基本読書

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ヒューゴー&ローカス賞受賞の、対話が可能なのかすらもわからぬ相手との決死の外交を描く宇宙・ファーストコンタクトSF──『平和という名の廃墟』

この『平和という名の廃墟』は、前作『帝国という名の記憶』で長篇デビュー作ながらもヒューゴー賞を受賞したアーカディ・マーティンの第二作にして二部作の後篇となる。前作は書名に「帝国」と入っているように、宇宙をまたにかける銀河帝国と、その宮廷で繰り広げられる皇帝の跡継ぎ問題なども関わってくる陰謀劇を中心に描き出す、いわばスペース・ポリティカル・サスペンスとでもいう作品であった。

著者は大学でビザンツ帝国史の博士号を取得し、別の大学で都市計画の修士をとるなど専門的背景のある人物だが、まさにそうした専門性や知識を活かして、前作では宇宙帝国とその在り様を生き生きと、美しく描き出していた。宇宙帝国ならではの特殊な文化・概念の書き込み、帝国とそれが実質的に植民地支配した周辺諸国との微妙な力関係の描写など他にも読みどころは多くて前回も紹介する記事を書いたのだけど、続く本作はそんな前作を踏み台にして飛翔していくようなおもしろさだ。
huyukiitoichi.hatenadiary.jp

ファーストコンタクトと政治外交

本作のテーマは、話が通じるのかも不明な未知の異種生物とのファーストコンタクト、そんな相手に対して戦争を起こすという「わかりやすい解決法」回避することができるのか──といった政治外交になる。前作で帝国の中の政治の力関係、近隣諸国の入り組んだ思惑(たとえば、近隣諸国からしてみれば帝国が勝手に戦争して国力を消耗してくれるのであればありがたい話である)を土台に発展させただけでなく、相手の(言語なのかすらもわからぬ)音の放出の解析などは言語SF的にも魅力的で、並み居るファーストコンタクトの傑作群と比べても遜色ないレベルに仕上がっている。

前作は読みどころは多いとはいってもどちらかといえば描写を堪能する方面のおもしろさに寄っていて、そうそうド派手な展開が起こるわけではなく、世界観説明も相まって展開は重かった。そうした傾向は本作でも継続しているものの(物語にドライブがかかるまでにページがかかる)、宇宙SFの醍醐味のひとつの「戦争」が主題なこともあって、盛り上がる場面は多いので、前作は期待通りではなかったな、という人も今回再チャレンジしてみてもいいかもしれない。ちなみに『帝国という〜』から直接的に繋がっているので前作から読むのを勧めるが、最初に少し状況を把握していれば本作から読むことも可能なので、この記事で興味を持った人は本書から読んでも良い。

『帝国という名の記憶』

最初に、本作から読み始める読者のことも考えて前作の流れを振り返っておこう。

前作は、宇宙を支配する帝国テイクスカラアンに、ルスエル・ステーションと呼ばれる採鉱ステーションから新任の女性大使であるマヒート・ドズマーレが派遣される場面から幕を開けた。その後、テイクスカラアン人のスリー・シーグラスがマヒートの案内役となり、皇帝の皇位継承権をめぐる陰謀や、ルスエルと帝国の安全をめぐる政治劇を、二人を中心にして描き出していく──というのが大まかな流れだった。

前作の読みどころのひとつは、この二人(マヒートとシーグラス)の関係性の変化にある。マヒートらルスエル・ステーションの人々は被支配者側であり、テイクスカラアン人らからは野蛮人と嘲笑される存在である。一方のシーグラスはテイクスカラアン人でありながらも野蛮人に興味津々で、マヒートのお目付け役という立場の違いこそあれど、陰謀に巻き込まれるうちに対等な関係性を築き上げていく。

本作に関わってくる前作の要素として最低限抑えておきたいのは、記憶の継承装置である「イマゴマシン」の存在だ。この装置は軌道上で暮らし、簡単には人口を増やすことができないルスエル・ステーションで発展したものであり、絶対的な権力者が存在する帝国ではこの技術の価値は計り知れない。

『平和という名の廃墟』

続くこの『平和という名の廃墟』は、時間的には前作から数カ月後の物語。帝国の皇帝は前作であった事件により移り変わり、マヒートはルスエル・ステーションへと帰還中。一方その頃帝国では、未知のエイリアン船によって戦闘機と操縦士が攻撃される事件が起こっており、スリー・シーグラスはこの言葉が通じるのかもわからぬ未知の存在と〝ファーストコンタクト〟する任務につき、その相棒としてマヒートを連れ出そうとルスエル・ステーションまで半ば密航のような形で向かうことになる。

 〝わたしにはファーストコンタクトの状況に対処する能力はない〟とナイン・ハイビスカスは思った。〝とりわけ、接触してきた相手がわたしの部下に向かって艦を溶かす液体を吐き、理解可能な音をいっさい立ててくれないようなときには〟ナイン・ハイビスカスは兵士だ。戦略的な思考を得意とし、テイクスカラアンの巨大な力を背にしてはいるが、それでも兵士なのだ。ファーストコンタクトは外交官とか叙事詩に堪能な人びとのためのものだ。

今回帝国に現れたエイリアンらは解析可能な音素を持たず、音自体は発しているものの人間の耳にはそれは耳障りな空電にしか聞こえない。つまり、言葉を持っているのか、いないのか。持っているとして、それがどのような言葉で、人間との対話が可能なのか一切わからぬ相手である。ミリタリーSF的な文脈であれば攻撃されてるんだから殲滅するしかないだろ、となるところだが前作にて重厚な宮廷政治劇をみせてくれた本作はその選択肢をすぐにはとらず、戦争に至る前にできることを模索する。

はたして相手はどんな言語を持っているのか、持っているとして、その文法を解釈することは可能なのかという言語分析&コミュニケーション方の模索。たとえば音以外のコミュニケーション手段もいくらでも考えられる。身振り手振り、フェロモン、皮膚の構造色が模様になって移り変わる──などなど。仮に戦争をするにしても、帝国は近隣諸国の条約をできるだけ破らずに兵器を移動させることは可能なのかなど、簡単に戦争を開始できるわけではなく、外交的に考えなければならぬことは多岐にわたる。『兵站や軍備に関する終わりのない会議が再開された。補給線をどうするか。一度に多くの条約を破ることなくいかにしてジャンプゲートで兵器を移動させるか。』

本格的な開戦に至らないためにコミュニケーションの模索を続けること。それはスリー・シーグラスら外交官らの仕事だが、自国の兵士が次々と殺されている中で余裕はない。軍人は当然、シンプルな解決方法を好む──戦争という手段を。帝国内ですら相反する利害関係に各国の政治状況も絡み合い物語は複雑に展開するが、戦争を止めるために自身の権力を行使することを思う皇位継承者である11歳のエイト・アンチトード少年の奮闘、支配者ー被支配者の関係にあるスリー・シーグラスとマヒートの微妙な関係性の描き方とその変化など、読みどころはシンプルにまとまっている。

おわりに

政治劇、外交を中心に描き出してきた前作に続く長篇のテーマが、「コミュニケートできるかもわからぬエイリアンとのファーストコンタクト」に至るのは必然だったともいえる。言葉が通じない、エイリアンともいえるほどに異なる文化に属する人々と粘り強く交渉を試みること。それは、外交官の仕事なのだから。

今回僕は本作(『平和という名の〜』)の文庫解説も担当しているので(この記事は文庫解説とは別の書き下ろし)よかったらそちらも読んでね。記事よりも内容に踏み込んで解説しています。