たとえば世界の人口はこの先一度100億〜110億あたりで天井へと至り、その後急速に減少していく。個々の国々からしてみれば人口が減少することは生産年齢人口が減ってGDPも税収も減少し国内市場が減少しと良いことがないが、世界的にみればこれは朗報だ。人数が少なければ少ないほどスムーズな意思決定が可能になる。ゴミを出し、エネルギーを必要とし、資源を使う人間がそれ自体が減れば、今問題となっている環境問題がぐっと解決に近づくはずである。停滞、減速には良い面もある。
停滞は悪だと考えるのはやめなければならない。スローダウンが進むということは、学校も、職場も、病院も、公園も、大学も、娯楽も、家庭も停滞するということだ。過去6世代と違って、世代が代わるたびに変容していくことはもうない。モノを長く使うようになって、ゴミが減る。いま私たちが心配している社会問題や環境問題は、将来、問題ではなくなる。もちろん新しい問題は現れる。いまの時点では想像もつかないような問題も出てくるだろう。
停滞する停滞するっていってるけどそれってほんとなの? 停滞したとして、そのさきの社会はどのようなものになるのか? というのが本書では語られていく。
人口減少の時代がくる。
最初に、もっともわかりやすい「減速」の要因のひとつである人口減少についての部分を紹介しよう。かつては人口は大爆発して人類は宇宙に飛び出さねばならないと真面目に話されたものだった。今ではそんな危険性を語る人はいなくなった。
今年の7月11日に、世界人口デーにあわせて国連の人口部は世界人口推計2022年版を発表している。その推計では、2080年代に世界人口は104億人でピークに達し、2100年までにその水準が維持されると予測されているが、この「ピーク」の値は発表されるたびにどんどん少なくなっている。なぜ最大値が減っているのかといえば、国連の人口の予測は「世界全体で子供の数は2人」になることを標準に計算しているが、これには何の科学的根拠も、歴史的根拠もなくあてにならないからだ。
世界では、あらゆることが変化し、子供を持たない、あるいは1人しか産まないという選択をとる人が増えている。そうした人が増えれば子供は減り、一度子供が減ると次に生まれる子供の数も流れで減るので、人口減少は加速していく。人口統計学の世界的権威のウォルフガング・ルッツは、世界人口は2050年までに安定し、その後減少し始める(2100年の人口は国連の推計値を20億〜30億人下回る)と予測しているが、これも特殊な意見でもなんでもなく、幾人もの統計学者が似た数値を出している。
経済の減速
経済においても減速を示す証拠は多くある。1972年には世界のひとり当たりGDPは262ドル増加し、増加率は3.75%だった。2006年には470ドル増えたが、増加率は3.38%。1964年以降で増加率がこの数字を上回ったことは一度もなく、2008年には減少し、その後の10年間で増加率が2%を超えたのはわずかに3回だけだった。
各国版でみていっても、たとえば中国では2006年以降GDPの成長率自体は+推移だが増加率は年々下がり続けている。2006年以降中国のDGPの増加率は14%を下回り、10年以降は12%を、17年以降は7%を──と年々増加率が少なくなっている。
テクノロジーとデータの減速
イノベーションも起こりづらくなっている、と著者は語る。そんな馬鹿な、最近だってすごい絵を簡単に生成してくれるAIが出てるしすごいテクノロジーは次々出てるじゃないか、と反論したくなるが、ここで言っているのはわずか一世紀ほどの間で移動手段が馬からジェット機へとかわるような急速な変化とイノベーションのことだ。
今から100年後に我々がジェット機を遥かに超える移動手段をつかっているとは想像できない。VRなど今まさに発展している領域も多いが、こうした技術の発想と開発の着手自体は数十年前に行われていたものだ。技術はあらゆる領域で進歩している。しかし、そのスピード、量や質は以前と同じではない。
私たちは、長い目で見れば、変化がどんどん少なくなる世界に十分に対処できるだろう。すでに始まっている変化にうまく適応できるはずである。しかし、物事はもうスピードアップしていないことを認めるまでは、テクノロジーの小さな発見があるたびに、多くの人がそれを大きな前進だと言い張るだろう。
ウィキペディアの成長率は鈍化し、新刊の出版点数といったデータの多くも減少傾向にあることが本書では示されている。
おわりに
子供が減っていく社会では幼児保育施設や学校が減り、家族と子供を中心とした社会から個人を中心とした社会へのシフトが起きる。国内需要だけでやってこれた企業も操業できなくなり、潰れるか国外に活路を求めるかの二択を求められるようになるだろう(日本は2065年頃には8800万人まで減るとする推計がある)。
こうした変化が、技術分野、経済分野などあらゆる場所で起こるだろう。本書では終盤、女性の自由の拡大や不平等の是正などいくつかの観点からそうした未来の社会を描写している。長々と紹介してきたように今後変化のペースは遅くなると考えるべきだが、変化が遅くなるというここ最近なかったこと自体が「大きな変化」であるし、それは今後数百年以上にわたっての「当たり前」なのかもしれない。そうした事態にこれから立ち会えるのは、ある意味ではおもしろいことともいえるだろう。