基本読書

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軍拡競争が過熱し、もはや何が敵の攻撃によるものなのかもわからなくなった未来を描き出す、スタニスワフ・レムの初邦訳長篇──『地球の平和』

この『地球の平和』は、レムの最後の長篇『大失敗』と同じ1987年に刊行された、最後から二番目の長篇SFとなる。レムの代表作の一つ〈泰平ヨン〉シリーズの最終作でもあるが、話としては大きく分かれているのでここから読んでも何の問題もない。

脳梁切断手術を受け右半身と左半身が別々の意識に操られるようになってしまった泰平ヨンのコメディ的な語り通して、軍拡競争が行き着くところまで行き着いてしまった未来社会に何が起こるのかを描き出す、SF✗スパイ小説風の長篇である。

本作のように原書刊行から30年以上の月日が経っての初邦訳となると普通期待がもてないものなのだが、そこはさすがの傑作ぞろいのレムである。既作と比べて遜色ないどころか、既作のテーマやモチーフがまるで総集編のように用いられ、そこに晩年の思考の深化もくわわって、いったいどれほどの時間を思考にあてれば、これほどの細部を描き出せるようになるのか……と驚くような未来世界が広がっている。

導入部

舞台となっているのは技術が大きく進歩した未来世界。泰平ヨンは月で極秘の偵察任務についていたのだが、そこで何かが起こって脳梁切断(てんかんなどの治療目的で、左右の大脳半球をつなぐ神経繊維の束を切断することで、実在した治療法のこと)が施され、右と左半身が別々に動くようになってしまっている。たとえば、小説の語りを担当する左脳が何も意図していないのに、左手が靴屋の店員の鼻をつかんだり、周囲の人間を蹴っ飛ばしたりするといったように。意識が分裂しているのだ。

小型化する兵器

そもそもなぜ泰平ヨンは月に極秘の偵察任務にいかなければならなかったのかといえば、その理由はこの世界の兵器の開発状況と関わっている。この世界の戦争では、まず先進国では誰も軍隊に行きたがらないので、人間の代わりを自動機械がつとめている。特徴的なのは、そうした自動機械のサイズがどんどん小さくなっている点だ。

ハチやアリが一匹一匹はたいした知性を持たずとも集合することで複雑な構築物を築きあげるのと同じように、自動機械兵器はひたすらに小型化&群体知性への道を進んでいる。小型化の利点はいくつもあるが、大きな理由は”小さいことは安全”だからだ。かつて恐竜を滅ぼした隕石も、昆虫や細菌には(相対的に)影響は与えなかった。小さく、分散しているほど、致命的な破壊力を持つ兵器の効果を受けづらくなる。

作用する破壊力が大きければ大きいほど、より小さな体系の方がそれを逃れることができるのである。原子爆弾は軍隊と同様に、兵士にも散開を要求した。

認識できない戦争

個人的に一番おもしろかったのは、そうした小型化兵器の行き着いた果てに、地球から”戦争と平和の境界線が消えてしまった”点にある。兵器はあまりにも小さく、多機能になってきていたので、もはや戦争は認識できなくなってしまったのだ。たとえばある地域に酸性雨が降ったとして、はたしてそれが環境破壊によって引き起こされた自然現象なのか、はたまた敵による妨害工作なのか、判断がつかないのである。

家畜が大量に死んだ──だが、この疫病は自然なものか、意図的なものか? 暴風雨が沿岸を襲う──かつてのように偶然か、それとも海上のサイクロンを巧妙に押しやったものか? 日照りは──危険とはいえ通常のものか──それとも雨雲をはらむ気団をこっそり移動させて引き起こされたものか? 気候・気象の防諜、地震スパイ、疫学者の偵察任務、ついには──遺伝学者や水路学者までもが仕事で手一杯になった。

乳児死亡率の増加、作物の伝染病、がん発生率の増加、出生率低下による人口減少、隕石の落下──とにかくあらゆるマイナス事象が敵の攻撃であると同時に、自然現象の可能性でもある。もちろん専門家が時間と知見を動員すれば攻撃か、自然かを判定できることもあるだろう。だが、その対象が広がっていけばいくほど、判定コストは上がり続けていく。『平和が戦争になり、戦争が平和となった』

そんな状態が続けば双方勝利できるかもしれないが、それは双方の敗北も意味することになる。最終的に各国は兵器開発の無人システムを月に移し、そこを完全な立ち入り禁止区域に指定することで地球の非軍事化を達成するが、それは、今度は「どの国が最初に極秘化された月の最新軍事情報を取得するのか?」、「無人で兵器を発展させつづけている月の自動兵器開発システムが一転して地球に牙を向くのではないか?」という恐怖を産むきっかけになり──と、軍備開発は完全に泥沼化している。

無論いくら兵器が自動で開発・製造されているからといってそれが暴走して地球にあだをなすとは限らないが、地球から偵察のために放った無人偵察機が撃墜されることを繰り返すうちにパニックは広がっていく。泰平ヨンが月に偵察に出されたのは(大勢の候補の中の一人だったが)、そういう状況があってのものなのである。

おわりに

泰平ヨンが脳梁切断術を喰らったのは、月偵察を行ってそれを政府機関に報告するまでの間であり、明らかにそれは彼が知ってしまった/知ってしまう何らかの情報を消去するために行われていた。泰平ヨンは右脳と左脳が喧嘩をし、アクセスできない月の記憶を持ったハードモードのまま、その謎に対峙していくことになる。

長々とした世界観解説部分と泰平ヨンのスパイ・ムービー的シーンが交互に訪れ、晩年の作品とは思えないほど筆がのっている。脳梁切断術と「二つの意識」などの話は、描写の根拠になっているガザニカの分離脳実験の再現性が疑われている現状価値を落としているといえるが、もとよりフィクションとして読めば大きな問題はない。

この記事ではまったく触れていないが、「軍拡競争はすべてのシミュレートが最終的に至る答えとしての〈最終兵器〉が存在するのか、もしくは兵器の進化には限界がないのか?」など魅力的な思索が前半から後半までぎゅっと詰め込まれていて、レムの思考力には驚かされるばかりだ。