基本読書

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外科手術時の消毒の重要性を提唱し医療を一変させた偉人の生涯──『ヴィクトリア朝医療の歴史:外科医ジョゼフ・リスターと歴史を変えた治療法』

この『ヴィクトリア朝医療の歴史』はその名の通りの一冊なのだけれども、「ヴィクトリア朝」は、医療史を少しかじっていると「おっ」と思う時代である。ここで、それまでの医療と比べて、特に外科手術の際の医療のレベルが跳ね上がったからだ。

それ以前は医療現場はどのような状態だったのかといえば、麻酔がないので腕や足を切断する時はノー麻酔で患者は激痛をこらえながらだったし、医師は患者の苦痛を少しでも抑えるため一秒でも早く作業をすることが求められていた。細菌感染の概念もないから、別の患者を処置したメスや手を洗わずに次の患者の処置を行い次々と院内感染が広がっていて、化膿による敗血症から患者は次々死んでいく。足を切断するためにノコギリを入れたが途中ではさまって抜けなくなってしまったなど、当時の医療エピソードはむごいものばかりで、病院に行くと患者の死が早まるレベルであった。

本書はそうした激動のヴィクトリア朝時代の医療がどのように変わっていったのかをたどる医療史の本だが、その中心には後に院内感染が細菌によるものだとして、消毒法を編み出し世界に広げるジョゼフ・リスターの生涯がある。地味なタイトルでもあるし、期待せずに読み始めたのだけれども、読み始めてみればリスターが魅力的かつ偉大な人物で、順風満帆とは言い難い人生であることも相まって、本書の最後のページを読んだときに、伝記としては異例ながらも涙が流れてきてしまったぐらいだった。リスターの魅力もさることながら、著者の生き生きとした筆致も素晴らしいのだ。

麻酔の誕生

麻酔がない時代の手術にはスピードが必要だ。高名な医師リストンは28秒で脚を切断するなどスピードに定評があったが、速さは時に仇にもなる。リストンには、脚と一緒に睾丸を切断したとか、手術を急ぐあまり助手の指を三本切って、刃をつけかえようとして見物人の上着を切ってしまったというエピソードがある。後者のエピソードでは、助手と患者は壊疽で死亡し、不運な見物人は恐怖のあまりその場で死んで、歴史上唯一死亡率300%の手術になったとオチがついているが、怪しい話ではある。

状況が変わり始めたのは1840年代からで、エーテルを用いた麻酔効果の力が知れ渡りはじめ、苦痛の時代は終わりを告げようとしていた。ただ、医療はまだまだ不完全なものにすぎない。患者の苦痛がなく外科手術ができるようになると、医師はこれまでよりも積極的にメスをいれるようになる。そうすると、術後の感染とショックが大幅に増えた。手術が増えたので、手術室はそれまでよりも一層不衛生になり、細菌感染の存在も知られていないので、道具を使いまわし被害を拡大させていった。

手術室に運ばれる人が増えるにつれ、きわめて基本的な衛生管理さえ行われないことが多くなった。手術を受けた患者の多くが死亡し、あるいは完全には回復せず残りの人生を病人として送ることを余儀なくされた。いたるところでこうした問題が起きていた。患者たちはみな、「病院」という言葉をますます恐れるようになり、もっとも熟練した外科医でさえ、自らの腕を信用できなくなった。

こんな時代に生まれていなくてよかったと思うばかりだが、こうした状況を徐々に変えていくのが本書の主人公であるジョゼフ・リスターなのである。

ジョゼフ・リスターと細菌感染の発見

1840年頃までの感染症に対する人々の理解は浅く、大きくわけて伝染派と非伝染派で議論が対立していた。前者は人から人へと感染するといっていたが、それが何によって起こされるのかは理解されていなかった。後者は、不潔で腐った物質から瘴気が出て、感染はそれを通じて発症する、と主張していた。

この反伝染派の主張が(てんでまちがっているのだが)当時の医学界のエリートとしては主流派の意見であった。こうした医療の歴史を読むと、限られた情報で物事を判断するのがいかに難しいのかがよくわかる。たとえば、そのあたりがはっきりしないこの当時、皮膚に傷がある人間は感染症が発生するが、皮膚に傷のない閉鎖骨折では殆どの場合何事もなく治癒していた。これは、反伝染派にとっては「瘴気が傷口から入り込んでいるからだ」という考え方を補強するものだった。

救世主ジョゼフ・リスターは1827年の生まれで、ロンドン大学ユニヴァーシティカレッジ(UCL)で医学を学び、持ち前の好奇心旺盛さで顕微鏡で人体を細かく観察したり、カエルを解剖して炎症の研究をしたりと、独自の領域で知見を深めていた人物である。クエーカー教徒で、たとえ堕落した患者であっても、イギリス皇太子に対して行うであろう治療と同じ治療を施すことを自身の黄金率とし、周囲の評判をみてもそのとおりに行動していた人物だったようだ。様々な成人エピソードが残っている。

リスターは細菌による感染の実在を確信し、術前術後に消毒をする考えに至るのだが、彼だけの功績ではなく時代の状況も関係していた。1840年代の終わりには、当時大流行していたコレラの患者が、みな特定のポンプの水を使っていることに気づき、コレラは水を媒介にして伝わることが明らかになった。1858年にはロンドンで強烈な悪臭が発生し、住人は瘴気が理由で病気が広まっていくのであれば、これが原因で市内で病気が大流行するだろうと予測したが、そうはならなかった──など。こうした事例がいくつもあって、瘴気派がなりをひそめ、伝染派が主流になっていくのだが、それでもまだ何が病気を媒介にしているのかは明らかになっていなかった。

それを明らかにしたのはパスツールという男で、「なぜ一部のワインは腐るのか?」を研究しているうちに、バクテリア(細菌)や微生物がそこに関与していることを明らかにした。細菌の存在を受け入れないものも数多くいたが、リスターはこれに同調し、院内感染の原因は空気自体ではなく、空気中に含まれる細菌なのではないか。そして、そうであるならば傷口で細菌を殺すことができれば、感染を食い止めることができるのではないか(消毒の概念自体はすでに存在していた)と思い至るのである。

おわりに

やっとリスターは傷口を消毒し、手を洗うという概念にたどりつき、院内感染と死亡率を大幅に減少させることに成功するのだが、こうした革新的で明確なエビデンスを持つ発見であっても、医療界に受け入れられるのには多くの時間がかかった。

科学の世界で古い考え方や手法を不要にする新しい発見があると、古い常識を提唱し実践してきた人の中に名誉や実益が傷つけられるものが多く存在する。だから、明らかな証拠と共に提出されても、そうした人々は必死に抵抗するのだ。それでも、真実は必ず生き残る。リスターの消毒法を忠実に実行することで、リスターの弟子たちはその正しさを実地で目の当たりにして、間違いなく正しいと信じ、彼らが各地に散らばっていくことで──弟子の名は「リステリアン」と呼ばれた──その手法は徐々に広まっていった。国内外で徐々に成功事例が増えていき、それに伴ってリスターの名声は高まり、最終的には女王の腫瘍を切除する大役を任されるまでになる。

アメリカでは消毒法に対する反発が起きていたので、海を渡って説得しにいくなど、彼はその生涯をかけて消毒法を広めることに尽力していく。『リスターの消毒法が受け入れられたことは、医学界が細菌説を認めたということを何より明確に示すものであり、科学と医学が融合した画期的な出来事だった。』とあるように、リスターが行ったことは、医学の科学的な前進という意味でも重要なことだった。

リスターの学生で助手だったヘクター・キャメロンは後年、『「私たちは天才とかかわっているとわかっていた。歴史を作る過程に手を貸しているのだ、何もかもが新しくなるのだ、と感じていた」』と語っているが、本書にはまさにその、歴史が作られていく過程が書き記されている。感動的な一冊なので、ぜひおすすめしたい!