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神林長平の最前線の境地が堪能できる、《戦闘妖精・雪風》13年ぶりの最新巻──『アグレッサーズ』

この『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』は、神林長平を代表する《戦闘妖精・雪風》シリーズの第4作めにして実に13年ぶりの新刊となる。シリーズの既作とその刊行時期を振り返ると、1984年に第一作『戦闘妖精・雪風』が刊行(02年に改訂版『戦闘妖精・雪風〈改〉』)、1999年に『グッドラック』、09年に『アンブロークンアロー』、今年に本作が──と、実に10数年ごとに着実に巻数を重ねてきたことになる。

近年の神林長平作品は「老い」を作品の中のテーマとして入れるようになってくるなど人間、10年も経てば考え方も感性も変化していく。雪風は常に神林長平のその時々のテーマ、思索が盛り込まれていて、十数年ごとのの集大成を体験することができシリーズだ。巻数表記はないが、作品は明確に前巻から流れが繋がっているので、まだ未読の人で興味がある人はぜひ『戦闘妖精・雪風〈改〉』から読んでもらいたい。
www.hayakawabooks.com
あと早川書房のnote&先月発売のSFマガジンに雪風シリーズの振り返り&記憶回復用の長めの文章を書いたのでこれまでの流れを知りたい人は読んでみてね。

雪風シリーズをざっと振り返る。

というわけで『アグレッサーズ』である。大まかなこれまでの三作の流れ、世界観の基盤自体をこの記事でも紹介しておくと、物語の舞台は南極に出現した〈通路〉から地球に異星体ジャムが侵攻してきた世界。地球防衛軍がジャムへの反撃、対抗のためにその通路をくぐりぬけると、そこには未知の惑星・フェアリイが存在していた。

対ジャム戦における主力であるフェアリイ空軍(FAF)は、このフェアリイ星側の通路を取り囲むようにして基地を建設し、ジャムの侵攻が地球に及ばないように食い止めている。そうした防衛にあたっての主戦力となっているのが、コンピュータを搭載した大型戦闘機だ。中でも飛び抜けた人工知能を有するものは〈スーパーシルフ〉と呼ばれ、情報収集のためには味方を見殺しにすることさえ辞さない〈特殊戦〉部隊に配属されている。主人公である深井零と雪風も、特殊戦に所属するコンビだ。

第一作『戦闘妖精・雪風〈改〉』では、そうした特殊戦のありようや、この世界がどのような状況下にあることかが短篇形式で語られていく。たとえば、「ジャム」は地球を侵略にやってきた異星体とはいえ、言葉をかわせるわけではないので、攻めてきた目的も、そもそも敵意や目的があるのかどうかすらもわからない。そのため、第一作目から三作目までを通して一般的な軍事小説が描き出すようなドッグファイトなどはほとんど存在せず、扱われていくのは未知の異星体を問う、哲学的問答だ。

たとえば、この戦争に人間は必要なのか。機械知性は優れており、単独でも行動・戦闘ができる。もし、これが人間に仕掛けられた戦争であるのならば、人間が受けて立つ義務があるだろう。だが、これは人間に仕掛けられた戦争なのか? ジャムは、地球に反乱する機械知性たちを支配者とみなし、機械知性たちと戦っているつもりなのではないか? であれば、この戦争における人間の存在意義はどこにあるのか。

続く『グッドラック』では人間とは世界を認識する方法が違うジャムを知るために、言葉をもたない彼らの世界を無理矢理に人間が理解できる言葉に変換するような、力づくのコミュニケーションが描かれ、『アンブロークンアロー』ではジャムや機械知性体らがみている特殊な世界認識を、深井零たち特殊戦の面々が体験する/させられることで読者も特殊戦の人々もかつてなくジャム・機械知性の世界に接近していく。

アグレッサーズ

『グッドラック』でフェアリイ空軍とジャムの全面攻撃が勃発し、『アンブロークンアロー』ではその最中に特殊戦の人々は不思議な世界へと迷い込み、状況打開のために地球へと雪風と零を放った。アグレッサーズが描き出すのは、その後の物語だ。

巻が進むごとに観念的、抽象的になっていったので、この第4作ともなればいったい何が繰り広げられるのかと戦々恐々としながら読み始めたのだが、実際には原点回帰的にシンプルな(しかしこれまでの流れを踏まえ、さらに広げていく)物語である。

ブッカー少佐は『アンブロークンアロー』での経緯を踏まえて、彼らの認識が混乱している最中に、ジャムは対人類戦に勝利し、地球はすでにジャムに汚染されていると結論づける。基地の叙勲コンピュータたちもその動作を停止しており、零がその理由を問うと、『ジャムに勝利したからである。』との返答が返ってくる。基地の機械知性群は、ジャムから〈われは、去る〉というメッセージを受け取っており、それによって勝利したと宣言しているようなのだ(誰が勝って、負けたのかはともかく)。

では、この物語はそこで終わりなのかといえばそうではない。ジャムが去ったのが事実だったとしても、それが人類に伝わり、フェアリイ空軍が解散されるようなことがあれば、その時こそジャムに対抗しうる存在がいなくなり、ジャムが人類+フェアリイ空軍に勝利する時かもしれない──つまり、撤退はフェイクかもしれないのだ。

それを受けて、特殊戦とクーリィ准将は、自分たちの組織の生き残りをかけて、ジャムに「去らせない」ことを決断する。去ったジャムに、再攻撃させることで。

社会と政治の世界へ

ジャムの攻撃にずっと抵抗してきたフェアリイ空軍が、今度はその組織、存在意義の存続、そして地球人にその危機を知らしめるために「ジャムに再攻撃を促す」という矛盾した状況が本作では描かれていくことになる。もともと、ジャムが攻撃してきてから数十年以上の月日がたち、戦線がフェアリイ星に移ったこともあって、地球人類のほとんどはジャムの存在をフィクション上の存在程度にしかとらえていない。

これまで本シリーズはずっとフェアリイ空軍とジャムの戦いという、セカイ系的な狭い世界の中だけで語られてきたが、ジャムが地球に侵攻し、人類社会にたいしてフェアリイ空軍と特殊戦の重要性を知らしめねばならぬこの段階にあって、ついに「地球」と「人類社会」に作中で向き合う必要がでてくる。では、いかにジャムに再攻撃させるのか? それが、今回の書名「アグレッサーズ」(侵略者たち)にかかってくる。

クーリィ准将は特殊戦とはべつに、ジャムになりきるアグレッサー部隊の設立を宣言。これは、表向きは、演習などで敵機役になる部隊である。ジャムとの大きな戦いが終わり、戦力の補充およびフェアリイ空軍の実情の偵察(たとえば、ジャムはまだいるのかなど)が目的と思われる連合軍がフェアリイにやってくるが、アグレッサー部隊は彼らにたいする演習相手に、ジャムとしてなる。だが、目的はそれだけではない。

一度機械知性とジャムの世界を体験した零と雪風を教師役に、ジャムと同じように飛び、同じように戦うことで、ジャムのことを理解すること。また、本当にこのままジャムの再攻撃がないのであれば、アグレッサー部隊は本物のジャムとなってフェアリイ空軍機を攻撃する。その特殊な行動にジャムは気づき、何らかの反応を返すだろう。ジャムが姿を消すなら、こちらから引きずり出そう、というのである。

「当然だ。新部隊設立の主目的は、ロンバート大佐を通じて、ジャムにFAFを〈再攻撃〉する気にさせることだ。ジャムが地球からこちらに戻ってこざるを得ない、そういう状況をつくること、それがわが特殊戦の新戦略だ。わたしはいま、FAFのお偉方にそれを納得させるための仕事に忙殺されている。雪風は、あなたよりも、それを理解している。」

無茶苦茶なロジックのようにも思えるが、まさにこうした矛盾したロジックこそが本作で繰り返し描かれていくことである。ジャムがいなくなっても戦わなければいけない、という矛盾。ジャムと戦ってきたにもかかわらず、ジャムにならねばならない。それどころか自分たちがフェアリイを攻撃する側に回らなければならない矛盾。

人間と異なる認識を持ち、「言葉」が通じない存在であるジャムと戦うためには、言葉の上では矛盾した状況を引き起こしていかねばならない、ということなのかもしれない。明らかに、物語は本作から新たなステージへと移行している。

おわりに

紹介した部分は物語の導入部(130pぐらいまで)に過ぎず、この後実際に日本空軍からやってきた女性パイロット田村伊歩との模擬戦などが繰り広げられていく。この田村がまた、『空軍で、わたしほど暴力を愛し、それを実際に発揮したいと願っている人間はいないだろう。このわたしの感覚を周囲の人間は感じ取って、わたしを敬遠しているのだ。あるいは、恐れている。暴力を是とする組織なのに、わたしを理解しようとしない。』と語る超危険な人物で、物語は大きくかき乱されていく。

魅力的なキャラクタもあらたに生み出され、新ステージへと移行した本作。シリーズ既読者なら勝手に買って読むだろうが、未読者もまだまだ追いつけるので、ぜひ手にとってもらいたい。