メタヴァース」を生み出し、数々の起業家の世界観に影響を与えた伝説のSFがついに復刊!──『スノウ・クラッシュ』

この数年メタヴァース=仮想現実が盛り上がっている。Facebookが社名を「Meta」に変更し、OculusQuestやVRchatが普及し、フォートナイトでのライブ・生活体験が当たり前になり、仮想空間上での会議や共同作業など、実生活でもメタヴァース関連の話題が上がることが増えてきた。その背景には新型コロナの蔓延によって対面での接触機会が減少したり、技術が発展したことで機材が安価になり、仮想空間の描画力が増し、できることが増えてきたからなど複数の理由が絡んでいるのだろう。

森博嗣『すべてがFになる』の中で、天才科学者真賀田四季は、西之園萌絵に『博士……。博士のご研究の一つ、仮想現実の技術は、どんな役に立つのでしょう?』と聞かれ『「本当に話が飛びますね。仮想現実は、いずれただの現実になります」』と答えているが、仮想世界の描画力が増し、より直接的に投影できるようになれば、そうなるのは避けがたいだろう。『すべてが〜』では、仮想現実が現実となる根拠として、世界のエネルギーは限られているから、地球環境を守りたいのであれば人間はエネルギーの浪費である移動を制限し、電子世界に入らざるを得ないと展開していく。

話が逸れたが、ようは、メタヴァースはバズっているし、バズネタに飛びつく山師みたいな人間も大勢いるが、世の中の将来的な流れとして、これが発展していくのは(金になるのかはともかく)間違いなさそうだなあというところである。

『スノウ・クラッシュ』が与えた影響

で、今回紹介するニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』(1992)は、まさにその「メタヴァース」の語を創造した、伝説的なSF作品なのだ。本作が本邦で刊行されたのは1998年のことで、その後文庫化されるものの長いこと手に入りにくい状況が続いていた(僕も数年前にそこそこ高い値で古本で買って読んだ)。それが今回、メタヴァースやSF自体の盛り上がりも後押しになり(推測)、復刊に繋がったのである。

それも、本作は単にメタバースの産地だからすごい! とだけ評価されているわけではなくて、Oculusの創業者がその影響を公言していたり、「セカンドライフ」や「アクティブ・ワールズ」などオンライン仮想世界への直接的な影響。元Microsoft最高技術責任者のJ・アラードは『スノウ・クラッシュ』がXbox開発チームにとっての必読書であったと語るなど、とにかくテクノロジー業界への影響力が大きい(だからこそメタヴァースという語がこれだけ広く使われるようになった)作品なのである。

今読んでおもしろいのか?

とはいえそうした”凄い人たち”はみんな40代や50代を超えたいい歳の人々なのであって、思い出の作品であり別に今読んでもおもしろくないんじゃない? と思うかも知れないが、むしろ1992年に書かれた「仮想世界が人々の生活の中に当たり前のように存在する」未来の世界が今の現実と程よく重なり、飲み込みやすくなっている。

単に仮想世界が出てきてそこでワチャワチャするだけの話ではなく、神話と歴史を繋げ、それを現代の情報技術に接続することで、人間の意識と言語の起源、それどころか地球生命の起源までまるごと説明しようとする壮大な”言語・情報SF”であり、伊藤計劃の『虐殺器官』と『ハーモニー』をまるごと統合したような作品なのである。

あらすじ、世界観など

舞台は、アメリカの連邦政府が無力化し、資本家によるフランチャイズ国家が国土を分割統治するようになった近未来。オンライン上には仮想世界「メタヴァース」が築かれ、主人公ヒロ・プロタゴニストは、現実世界ではデリバリー・ピザを配達しながら暮らす男だがその裏の顔はメタヴァースを作り上げたハッカーの一人であり、メタヴァース上では世界最高の剣士でもある──となかなかにトンチキな話である。

この世界のメタヴァースへの入り方は、普通に目に映像を投射する、現代のものに近いタイプだ。下記は記念すべき〝メタヴァース〟の初出シーン。

 だから、彼はいま、このユニットにはいない。彼がいるのはコンピュータの作り出した宇宙であり、ゴーグルに描かれた画像とイヤフォンに送りこまれた音声によって出現する世界。専門用語では〝メタヴァース〟と呼ばれる、想像上の世界だ。ヒロは、このメタヴァースでほとんどの時間を過ごしていた。ここには〈貯蔵庫〉のような嫌なことはない。

この世界ではアメリカは技術的な優位を失って落ちぶれており、ヒロも現実世界ではそうたいしたことのない生活をおくっている。しかし、メタヴァースに行けば関係ない。地球の円周よりもはるかに長い遊歩道である〈ストリート〉。開発がいつまでも続く世界。みなアヴァターで自分の好きな姿になることができ、その精巧さによって地位も変わってくるところなどは、現在のVRchatを彷彿とさせる場面だ。

ヒロはこのメタヴァース上でスノウ・クラッシュと呼ばれるドラッグに出会う。あまりに怪しいのでヒロは無視するも、世界有数のハッカーにしてヒロの友人であるDa5idは、ウイルス対策にも自信があったことからこれを使用。彼の目の前に現れたのは何十万という1と0の羅列だったが、それを見た直後にメタヴァースから強制的に放逐され、現実でも意識不明に陥ってしまう。その謎の追究──どのように症状は引き起こされ、何の為にばらまかれているのか──が物語を牽引していくことになる。

神話、歴史、宗教、言語、意識の接続

スノウ・クラッシュがDa5idを昏倒させたのは、一種の「脳のハック」だ。膨大なバイナリ形式のデジタル情報を視神経に飛び込ませ、脳に直接的な影響を与えた。それが実現可能ということは、情報を脳に送り込むことで人の行動を制御できる可能性を示しているわけだが、本作ではそこに神話と歴史と言語が密接に関わってくる。

たとえば、最初に誰もが用いる言語が存在していたが、それが神によってバラバラにされたとするバベルの塔のエピソードが旧約聖書にあるが、本作ではこれがコンピュータを制御するマシン語と、Javaなどプログラミング言語のアナロジーで語られている。マシン語は0と1を並べたビット列として表されるから、人間が直接的に読み書きやすい形式ではない。だからこそJavaなど扱いやすい文法を持った諸言語で書いてから変換をかまして動かすのだが、これは実言語も同じなのではないかというのだ。

たとえば、我々が普段用いる日本語や英語といった「人間が扱いやすい、わかりやすい言語」の奥には、マシン語に相当する、バベルの塔でいうところの「最初に誰もが共通言語として話していた言葉」、人間の脳に直接作用する深層言語とでもいうべきものが存在し、それを用いることができれば、人間を自由自在に操ることも可能なのではないか──と。本作はスノウ・クラッシュを引き金に神話、歴史、宗教、言語、そして人間の意識を一繋ぎにし、壮大な人類文化を描き出してみせる。

おわりに

そうした大ネタ語りがあまりにも雑に放り投げられていたりして、小説としては下手くそなんじゃね? と思う部分もあるのだけど、とにかく時代の熱気をいまなお新鮮に感じさせてくれる作品だ。サイバーパンクといえば日本でもあって、ヒロは剣士として、〝ザンシン〟を身に着けているニッポニーズ・ビジネスマンと切り結んだりトンチキで愉快な部分も多々あり、いま読んでも十分に楽しむことができるだろう。

 ビジネスマンは、強力な〝ザンシン(残心)〟(本来は、剣道で激突したあとの敵の反撃に備える心の構え)を身につけているようだ。この概念を英語に翻訳するのは、〝ファックフェイス(かすみ目とか、半覚醒状態のこと)〟をニッポン語にするようなものだが、フットボールでいう〝感情的な強度エモーショナル・インテンシティ〟に近いかもしれない。