基本読書

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都市に人間が住めなくなるほど環境が悪化し、最後の原生地へと逃れた一群を描き出す、親子の愛憎の物語──『静寂の荒野』

この『静寂の荒野』は、ニューヨークを拠点とするアメリカ人女性作家ダイアン・クックのはじめての長篇作品である。長篇は初だが、短篇ですでにデビュー済み。本邦でもすでに短篇集『人類対自然』の邦訳が出ていたりと今注目の作家のひとりだ。

著者の中心テーマになっているのは、『人類対自然』、そして本作『静寂の荒野』のタイトルをみればわかるように、「自然と、その中で生きる人類の在り方について」といったあたりになるだろう。『人類対自然』の中では大洪水後の人々を描き出す「最後の日々の過ごし方」、漂流という極限状態を描き出す表題作などで、自然の中に生きる人間を描き出した。『静寂の荒野』では、環境汚染が深刻化し都市での生活すらままならなくなった世界で、あえて野生に身を晒す人々が描き出されていく。

近年気候変動による影響を中心的なテーマとして扱った作品をClimate fiction(そのまま訳せば気候フィクションか)と呼称するが、本作もそうした流れに連なる作品となる。本作(『静寂の〜』)では、大気汚染によって深刻化した都市での生活の実像はほとんど描かれないが、その代わりに、都市を捨てた人間が自然の中に活路を見出すことの意味と、その苦しさ、成長がじっくりと丹念に描き出されていく。

その中でも抜群におもしろいのは娘の健康のため都市を捨てることを決断した母親と、幼き時から野生の地で育つことになった少女の愛憎の物語だ。母と娘の関係は、愛しているとか憎いとか、そんな単純な言葉で片付けられるようなものではない。お互いを強く大切に思いながらも、同時に価値観の違い、感じ方の違いから両者の行動は交わることがない。余裕など存在しない野生の地で、母娘の関係はいかように変化していくのか──ぜひ読んで確かめてみてほしいところだ。

物語の導入、世界観など。

物語の時代と舞台は、近未来のアメリカ。環境汚染が激しく、物資の生産や廃棄場などに多大な土地を使わなければいけないこともあって人間の住居は都市に限定されている。大気は汚染されていて、都市では窓を開けられず子供は清浄な空気が吸えずに次々と病んでいく。とはいえ、人類もただ手をこまねいているわけではない。

都市から清浄な空気は失われつつあり、これから先悪くなる未来しかみえないが、野生動物の保護区など、わずかに残された自然も存在する。アメリカは限られた人々──20人──を自然が保護されているウィルダネス州で生活させ、人間がテクノロジーの介在しないリアルな自然環境下で生きることができるのか、環境を破壊せずに再生可能な形で生活を行うことは可能なのかという研究を開始する。最初に集められたのは希望者にとどまらず、本物の医師や動物食相の専門家なども含まれる。

 かれらは都市から逃げだしたかった。空気は子どもたちに有毒で、市街地は人で混み合って汚く、ずらりと並ぶ高層ビルが地平線のかなたまで続いていた。都市に含まれない土地はすべて都市を維持するために使用されているので、現在は望んでも望まなくても一人残らず都市に住んでいるようなものだった。この二十人のうち二人は冒険を求めて、二人は知識を求めて、そのほかは、ある意味で自分たちの命がそれにかかっていると信じて逃げてきたのだった。

物語で中心になっていくのは、ビーとアグネスという二人の母娘だ。アグネスは他の多くの子供たちと同じく大気汚染によって身体を壊しており、清浄な空気のある場所に行かねば命はないと宣告されている。それを知った母親のビーとその夫であるグレンはアグネスのためにウィルダネス州での実験に参加することを決めるのだ。

過酷な自然での生活。

「研究」として集められた人々なら、手厚いサポートのもとでの自然生活なんじゃないのと思うかもしれないが、実態はそんな生易しいものではない。食料の支援や、病気になった時のサポートなど存在せず、怪我をしたらそれで終わりだ。

それどころか、一つの場所に定住すると環境が汚染されるとしてわずかな期間で移動することが定められ、移動時には掃除して──つまり建築物などを建てることは許可されておらず──去ることを求められる。何度も同じルートをとることも許されず、決められた場所から場所へと移動することが求められる。ルールに違反していた場合、警備隊がどこからともなくやってきて、死にかけの人間がいようがおかまいなしに移動を強制させる。そのせいで、ウィルダネスにやってきた20人はその序盤から次々と栄養不良や事故によって死亡し、あっというまに11人まで減ってしまう。

食べ物が足りず胃が変調をきたすものもいれば、飢えたクマにキャンプが荒らされることも、低体温症で死ぬものも、落石で死ぬものも現れる。メンバーの間で子供ができることもあるが、当然ろくな出産環境もないから、死産が多発する──。

母娘の物語。

アグネスはこの移住時にわずか5歳ほど。幼少にこれほどまでに過酷な環境に晒されるのは、苦難ではあるが僥倖でもあったといえる。何しろ都会にいたらそのまま死んでいたかもしれないのだ。また、5歳という何でも吸収できる時期の移住だったことから、彼女は誰よりも早くこの環境に柔軟に適応することができた。

それが母娘の愛憎へと繋がることになる。ビーは母親として、娘の命のためにこの環境に移住してきた。そして、この過酷な環境を生き、娘を守るために多大な努力と犠牲を払ってきた。一方で、この野生の地で多くの時間を過ご適応し、自立したアグネスは、自分(アグネス)の行動を、自分の意思に関係なく決定しようとする母親の庇護をうっとうしく感じるようになる。同時に、都市で、そしてウィルダネスでの愛された日々も感じており、どうしようもなく母に接してもらいたいと願う気持ちもある。

 アグネスは身を硬くし、手足を縮こめ、自分自身を縮こめ、毛皮の隅に這い戻って身体を丸めた。母の押しの強い愛情表現はほしくなかった。背中を撫でてほしかった。頬に触れてほしかった。耳元でささやいてほしかった。

都市が恋しいと思い、そこに多くのもの──自分の母親など──を残してきたビー。もはや記憶のほとんどはウィルダネスでのもので、ウィルダネスを離れたいと微塵も思わないアグネス。強くふるまっているように見えても、ビーは悩みながらこの自然の地で暮らしている。子供が大事ではあるが、自分自身の人生もビーにはあるのだ。ある事件をきっかけとしてその感情は決壊・暴発し、お互いを愛し合いながらもどうしても価値観が異なってしまった母娘は、一度関わりを断つことになる。

おわりに

読者は誰もが母親のビーと娘のアグネス、どちらにも強い共感を覚えるだろう。また、本作は過酷な環境だけが描かれているわけではなく、自然にしなやかに適応してみせる人間の力強さ、成長も描かれていく。ただやられっぱなしの人類ではない。

 先頭を歩きながら、アグネスは先導していることに、自分たちが群れで移動する動物の一種であることに、そしてすべての生き物と同じく絶対必要な水をさがす生き物であることに誇りを感じていた。この地に来てからの日々、そういうふうに感じていなかったわけではない。自分もただの動物だとは思っていた。だが、いま彼女の見方のなにかが変化した。なんと広大であることか。

こうしたウィルダネスで生きる人々の日常を綴りながら、時折都市の情報──環境は悪化を続け、良い情報はひとつもない──も入ってきて、世界が大きな変動にみまわれていることも次第に明らかになっていく。SF味はそこまで強くないが、環境について、人類の未来について、壮大な視座で描き出した長篇だ。