あらすじ・世界観など。
物語の主な舞台になっているのは2036年。仮想空間であるVバースや介助用ロボット技術が発展し、身体障がい者にとっても(2022年と比べると)比較的過ごしやすい環境が整っている時代。物語の主人公である牧野は、事故で脊髄を損傷して首から下の運動と知覚を完全に失ってしまっている。現代(2022年)であればそれはほとんどつきっきりの介護と介護者を必要とする状況だが、この世界では他にも選択肢がある。
頭蓋内に皮質脳波検出インプラント〈テレパスシステム〉を入れ、代替身体(Personalized Alternative Body Operated by Telepath、通称パボット)を遠隔操作することで、念じるだけで自分で自分の介護を行うことができるのだ。訓練のすえ習熟すれば排泄の管理、床ずれ防止のための寝返りなど、だいたいできるシステムであり、牧野の日々の生活を維持している。通常四肢麻痺状態に陥ってしまえば以前の仕事を行うことは不可能だが、テレパスを使えばその限りではない。牧野はもと渡米までしていた凄腕の脳神経外科医であり、自分が医師であることを諦めていない。
二〇二〇年代を通して急速に発展したマスタースレーブ型マニピュレーターと術中ナビゲーションシステムによって、外科の臨床現場ではロボット支援手術が当たり前に実施されるようになっていた。なかでも脳神経外科は、術野の顕微鏡映像に様々なセンサー情報をリアルタイムで加味した三次元データを対象にマニピュレーターを操作するという意味で、実質的に仮想空間上の作業と言っても過言ではなかった。
そんなある時、牧野のもとにかつての恩師にして、テレパスとVバースという二つの製品の開発で世界中の注目を集めるSME社の森園から代理手術の依頼がなされる。何でも、森園はグリオブラストーマがステージ4まで進行しており、突然の発作の可能性を考えると自分が担当するのは難しい、自動車との接触事故で頭を強打し、視覚障害と全生活史健忘となった少女エリカの視覚回復のための代理執刀をしてほしいという。
ここまでミステリ要素は一切ないが、牧野が実際に手術を成功させてから(バーチャライトと呼ばれる人工視覚システムの埋設手術)、事態は大きく動き始める。本来人工視覚システムを入れても、埋設者がトレーニングを行わなければ前のようには見ることができないはずなのに、エリカは術後直後からはっきりと世界が見えている。普通ありえない事態のはずなのに、騒ぐ牧野に森園も含め誰も同調しない。
そもそもなぜ、エリカは記憶を失ってしまったのか? 失われた記憶、彼女の過去には何があったのか。SME社と森園、そしてエリカの間には明らかに謎があるわけだが──といったところで死期の迫っている森園が自殺し、なぜ、このタイミングで自殺を決行したのか(他殺なのか?)という新たな謎と合わせて、〈テレパス〉と〈Vバース〉という、二つのシステムの秘密へと迫っていくことになる。
未来の世界のディティールに富んでいる。
医療と相性のよい仮想世界✗介助用ロボット✗BMIなどの先端技術の意義と未来像を存分に描き、「その先」を示しつつミステリー的な解決へと鮮やかに繋げていく手法。エリカが人工視覚を埋め込んだ後から見えるようになった謎の黒い幻など、序中盤を無数のホラー的な演出で盛り上げていく手際。仮想と現実の揺れ動く境目や人間にとっての記憶の意味を問うていくSF的なテーマ性の詰め方など、(もちろん応募時からそうとう改稿したのだと思うが)新人離れした手腕を全体的にみせている。
中でも未来の科学技術のディティールの詰め方は見事だった。たとえば、四肢麻痺の患者が代替身体を使って自分の介護をする事は、現代でも模索が続けられる一般的なアイデアだ。本作では、単純にそうした事実を書いて終わらせるのではなく、牧野の現在の状況を説明するため、最初に排泄のためのカテーテルがネジ曲がって閉塞している状態を直す地味なシーンを丁寧に描写し、徐々に「四肢麻痺患者が自分で自分の介護をする未来」の説得力を出すなど、その演出の手付きは好ましい。
頸髄のC4と呼ばれる個所を損傷した牧野の場合、排尿・排便にかかわるすべてに介助が必要とみなされており、喪失した尿意や便意は、テレパスシステムの一環として仙髄にインプラントされたセンサーによって代替的に検知する処置を受けている。サバイブポールの試合に集中できるよう尿道にカテーテルを挿入していたのだが、途中経路が閉塞したことで尿が流れず、膀胱内圧の上昇がアラートを鳴らしたのだ。
SFは門外漢と謙遜する著者だが、明らかにうまい。早川書房デビューだしいずれは本格的にSFを向いた作品も読んでみたいところである。ひとまず、またおもしろい作家がひとり出てきたことを喜びたい。